ままならない体を、自分のものとして取り戻す──『教会のバーベルスクワット』蛭田亜紗子インタビュー
『自縄自縛の私』でデビュー後、さまざまな作品で女性の生と性を描いてきた蛭田亜紗子さんが、新たな試みに挑戦します。U-NEXTオリジナル書籍として配信される「ままならない私の体」シリーズは、“女性の心と体、選択と決定”をテーマにした全5話の短編シリーズです。現在、第1弾『教会のバーベルスクワット』が配信されており、2022年2月14日には第2弾『保健室の白いカーテン』が配信予定。U-NEXTの月額会員の方であれば「読み放題」でご覧いただけます。
『教会のバーベルスクワット』は、40歳を目前に妊活をやめた奈都子が主人公。夫との間に距離を感じた奈都子は、ネットで知り合った男性と関係を持つようになっていきます。彼と逢瀬を重ね、体を絞るために筋トレを始めた奈都子。彼女は、いつしか自分の体を自分でコントロールする充足感に満たされるようになるのですが……。この作品に込めた思い、「ままならない私の体」シリーズについて、蛭田さんにうかがいました。
蛭田亜紗子(ひるた・あさこ)
1979年北海道札幌市生まれ、在住。2008年第7回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞し、10年『自縄自縛の私』(新潮社)を刊行しデビュー。近刊『共謀小説家』(双葉社)では、明治期の文壇を舞台に、小説家の夫と妻の独特な絆を描いた。そのほかの著書に、『凜』(講談社)『エンディングドレス』(ポプラ社)などがある。
自分の体や人生をコントロールしようと、足掻く姿を描きたかった
──『教会のバーベルスクワット』は、短編シリーズ「ままならない私の体」の第1作です。この企画は、どのような出発点から始まったのでしょう。
蛭田:最初はシリーズ化のお話はなく、単発の短編をご依頼いただきました。「筋トレの爽快感や達成感を描いた短編はどうでしょう」と依頼されたものの、結果的に爽快感や達成感はどこかへ消えてしまいましたが(笑)。でも、この短編を書くうちに、もう少し体について書いてみようかなと思ったんです。
私は「女による女のためのR-18文学賞」からデビューしたので、これまでにも女性の性や体について書いてきました。でも、ここ数年はそういったテーマから離れていましたし、年齢を経て考えることも変わってきたので、もう一度女性の体について書いてみたいなと思ったんです。そこへ、担当編集さんから「できればシリーズにできないか」というありがたいお話をいただいたので、連作短編のような形でシリーズ化することに。それぞれが独立した短編でありつつ、根底に同じようなテーマが流れているシリーズにしようという話になりました。
──蛭田さんご自身も、かなり体を鍛えているそうです。
蛭田:この短編の主人公と同じように自己流で筋トレをしていましたが、行き詰まりを感じて。なので、最近は違うことをやってみようと思い、ブラジリアン柔術を習い始めました。
──思いがけないところに飛び込みましたね!
蛭田:本当はレスリングか柔道を習いたかったのですが、どちらも大人向けの教室がほとんどなくて。柔術は流行っているのか、教室がたくさんあるので通ってみることにしました。でも、これまで格闘技に興味がなかったので、関節技や絞め技のかけ方がわからないんです(笑)。どうすれば効くのか、技をかけたものの効いているのかもわからない状態で。なかなか難しいなと思っています。
──そのうえ、ランニングもされていますよね。そもそも蛭田さんご自身が体を鍛えるようになったのは、どういうきっかけだったのでしょう。
蛭田:ランニングは10数年続けているのでやらないと気持ち悪いんですが、それ以外のトレーニングは体型を変えたいという気持ちが大きかったですね。自分の体って変えられないことが多いじゃないですか。加齢など、自分の意思や気持ちとは関係ないところで変化が進んでいくところがあって。でも、トレーニングを始めて、変えられる部分もあるんだなということがわかりました。最初の半年くらいは、体型が変化していくのが面白かったですね。その後はあまり変化せず、現状維持で面白くないんですけど(笑)。
──『教会のバーベルスクワット』は、主人公・奈都子が深夜のジムでトレーニングをするシーンから始まります。そこから彼女が妊活をやめ、ネットの掲示板を通して「Y」という男性と逢瀬を重ねるさまが描かれていきます。彼女の人物像は、どのように作りあげていったのでしょうか。
蛭田:奈都子の行動って、間違っている部分が多いじゃないですか。でも、世間から間違っていると言われても、彼女は彼女なりに自分の体や生活、人生をコントロールしたいと思っている。ままならない中で、彼女が足掻いている部分を描けたらいいなと思いました。
──妊活をやめた頃、奈都子は自分の肉体を憎悪していました。そもそも妊活をやめた理由のひとつが、妊娠・出産によって体型も人生も変わってしまうから。一般的に「女性は自分の外見よりも母性を優先するのが当然」とされていますが、言われてみればそれもおかしな話ですね。「女性は自分の体のことも、自分自身で決めてはいけないのか」と感じます。
蛭田:あまり語られないことですし、そんなことを思うほうがおかしいと言われがちですよね。でも、本人からすれば、自分の体型が変わってしまうのは大きな問題だと思います。
──昨今は、ありのままの体を肯定しようという「ボディポジティブ」の風潮があります。それでも、奈都子は自分自身が納得のいく体になろうとする。その姿勢に共感しました。
蛭田:今、プラスサイズモデルが流行っていますよね。それは素晴らしいことですが、みんながみんな「これが私よ」と自分の体を肯定できるかというとそうではない気もします。自分の体を肯定するご本人は輝いていて素敵ですが、そう思えるのはごく一部の人なのかなと思うんですよね。「じゃあ、私も見習おう」となるのはなかなか難しい。私自身も、理想の姿に近づきたいという気持ちはあります。
世の中はままならないことばかり。でも、肉体は自分の意思で変えられる
──そんな奈都子が「Y」と出会い、筋トレを始めたことで徐々に変わっていきます。体を鍛えることによって、心まで変化する。こうした心と体の関係性について、どうお考えでしょうか。
蛭田:私自身がそうだったのですが、30歳を過ぎた頃から体重が増えて、脂肪も増えて。それにしたがって、自分に対する肯定感が落ちていく感じがありました。鍛えることで体を多少立て直すことができ、少しは否定感がなくなってきたかなという実感はあります。だからといって、鍛えたから前向きになれたというわけでもないのですが。
──作中では、筋トレにさまざまな意味合いを持たせています。肯定感を増す行為として描くこともあれば、自分自身を痛めつける行為として描くこともある。そもそも筋トレの効能は何だと思いますか?
蛭田:私も中途半端にしかトレーニングしていないので、偉そうに言える立場ではないんですが(笑)。でも、やっぱり自分の意思で変えられる部分があるということでしょうか。社会的な立場、体質など、自分ひとりの努力ではままならないことも世の中にはたくさんあります。でも、習慣などによって変えられる部分もある。筋トレをすることで、それがわかるんですよね。作中の奈都子も、筋トレを始めるまでは自分の体から気持ちが離れている状態でした。でも、トレーニングやセックスによって、自分の体を自分のものとして取り戻していくんです。
──やがて奈都子は、「自分の肉体を完全にコントロール下に置いている」と実感するようになります。でも、それも更年期が始まるまでのわずかな間。自分の現状を「階段の踊り場」に例えているのが印象的でした。
蛭田:私も奈都子とほぼ同年代なのですが、あと数年でまた体が変わっていくだろうなと感じています。更年期って、親世代を見てはいるものの、自分のこととしてはわからない。一体どんなことになるのか、ぼやーっとしたイメージしかなくて。でも、徐々に変化が始まっていくだろうというのはわかっている状態なんですよね。
奈都子も、肉体をコントロールできているのは一時的なことかもしれません。でも、自分の体と積極的に付き合おうという姿勢ができたので、その後の変化も受け入れ、うまく対応していけるんじゃないかと思っています。そもそも体質って一人ひとり違うじゃないですか。自分の努力だけでは、どうしようもない部分もあります。でも、自分に与えられた体はひとつしかないので、それを手放すわけにはいきません。年を重ねるごとに、だんだん「自分の体はここが弱いんだ」「無理が効かないのはここだ」とわかってくる。そうやって自分の体とうまく付き合っていくことが大事なのかなと思います。
──30代後半から40代前半は、肉体面だけでなく社会的な立場にも変化があるのではないかと思います。結婚しているかしていないか、子供がいるかいないか、会社でどのような役職についているかなど、人生のステージも変わってくる時期ではないでしょうか。
蛭田:40代になると子供を産むか産まないかももう決まっていて、そこからはルートに悩むこともなく「これで行くしかない」という道が見えてくる頃ではないでしょうか。その点では、奈都子も迷いはないように思います。ただ、先が見えているということへの倦怠感があって、それが不倫に走ってしまう原因にもなっていると思います。
──「あるときから、今後起こる事柄は過去の経験のカラーコピーに過ぎないという諦念を抱えていた」という奈都子の述懐がありましたが、まさにこの年代ならではだなと感じました。
蛭田:年齢を重ねるとある程度の経験はしてきているので、初めてのことにはなかなか出会えません。過去の経験と照らし合わせて、「きっとこういう感じだろうな」と見えてしまう部分も多いと思うんです。実際には、まだ知らないことはたくさんあると思いますが、これから起きることは身内の死や老後のあれこれ。あまりポジティブではないことばかりなのかなと思ってしまって。
──そんな奈都子が、「Y」とのセックスで「目前にはじめて見る景色が広がっている」と感じます。ちなみに、彼のことを「Y」というイニシャルで呼んでいることには、どのような意図があるのでしょうか。
蛭田:奈都子と「Y」は、もともと匿名性のある関係でした。普通に生活する中で出会った人ではないので、名前を頭に浮かべてリアリティを持って接することに、奈都子としてはちょっと恐怖や抵抗があったのだと思います。なので、ワンクッション置くために、イニシャルで呼んでいます。
──「Y」は40代で女性経験がなく、ネットの寂れた掲示板で孤独を訴えていました。彼の人物像は、どのように作っていったのでしょうか。
蛭田:女性と縁遠いまま中年になってしまったキャラクターではありますが、今流行りのインセル(女性に不信感や憎悪を抱く非モテ男性)とは違うタイプとして描きたかったんですね。主人公が関係を持つ相手として、ちゃんとした感覚を持っている人として描こうと思いました。
──ネタバレになるので詳細は避けますが、その後、物語は思いがけない展開を迎えます。とはいえ、読後感は重くありません。蛭田さんは、この物語の結末をどのように捉えていますか?
蛭田:今後はもう新しいことは起きないだろうと思っていた奈都子ですが、新しい楽しみを知り、この先もそんなに悪くはないんじゃないかと思うようになっていきます。私としては、割と明るい終わり方だと思っています。
年齢を重ね、変化する体との向き合い方。今だから書けることを書きたい
──シリーズ第2弾も、まもなく配信される予定です。こちらはどんな話でしょうか。
蛭田:主人公は、子供の頃から体も丈夫ではなく、すぐ体調を崩してしまうタイプ。そのまま成長して、今も体力もなければ気力もありません。そんな中で、風俗嬢として働いているんですね。バイタリティに欠ける人間でも、与えられた体と付き合っていくしかない。そういったお話です。
──『教会のバーベルスクワット』とは、また方向性が違うお話ですね。
蛭田:直接的なつながりはまったくありませんが、ままならない自分の体と付き合っていくという点では、テーマが共通しています。
──久しぶりに女性の性や体に向き合う作品を書いて、いかがでしたか?
蛭田:「R-18文学賞」を受賞したのが28歳、今は40歳を過ぎました。自分の体との向き合い方、捉え方も変わってきたので、今だから書けることを書きたいという思いがあります。このシリーズもまだ書いている途中なので、自分でも全体像が見えていませんが、主人公の立場や年代、抱えているものは、それぞれ変えてバリエーションを出したいと思っています。ぜひ次回作以降も楽しみにしていただけたらうれしいです。
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