何も変わらなく見える日々の片隅で
享年28歳、大好きなアーティストが死んだ。
9月27日。待ちに待った映画『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』の公開日だった。午前8時過ぎ、ついにこの日が来たと心を躍らせ、足早に映画館へ向かった。
映画『ベイビーわるきゅーれ』を初めて観たあの日、私は間違いなく幸せを感じた。理由はわからないが、心が確実に満たされていく感覚は疑いようがなかった。今回の映画でも同じような感覚を得られるのかもしれないと思うと胸の高まりが抑えられなかった。
約30分間バスに揺られ、やっとの思いでたどり着いた映画館。ネットで買ったチケットを交換し、氷を抜き忘れたジンジャーエールを飲みながら入場時間を待った。チケットに並ぶ「全席自由席」という文字列に対する困惑と、そのチケットを持っているという高揚感で、喉は乾いたままだった。
(*ここから先では『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』の内容に少し触れます。)
エンドロールが流れた。それと同時に、私はまた、あの日の感覚が呼び起させられた。単調な生活が色づいていくような、あの感覚。
海水浴場でのゆるいシーンから、宮崎での初仕事の緊迫感、そして冬村かえでとの死闘。かいばしらの出演時間が長くて喜びを感じつつも、そんなことより ちさまひカッコいい と、感情の運動が激しかった。ラストシーンで、主人公のまひろが「生きててよかった。」と言って、ちさとと思い出のショートケーキを頬張るシーンが忘れられなかった。
映画館を出て、どこへ向かおうかと、未だに慣れない土地をスマホのマップを頼りに進んだ。時間はもうすぐ12時になろうとしていた。まずは昼食を、とフードコートを目指した。
1度だけ来たことのあるフードコート。ハンバーガーを食べながらダウンロードした小説でも読もうかなと、窓際の席を選んだ。
平日の昼ということもあって、スーツを着た会社員らしき人たちが数人、あとはおしゃべりをしに来たお年寄りや、学校帰りであろう学生もちらほら見られた。
映画の余韻に浸りながら、また選んでしまったジンジャーエールを飲んだ。さすがに2回目ということもあって氷を抜くことには成功した。
結局スマホを見ることなくハンバーガーを食べ、もういらないなと思いながらポテトに手を付け始めると、学生特有のわちゃわちゃ声が耳に入った。何の話をしているのかわからなかったが、自分にもこんな時期があったなと思い出した。
ポテトを口に運ぶスピードは遅くなっていくばかりで、休憩がてらスマホを見た。外で開くとギガを使うから、と教えられてきた私でも、なんとなくYahooを開いてしまった。ニュースが並ぶ一覧に、見覚えのある顔が目に飛び込んだ。
そのニュースには、見慣れたアーティスト写真と「死去」の2文字が表されていた。
私は何の躊躇いもなくそのニュースを押した。そこには、事実だと受け止めたくない情報しか載っていなかった。何も信じたくなかった。
すかさずアーティスト名で検索をかけて、ニュースをいくつか押していった。X(旧Twitter)をやっていない私は、リアルタイム検索をかけた。そこには1時間前に投稿された、本人アカウントでの「皆様へ大切なお知らせ」という投稿があった。たった半年間の結婚生活になってしまった旦那さんが打ったであろう文章だった。
周りの音が耳に一切入ってこなくなった。目の前に広がる曇天の薄暗い景色は、白と黒の2色に見えた。
どうしよう。何が起こっているんだろう。信じられない。信じたくない。
私は朝充電しておいたワイヤレスイヤホンを耳に刺して、CDを買ってダウンロードしたアルバム『め』の『夜明けの詩』を聴いた。そこには、いつもの彼女の声が変わらず宿っていた。『ミカヅキ』『平行線』『アノニマス』。曲が終わって始まっても、そこに彼女の声が残っていたとしても、もうこの世には存在しないことは嘘にはならなかった。
ちょっと1人になりたくて、トイレの個室に駆け込んだ。頭を抱えた。何も考えられなくなった。覚束ない足取りで個室を出た。
からっぽの頭に、ただただ彼女の歌声だけが響いた。
憂いと怒り、悲しみと力を振り絞って、命を削って歌う声がずっと好きだった。毎日を生きる原動力になってくれた。
初めて声を聞いたのは中学生の時だった。ビルに大きく飾られた看板に目を引かれ、SIMが抜かれたおさがりのスマホで検索したような気がする。
『フラレガイガール』で声に惹かれ、ほかの曲で詩に惹かれた。自分からちゃんと好きになったアーティストは、もしかしたら彼女が初めてだったかもしれない。小学生の時は兄や家族の影響で、ゆずやポルノグラフィティが好きになった。そのあとも流されたCDを聴くばかりで、流したことがなかった。そんな私が初めていつものゲオで手に取ったCDは、1stアルバム『ミカヅキの航海』だった。
重度の飽き性な私にとって、彼女の歌声に飽きが来なかったことは不思議だった。気づいたらずっと追っていた。CDが出れば買っていた。そして、何度も救われ、私の人生の大きなピースとなっていた。
「生まれたまんまの姿でいいよ あなたの瞳は美しい」という歌詞に何度救われたか。まだ大丈夫って何度思わせてくれたか。
3月の結婚発表、7月の活動休止と、今年だけで2回の大きな発表に驚かされた。機能性発声障害だと診断されたと発表したあの日から、ほんの2か月しか経っていなかったんだと今気づいた。気長に待って居ようと、また新曲聴きたいなとまで思ってた。
次に驚かされるのは、症状の回復と活動再開の発表がよかった。なのに誰も望んでなかった、予期してなかったことに驚かされてしまった。
今でも喉に引っかかったまま飲み込めない。この気持ちにはどんな名前がついてるのだろう。
なんて残酷な1日だっただろう。ちさとの「生きててよかった。」が脳にこびりついて剥がれない。これからどうしよう。ちゃんと乗り越えて生活できるだろうか。
こんなに苦しい時って何して乗り越えたんだっけ。充電が少しでも残っていることを願いながら、ワイヤレスイヤホンを耳に刺した。その先にあなたがまだ居てくれてることを信じて。
ありがとう。