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「こわいものをみた」8 サウナがこわい(高瀬隼子)

 サウナは平気だが、水風呂に入れない。足首まで浸かるだけでヒィヒィ言ってしまう。銭湯や温泉でサウナに入っても、ぬるいシャワーで体を流した後は、熱い湯に浸かる。水風呂を挟まないから、噂に聞く「ととのう」という状態になったことがない。どうやらとっても気持ちいいらしい。羨ましいが、水風呂は無理だ。ととのえないのにサウナには行きたくなる。この抗えなさがこわい。
 二〇二四年の春、四国を一人うろうろと旅する中で、香川県さぬき市を訪れた。その日の宿であるゲストハウスにはシャワーしかなかったので、グーグルマップで「銭湯」と検索してみたところ、自転車で二十分ほどの場所に「から風呂」なる場所がヒットした。宿で自転車を借りて早速出かける。ゆるい上り坂をこいでいった。
 池や畑を進んだ田舎道の先に現れたのは、風呂というより工場というか、陶芸の焼き窯のような風貌の建物で、あれれ、ここでいいんだよね? と怖気づいたが、看板には確かに「から風呂」とある。開け放たれた扉の奥に視線を向けると、鉱山から掘り出したばかりのようなつやつやの石炭の山があった。薪も並んでいる。この時点で、どうやら想像していた銭湯とは別のなにからしいと気付いた。
 受付で正直に「初めて来ました。なにも分かりません」と申し出ると、それならばまず、と頭巾を差し出された。薄手の座布団のような頭巾である。困惑していると、「ここはね、古代サウナだよ」と告げられた。
 古代サウナ……? 顔中にハテナを浮かべたわたしに「気持ちいいよー」と笑顔が向けられる。着替えは持っているかと尋ねられ、替えの下着とTシャツを持ってきたと答えると、「下のズボンは替えがないんか。まあ、今はあったかいし大丈夫やろう」と何やらウンウン頷かれる。後は中にいる人が教えてくれるから、と言われるがまま草履を履き、脱衣せずトレーナーとジャージ姿で奥へ進む。どでかい窯が二つ、そこにあった。
 窯の前に高齢の男性が一人座っていた。わたしが渡されたのと同じ頭巾をかぶっている。目が合って、「おねえさん初めて来たんか」と声をかけられた。そうなんです、なにも分からなくて。「おれは毎日来とるけんの、教えたる」と、常連客らしいその方に、まずは頭巾をかぶるように言われた。素直にかぶる。それから隅に重ね置かれた厚手の毛布で、服の上から体をぐるぐる巻きにされた。足首から下と、目元、指先を残して、全身が毛布にしまわれる。「それ以上出すんじゃないぞ」と注意を受け、ちょろりと出た指先に、「ほれ」と座布団を持たされる。
「ええか、中に入ったらすぐに座布団敷いてその上に座れ。指も毛布ん中しまえ。草履も脱ぐな。顔も出すな。毛布ん中隠れてろ。そんで、無理やと思ったらすぐ外に出え」
 ホラー映画をこわがって毛布に隠れている子どもみたいだな、とのんきに考えていたわたしに、おじいさんは怖い顔で「そして絶対に」と付け足した。
「中の壁を触るな。頭もぶつけるな。皮膚ベロンッと持ってかれるぞ」
 わたしがその灼熱に耐えられたのはほんの二分ほどだった。毛布にくるまっていてさえ呼吸が苦しく、炎のかけらを飲み込んでいるようだった。早々に窯から飛び出た。石窯で焼かれるピザの気持ちが分かった。床に四つん這いのままハアハアと肩で息をするわたしに、「どうやった」とおじいさんが声をかけてくる。
 これ、なんかこれ、まじで、
「最高ですね」
 おじいさんがニカッと笑い、「水飲め。ほんで塩舐めえ」と皿に盛られた塩を指さした。
 二つある窯のうち、わたしが入ったのはあつい方で、もう一つの窯は毛布でぐるぐる巻きにならなくても、頭巾と草履、座布団を持っていれば入れる熱さだという。そっちはぬるいよ、と言われたが十分に熱い。後で調べたら百数十度あるらしい。料理の温度である。五分ほどこもる内に、体中の毛穴から汗が吹き出し、トレーナーもジャージも、泳いできたかのようにびしょびしょになった。
 窯から出て水を飲みながら、おじいさんとおしゃべりをした。近所の方で、ほぼ毎日ここに通っているのだという。八十歳を超えているとは思えないほどかくしゃくとしておられ、わたしの後にやって来た若い男性にも入り方を指南していた。
 一時間ほど窯に出たり入ったりを繰り返した後、男女別のシャワーで汗を流し、おじいさんにお礼を伝えて、から風呂を出た。上はTシャツに着替えたが、下は替えがないので汗でびしょびしょのジャージのままだ。
 自転車に乗って宿まで戻る。日が暮れかかっていた。なだらかな坂道をブレーキをかけながら下っていく。皮膚の下一面に血が流れているのが分かる。体の内側から発熱している。熱の塊になったわたしが、自転車に乗って風を切っていた。頭がふんわりしてくる。なんだか世界が美しい。道の脇に伸びた草の緑が輝いて見える。もしかして「ととのう」ってこういうことだろうか?
 あの日の感動を忘れられないのに、わたしは相変わらず水風呂に入れない。ちょっとだけの冒険心の先に新しい感動があると、経験したくせに意気地がないのだ。毎度、水風呂に足の指先を濡らしただけでヒャッと逃げる。ととのえないなあと残念ぶりながら、熱い湯に浸かり、古代サウナの灼熱窯を思い出している。

【参考】 塚原のから風呂 https://karaburo0.webnode.jp/

■著者紹介
高瀬 隼子(たかせ・じゅんこ)
1988年愛媛県生まれ。東京都在住。立命館大学文学部卒業。2019年「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞しデビュー。2022年「おいしいごはんが食べられますように」で第167回芥川賞を受賞。2024年『いい子のあくび』で令和5年度(第74回)芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。その他の著書に『犬のかたちをしているもの』『水たまりで息をする』『うるさいこの音の全部』『め生える』があり、最新刊は『新しい恋愛』。


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