ザコシショウのR-1フリップ芸批評を聞いて
ハリウッドザコシショウのyoutubeチャンネルでR-1グランプリの総括をしていた。私が特に興味深かったのがフリップ芸に対する考察だ。
寺田のようなのフリップ芸人はフリップ書いてあることくらいしか言わない。そこにプラスαがないと大爆笑には至らない。
ビートたけしはたけしメモという芸でフリッププラスαのたけしのしゃべりのポテンシャルがすごい。
審査の時にも言ったが、フリップに書いてあることだけではTVの前の人を笑わせるに至らない。
想定外を見せないと大絶賛にはならない。
最終決戦のお見送り芸人しんいちとZAZYの戦いも大体同じウケだったら、しんいち。なぜならフリップ芸人でないから。
好みとして裸一貫っでやっているって芸人の方が好きだから。
大差がつかないとフリップ芸人の方に票は入らない。
個人的にすごく納得がいく。
私としては、フリップ芸はまず、こじんまりした印象を受ける。
実際、フリップは小さくて見えにくい。舞台芸には向かないと思う。
そして、準備してきた感が出る。もう、そのフリップの中で完結していて広がりようがない。
あくまでも、芸人がポテンシャルを発揮するためのスイッチとしてのフリップだったらいい。それこそザコシショウのようなモノマネのネタフリのような形。
芸というより発表という印象を受ける。面白いことを考えてきました。という感じ。今、ここで面白いことが行われている感じではない。
ホワイトボードに書きながら、客と対話するケーシー高峰はすごくライブ感が出ていて、すごく芸人のポテンシャルを感じられる。
音声を多用したネタも芸人としてこじんまりとした印象を受ける。
その音声に合わせて対話をするのも決められたことをしている感じがすごく出る。
今回のR-1のZAZYも格好は派手でモニター芸にも工夫があったが、PCを操作している姿が縮こまって見えた。(前回のミスもあってより慎重になっていたのかもしれないが。)
それにほとんどモニターが映し出されていてZAZYの姿は見えない時が多かった。
最初はモニターに全部芸を集約させて最後にZAZYが歌い上げる姿を見せる。という狙いだったのかもしれないが。
フリップ芸、音声芸を全否定というわけではない。
むしろ、これだ!というすごいフリップ芸、音声芸と出会いたいと思っている。