学生最後の日に思うこと

朝起きてから特別なことをしようしようと思っていたら何もできなくなったので書きます。周りがnote書き始めたりしてちょっといいなってのは前から思っていたので。

じゃあなんで今まで書かなかったのかというと単純に面倒だということもあるし、アウトプットすることはどうにも仕事的な感じがして、今オフなんだけど?休もうよって気持ちに負けてしまったからでもある。けど実のところは、誰かに何かを伝えたいって言うのが人に会う原動力の一つで、こうやって人ではない何かに対して表現することに慣れてしまったら、もうずっと人に会おうとしないんじゃないかって恐怖があるからだと思う。これは逆も同じでtwitterで友達が日頃何をしているのか知ってしまったら、その人への興味が日々満たされているわけで、「半年くらいあの人が何してるか知らない。興味があるから会いたい!」って行動に移すエネルギーみたいなのが溜まらなくなってしまう気がする。お互いについて、何らかの情報をネットで交換し合うこともコミュニケーションだからそれも人間関係だよって言われればそれまでだけどやっぱりどこか寂しい。

Twitterやnoteの文章は独り言の壁打ちで、お互いがそれを発信したり受信したりするのは勝手で、自分の世界が閉じる感覚というか、すれ違いを感じる。自分の意見は一方的だし、他社の意見はコンテンツだし、すれ違うだけで摩擦がないんだな。世界が交じり合わなくて、遠くから誰かの世界を見つめてる。

こういうことを考え出すとさらに怖いのは、「いやいや現実の会話だってお互いが言いたいこと言いあってるだけのすれ違いでしょ」とも思えてくることで、じゃあ自分が今まで人と話してるときに感じてた暖かさはなんだったんだろう?

人と人とが直接会わなくなってオンライン飲み会とかLINEのグループとかそういう距離感で、あなたのことを十全に好きになれます!って言える人はすごい。別に直接会ったって、ちゃんとあなたがそこにいるという実感を手で触れあって確かめるなんてことはしないんだけど、それでも目の前にいるあなたを認識した上で話したい。そこに画面を通さない暖かさがあって、だからこそ人を好きになれてる気がする。

こんなスピリチュアルなことをいう人はこれから出てくるVRとかを使った遠隔コミュニケーション文化に乗り遅れるだろうし、けれど案外そういう文化が当たり前になったら自分もそれはそれで暖かいと思うようになるのかもしれないな。

学生最後とは何も関係ない話になってしまって申し訳ない。話も全然まとまってない。集大成的アウトプットをしたかったんだけれども、おわりというよりはじまりの一歩をむしろ祝福するとして。

ぐだぐだだけども皆さんさようなら、僕は先に行きます。明日からの自分、お元気で

#春から社会人 #学生最後 #エッセイ

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