【試し読み】女による女のための短編シリーズ「ままならない私の体」第一弾『教会のバーベルスクワット』
『自縄自縛の私』『エンディングドレス』『共謀小説家』など、数多くの作品で、女性の性、心身について描いてきた蛭田亜紗子さんの新作がU-NEXTに登場しました。
本作は、四十歳を目前に控える女性が主人公。彼女が黙々と筋トレに励むシーンから物語は始まります。
■著者紹介
蛭田亜紗子(ひるた・あさこ)
1979年北海道札幌市生まれ、在住。2008年第7回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞し、10年『自縄自縛の私』(新潮社)を刊行しデビュー。近刊『共謀小説家』(双葉社)では、明治期の文壇を舞台に、小説家の夫と妻の独特な絆を描いた。そのほかの著書に、『凜』(講談社)『エンディングドレス』(ポプラ社)などがある。
■あらすじ
四十歳を目前に妊活をやめた「私」は、夫との間に距離を感じ、魔が差したかのようにネットで知り合った男と逢瀬を重ねるようになった。裸を見せることの緊張感からはじめた筋トレと、女性経験のない無垢な彼とのセックスは、孤独と焦燥感に駆られていた「私」の心を解し、不妊治療やホルモンバランスの乱れなどで思い通りにならなかった自分自身の体を楽しむことができるようになってきた。そんな矢先…。女性の心と体、選択と決定について描く珠玉の短編。
■本文
カードキーをピッと鳴らして館内に入り、靴箱を確認した。
―よかった、今夜はだれもいない。
シューズを履き替え、アルコールスプレーで手を消毒し、額で検温する。ナイロンのバッグをロッカーにしまった。ウェアは家から着てきているので着替える必要はない。壁に貼られた「マスクを着用してください」という注意書きを横目で見ながら、口もとのマスクに触れる。自分以外にだれもいない空間でも外す気はなかった。
まずは準備運動の代わりにエアロバイクのエリアへ行く。サドルとハンドルグリップを備えつけの除菌シートで拭いてからまたがり、じんわりと汗ばむまで漕ぐ。降りてまた除菌シートで拭き、手首を保護するためのリストラップを巻きながらフリーウエイトのエリアに向かう。パワーラックのバーベルを八番の高さにセットして、左右十五キロずつプレートをつけ、バネ式のストッパーを嚙ませる。バーベルシャフトの重さを含めると五十キロだ。
バーベルを肩に乗せる。肩幅よりもやや広く足を開き、お尻を後ろに突き出すようにして腰を下ろしていく。背をまっすぐ伸ばし、体幹を意識してなるべくからだがぶれないように。限界まで沈み込むと立ち上がる。大臀筋、ハムストリングス、大腿四頭筋。それぞれの筋肉に負荷がかかっていることを確かめながら同じ動作を繰り返す。額に汗が滲み、マスクが呼気で湿っていく。筋肉がきしみ、血液がすみずみまで駆け巡るのを感じる。真っ暗な部屋の照明をぱちぱちとつけていくように、一日ずっと深い海の底に沈み、死んでいるように生きていた私を目覚めさせていく。
深夜、自分以外にだれもいないスポーツジムには有料チャンネルとおぼしき洋楽のBGMがやけに大きく響いている。たぶん全米チャート20とか、そのあたりのチャンネルだ。毎日来ているからどの曲も耳に馴染んでいるが、だれが歌っているなんてタイトルの曲なのかは知らない。英語に疎いので歌詞もほとんど聞き取れない。ただ純粋に、メロディと声の抑揚だけがときおり感情をかき混ぜていく。
視線はまっすぐ、鏡張りになっている正面の壁を見つめている。フォームが乱れていないか確認する。
一瞬、汗で光る自分とYの裸をそこに見た。窓のない部屋の、大きなベッドの真上にある鏡張りの天井に映ったすがた。私はぎゅっと目を瞑り、その幻影を追い払う。
四十歳まで、と自分で設定したリミットを三年早めて降りたときには、自分の肉体を憎悪していた。
「もうやめたい」
夫の和樹にそう告げたのは、タイミング法からはじめ、人工授精を五回しても妊娠には至らず、体外受精にステップアップする矢先のことだった。排卵誘発剤を注射してホルモン検査や超音波検査を重ね、すでに採卵日も決定し、数日後に迫ったその日を待つだけになっていた。
だけど私はずっと怖じ気づいて躊躇していた。ここからは費用も肉体的な負担も段違いになる。犠牲を払ったぶん諦められなくなって、「今度こそ当たるから」と注ぎ込み続けるギャンブル依存者のように引き返せなくなる。やめるならいまか、それともお金も時間も使い切って疲れ果てた数年後か。明るい未来は思い描けず、地獄行きの暗い階段が足もとにどこまでも続いている気がしていた。
妊活は序盤から苦しかった。疲れていようがそういう気分じゃなかろうが、カレンダーに赤いペンで印をつけた日には和樹をせき立ててセックスしなければいけない。うつらうつらと眠りかけている彼を叱咤しながら寝間着を脱がせ、くったりと萎えている性器を握ってなんとかその気にさせようと躍起になる。結婚から十年近く経ち、とっくに「家族」になって性生活から遠ざかっていたのに、そんな雰囲気もへったくれもない性交ではうまくいくわけもなく、目的を果たせないまましぶしぶ諦める夜も少なくなかった。
これを続けていたら夫婦関係に亀裂が入ってしまう。焦りから人工授精に移行した。すると今度は採精室で用意されたDVDを視聴し、容器に射精するという屈辱に耐えてもらわなければいけなくなった。婦人科の行き帰り、和樹はいつも無口でたまに口を開いても出るのはため息だけだ。その横で、沈黙と罪悪感に耐えかねて無意味な話をべらべらしてしまう自分が憎らしかった。
生理予定日からの日数を指折り数え、今回こそうまくいったかもしれないと日に日に膨らんでいく期待が、下着についた血を見た瞬間に絶望に変わる。その繰り返しは私から気力を奪い、毛布をかぶってひたすら泣くだけで陽が暮れる日も増えた。
そもそも私はほんとうに子どもがほしいのか。三十代の半ばにさしかかるまで、このまま夫婦ふたりの生活で充分だと思っていた。タイムリミットを察した肉体が焦って「ほらほら、急いで子どもをつくらないと手遅れになりますよ」と脳に信号を送っているだけで、自分の意思とは違うんじゃないのか。
そんな疑惑が頭をかすめて立ち止まりそうになるたび、兄の子と遊ぶときの和樹の顔を思い出して自分を律した。はしゃぐ甥っ子たちを背に乗せて、家じゅうを四つん這いで歩きまわる汗だくの顔。プラレールを手早く組み立ててコースをつくる得意げな顔。本屋でプレゼントする絵本を選ぶときの真剣な表情。眠っている子の求肥みたいな頰をそっとつつく愛おしげな横顔。そのどれも私とのふたりきりの生活では見せたことのないものだった。超音波のような子どもの奇声やよだれや鼻水やおむつ替えタイムに私は辟易して早く帰りたいのに、和樹はいつもにこにこと嬉しげだった。
何年も希望を出し続けて数年前にようやく商品開発部への異動が叶ったのに、平日の通院に対応するため、比較的ゆとりのある裏方の部署に変えてもらった。私が途中で外れたプロジェクトは順調に進んでいるようで、喜ぶべきことなのに嫉妬に苛まれ、商品開発部が入っているフロアに足を踏み入れることすらつらくなった。
多くの女性が望もうが望むまいが楽々と飛び越えているように見えるハードルの前で、いつまで経っても下手なジャンプを繰り返しては無様に倒れている。幼い子どもをつれた女性や妊婦を見かけると嫉妬や憎しみや劣等感で気持ちがぐちゃぐちゃに乱れ、もうこれ以上は限界だと思った。
「話があるの」
食後、ソファに座ってテレビのリモコンを取ろうとした和樹の手を握って切り出した。
「なに?」
「あのね、妊活のことなんだけど」
「うん」
息を吸って吐いて、言おうとしても言葉が出てこない。
「どうした?」
「……もうやめたい」
とうとう言えた。言ってしまった。感情が決壊して涙がぼたぼたこぼれ、ちゃんと説明しなくてはと思っても言葉が続かない。
「……本気で言ってる?」
和樹はそう訊ねたきりしばらく絶句していた。天井を見て長く息を吐いたあと、「後悔しない? 奈都子がそうしたいなら僕はいいよ」と引きつっているものの笑顔をつくって見せてくれた。
「ごめんなさい」嗚咽のあいまになんとか言葉を発する。
「こっちこそごめん。そんなに思いつめてたなんて知らなかった」和樹は私を抱き寄せて、頭をぽんぽんと撫でる。「これからかかるはずだったお金で旅行にでも行こうよ。海外とかさ。南国リゾートとヨーロッパ、どっちがいい? 国内もいいよね。前に五島列島に行ってみたいって言ってなかった?」
だがじきにやってきたコロナ禍で旅行どころではなくなり、結局どこにも行けていない。
バーベルスクワット十回を五セットこなすと、つぎはバーベルランジに変える。バーベルを担ぎ直し、右足を前に踏み出す。膝がつまさきよりも前に出ないように気をつけながら、太ももが床と平行になるまで腰を下ろす。起き上がって足をもとの位置に戻し、今度は左足を踏み出して同じ動作を繰り返す。ふらついてバーベルが揺れ、踏ん張り直した。
筋トレは大きな筋肉からちいさな筋肉の順に。どこかで読んだ言葉を思い浮かべ、全身で最も大きい筋肉である大腿四頭筋にちゃんと効いていることを意識する。トレーナーに指導してもらった経験はないから、フォームはたぶんおかしなところだらけだし、無駄の多いトレーニングをしているかもしれない。でもいまは、効率よりもひとりで黙々と肉体を痛めつけることにこそ意味があった。
やめたいと思った理由には、和樹に言っていないものもある。
不妊治療をはじめてから、ホルモン剤の影響で体重がみるみる増えた。三十を過ぎたあたりから瘦せにくくなり、年々体重は微増していたが、一気に自分の考える許容範囲を超えてしまった。つねに全身がむくんでいて、なにをしていても重怠さがつきまとう。
鏡を見るのが苦痛になった。どんな服を着てもしっくりこない。頑張ってメイクをしても、きれいな色のパウダーや細く引いたラインは肉に埋もれて代わり映えしない。とくにタイミング法を試みていたころは、自分の裸が視界に入るのも見られるのもつらく、部屋を暗くして服も全部は脱がないようにしていた。和樹がうまく反応しないのも、私が肥えて醜くなったせいじゃないかと自分を責めた。好きだった入浴もなるべく裸を直視しないよう短時間で済ませるようになった。
自己肯定感は脂肪に埋没して見えなくなっていく。だれよりも劣っていて無価値だという考えが、しぶとい五徳の汚れのように意識にこびりついて離れない。
プラスサイズモデルだとかボディポジティブだとか、ありのままの体型を肯定して愛そうという考えが最近は盛んにもてはやされている。もちろんそれは素晴らしいことだ。でも私は自分の肉体を誇れる境地には達せそうになかった。
もしも妊娠に成功すれば、この比ではない変化に翻弄されることになるのだ。からだのラインは日々変わり、もとの自分とはかけ離れたすがたになっていく。ホルモンバランスが変動し、気分はジェットコースターのように乱高下する。
そして死ぬ思いをして出産したら、そこからはもう自分のことなどかまっていられない日々がはじまる。ろくに睡眠をとれない、落ち着いて食事することもゆっくり湯船に浸かるのも難しい生活。体型を戻せる保証はどこにもない。仮に体重は落とせても、伸びた腹の皮はどうなるのか。妊娠線だって肌の代謝が落ちてきた年齢では消すことは難しいだろう。髪の毛は抜けるし歯も弱ると聞く。
「体型が変わるから妊娠出産したくない」なんて女優やモデルが言っても「母性はないのか。女としての人生の喜びよりも自分の外見が大事か」と世間に叩かれるだろう。美人でもスタイルがいいわけでもないごくごく平凡な三十代後半の私がそんなことを考えているなんて、恥ずかしくてたまらなかった。
出口のほうから物音が聞こえた気がした。どきりとしてバーベルをラックに戻し、振り向く。だがだれもいない。壁についている警備会社の緊急呼び出しボタンにちらりと視線をやってから、またバーベルを肩に担いで片足を前に踏み出した。呼び出しボタンは施設内のあちこちに設置されているが、いざというときに押せるかどうか。押せても警備会社のひとが来るまで何分かかるのか。
深夜、スタッフすらいない空間に女ひとりでいることに、怖さを感じていないと言ったら噓になる。会員以外は入れないし、入館者はカードキーで把握され、監視カメラも複数ついている。それでも突発的におかしな行動を起こす人間がいないとは言い切れない。
―万が一殺されてもそれはそれでいいや。
そう思うと、ふっと気持ちが楽になった。
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