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「こわいものをみた」5 新しい恋愛がこわい(高瀬隼子)

『新しい恋愛』刊行から一か月が経った。五つの短編小説が収録された本で、そのうちの一篇のタイトルが「新しい恋愛」という。タイトルを付けるのが苦手で、いつも最後まで書き終えてから、出ないな、なんかいいのないかな、全然出ない、と悩みつつ捻りだす。「新しい恋愛」も、ほかに数十個考えたタイトル案が全部しっくりこなくて、とはいえこれもしっくりきてるんですかね? どうなんでしょうか? と恐る恐る担当編集者に提出したものなのだけど、「ありそうでないタイトルでいいですね」と褒められたのでほっとした。ありそうでないというのは助かる。というのも、わたしはエゴサーチをしまくるからだ。
 これまでに出した本のタイトルはどれもやや長めで、SNSで検索をかける時にヒットしやすくエゴサーチ向きだが、わたしの本と関係ない書き込みも、もちろんたくさん目に入る。『おいしいごはんが食べられますように』は、推しの誕生日に願われることが多いらしく、毎日のように芸能人の誰かが一つ歳を重ねたことを喜ぶつぶやきに遭遇する。一方で、自分のために「おいしいごはんが食べられますように」と祈っている人はあまり見かけない。
 反対に……という比較が正しいのかは分からないが、「新しい恋愛」に関しては、他人のことよりも自分のことに関するつぶやきが多かった。この一か月ほど、わたしは一日に二度、三度はキーワード「新しい恋愛」で検索しているので、日々すみやかにみなさんの「新しい恋愛」情報を収集している。この一か月間に限って言えば、SNS上の「新しい恋愛」動向を一番に追っているのはわたしだろうという自負がある。そんなわたし調べによると、新しい恋愛をしたいと思っている人はわりと多い。こんなにいるんだ、となぜだかちょっとこわい。
 これは仮説だが、ひとつの恋を終えそろそろ次の恋がしたいなと思っている人は「新しい恋愛」などという、やや畏まった、言い換えると二歩ほど引いた言い回しを、使わないのではないだろうか。他者へ向かうエネルギーの貯蓄が完了し、そわそわと心が揺れている人からは、恋愛ではなく恋がほとばしるのではないか。そしてそれらは、「新しい恋したい」、またはもっとシンプルに「恋したい」か、目標に率直に「彼氏/彼女ほしい」という言葉で発されるのではないか。
 数々のつぶやきを追っていくうち、わたしの中でそんな予測が立った。実際に「恋したい」で検索をかけると、「新しい恋愛がしたい」と検索した時の何十倍ものつぶやきがヒットした。それはそうか。ならばと思い、わたしは「新しい恋愛がしたい」とつぶやいている人たちのウォッチを開始した。一体どんな人たちなんだろう。
 定期的にその人たちのアカウントをめぐり、その後の動向をチェックする。三十代、四十代の人もいるし、大学生や高校生もいる。性別も住んでいるところもばらばらで、海外ドラマが好きだったりスニーカーが好きだったり推しの俳優がいたりといろいろだけれど、小説を読む人はあまりいなかったのは少し残念だった。
 ウォッチを始めて一か月が経つが、観測できる限り、新しい恋愛を始めた人は一人もいない。恋愛は始まっていないが、顔も本名も知らない人たちの日常を覗くのは楽しい。へー今日はアイス食べたんだ(新しい恋愛はしてないけど)。あー、その映画わたしも気になってる(新しい恋愛はしてないけど)。ユーチューバーのファンミーティング参加するんだ(新しい恋愛はしてないけど)。心の中で相槌を打ちながら、新しい恋愛を始めたいらしいけど一向に始めない人たちの日常を覗いている。世界にはわたしと関わらないだけで、たくさんの人がそれぞれの生活を営んでいるんだなあ、と当たり前のことを久しぶりにリアルタイムで実感した。
 それはそれで楽しかったのだけど、あまりに動きがないので(勝手に見ているだけの者が文句を言ってすみません)、ふと思いついて「好きな人できた」で検索してみた。そういえば恋愛ってまず誰かを好きにならないと始まらないんじゃなかったかなと思い出して。そして驚愕する。
 ――え、噓でしょ、こんなにたくさんの人たちが、誰かを好きになり、それを自覚したうえに、SNSで発信までしてるなんて! 思わず釘付けになり、投稿を遡って読んでしまう。転職や部署異動で変化した職場で最近よく目が合う人がいるとか、席替えで隣になって好きになったとか、スーパーのポイントカードの案内をしてくれた店員さんのことを多分好きになってしまったけど自覚するのが怖いとか。なるほどなるほどそれでそれで? と続きが気になるものばかりだった。
 気が付くとだいぶ長い時間パソコンの画面に向かっていた。恋愛というだけで、見ず知らずの人のことなのに妙に気になってしまう、というのも奇妙だ。恋愛小説を書いて、ますます恋愛が分からなくなった。恋愛ってなんなのだ。
「新しい恋愛がしたい」人たちのウォッチは今日も続けているが、そのうち日々の習慣の外側へ出て行ってしまうだろうという予感もする。決まって巡るいくつかのアカウントの向こう側で、わたしの他人が今日も生きている。新しい恋愛はしてもしなくてもいいけど、でもしたいんだったらいいきっかけができて始まるといいなと思うし、あと、おいしいごはんも食べられるといいなと、赤の他人なりに願っている。

■著者紹介
高瀬 隼子(たかせ・じゅんこ)
1988年愛媛県生まれ。東京都在住。立命館大学文学部卒業。2019年「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞しデビュー。2022年「おいしいごはんが食べられますように」で第167回芥川賞を受賞。2024年『いい子のあくび』で令和5年度(第74回)芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。その他の著書に『犬のかたちをしているもの』『水たまりで息をする』『うるさいこの音の全部』『め生える』があり、最新刊は『新しい恋愛』。

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