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どんな命にも居場所がある──『犬小屋アットホーム!』大山淳子インタビュー

長い長い坂の上にたたずむ、白い建物「ニーシャシャン」。そこは、犬と人がペアを組んで暮らす、ちょっと変わった老人ホーム──。

「猫弁」「あずかりや」シリーズの著者・大山淳子さんの書き下ろし小説『犬小屋アットホーム!』は、そんな施設を舞台にした心に沁みる物語です。「犬小屋」を意味する「ニーシャシャン」で暮らすのは、居場所を失った人と犬。出所したばかりの元ヤクザ、余命短い病人、ゴミ屋敷の老女などワケありな人々が集められ、保健所から救われた体の不自由な犬、闘うことを強いられてきた元・闘犬などさまざまな過去を持つ犬と、新たな一歩を踏み出します。

この風変わりな施設は、どのような着想から生まれたのでしょうか。連作となっている5つの物語をひもときながら、作品に込めたテーマ、犬と人との関係性について語っていただきました。

大山 淳子(おおやま・じゅんこ)
東京都出身。2006年、『三日月夜話』で城戸賞入選。2008年、『通夜女』で函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞グランプリ。2011年、『猫弁~死体の身代金~』にて第三回TBS・講談社ドラマ原作大賞を受賞しデビュー、TBSでドラマ化もされた。著書に『赤い靴』、『通夜女』などがあり、「猫弁」「あずかりやさん」など発行部数が数十万部を超える人気シリーズを持つ。

犬と人間が互いに支え合う、双方向の関係性


──『犬小屋アットホーム!』は、どのようにして生まれたのでしょうか。着想を得たきっかけについてお聞かせください。

大山:編集さんからお声がけいただいた時に、モチーフのひとつとして介護犬を提案されたんです。ほかにもいくつかご提案いただいたんですけど、私、“犬”にピンときて。私が物語を書く時は、今はまだないもの、存在しないけれどもあったらいいなと思うものを作りたいんですね。介護犬は今ある既成のものだけれど、犬が一方的に人間を介護するのではなくお互いに支え合う双方向の話を書いてみたいと思いました。

動物の命については社会問題にもなってますし、私は「猫弁」シリーズを書いているので動物愛護の現状は頭に入っています。お年寄りが老人ホームに入る時は、ペットを手放すのが常識になっていることにも疑問を感じていたので、そのあたりも含めて書けたらと思いました。

──今タイトルが挙がったように、大山さんと言えば「猫弁」シリーズをはじめ、猫のイメージが強いですよね。

大山:よく言われますけど、実は私、小学校の卒業文集に「将来は犬を飼いたい」と書いたくらい犬好きだったんです。でも、父が国家公務員で転勤続きでしたし、官舎に住んでいたので犬は飼えなくて。ただ、私が子どもの頃は野良犬がその辺にいっぱいいたんですよ。そういった犬との思い出は、たくさんあります。

逆に言えば、猫に関しては素人(笑)。当時高校生だった娘が、たまたま拾ってきたのを飼い始めたんです。動物と密に暮らしたことがなかったから珍しくて、そこから「猫弁」が生まれました。

累計40万部突破の人気シリーズ「猫弁」第1作目

──舞台となる「ニーシャシャン」は、人と犬がパートナーとなって暮らす施設です。似たもの同士の人と犬がペアになって生活するというのが面白く、こんな施設があったらいいなと思いました。この施設のイメージをどのようにして広げていったのでしょう。

大山:1話1話書きながら広げていきました。「ニーシャシャン」を運営するマダムも「行き場のない人に居場所を与えたい」という気持ちだけで、きちっとした青写真がないままこの施設を始めていると思うんですよ。

──プロットはあまり作り込まずに、書かれているんですね。

大山:私が書くものは大体そうです。登場人物の履歴書やプロットを作らずに書き始めると、どんどん広がっていくんですね。シーンを書いていくと、だんだん次のシーンが見えてきて、おおよその骨格みたいものが見え始める。人物に関しても、「横須賀ってどんな人なんだろう」って、徐々にぼんやり見えてくる。5章の「犬小屋」を書いた時に、横須賀の骨格がはっきりしてきたので「これでいける」と思いました。

第4話の「殺し屋」では、施設の可能性を広げました。それまでは温厚でかわいそうな人たちを引き取って、いい犬をパートナーにしていましたが、「殺し屋」はそうではありません。マダムも、「殺し屋」と呼ばれる犬や過去に因縁のあるゴミ屋敷のおばあさんを受け入れなきゃいけない段階になって、また大きく懐が広がりますし、「ニーシャシャン」も成長していきます。「施設に見合った人間を引き取って、犬と合わせるマッチングアプリのような場所ではない。誰でも受け入れるんだ」と、私自身もあとからわかっていきました。それが「どんな命にも居場所がある」という、この本のテーマにもつながることになりました。

どんな人にもどこかに必ず居場所がある

──『犬小屋アットホーム!』は、プロローグとエピローグを除いて全5話で構成されています。各話について、順を追って解説をお願いできますでしょうか。第1話「サクラ」は、刑務所から出所したばかりの行き場のない男性が、ニーシャシャンに引き取られるお話です。元ヤクザの彼は、元麻薬捜査犬のサクラと一緒にこの施設で暮らすことになります。

大山:居場所がない人を考えた時、まず思い浮かんだのが刑務所出所者でした。仮釈放だと保護観察官と保護司がつきますが、満期まで勤め上げた人は保護観察の対象にならないんですよね。でも、いきなり釈放されても行き場がありません。それもあって、再犯を重ねてしまう方も多いようです。そういう人の受け入れ先を考えたかったんですよね。この作品とどう結びつけるかはまだわからなかったけれど、とにかくこの男性をちゃんと描きたいなと思いました。

また、第1話ですから施設の概要を読者に伝える必要もありました。これからニーシャシャンに入所する人に向けて、横須賀が施設の説明をすれば読者にも伝わるはず。施設の全体像を読者に掴んでもらいたかったので、「サクラ」はのめり込んで書いたというよりもバランスよく情報を入れることを心がけました。

──続く「到達点(ゴール)」は、第1話にも登場した七村が主役です。幼い頃から闘病生活を送ってきた七村ですが、70歳になって余命宣告を受けた今も人懐こくてにぎやか。実に魅力的な人物ですね。

大山:連作短編の場合、狂言回しみたいにあちこちに現れてくれる人がいると助かるんですよね。ただ、七村さんはそういう計算とは関係なく出てきた人かな。「猫弁」や「あずかりや」もそうですけど、書いているうちにパソコンのキーボードあたりに映像が浮かんで、キャラクターが喋りはじめるんですよ。私は、それを書き写していくような感じでした。

──七村自身ではなく、彼とペアを組むマルチーズの視点で物語が進むのも面白い趣向です。

大山:人間を描きたいと思った時には、犬の視点にするんです。七村さんが「ボクはこう思った」と書いてしまうと、それが正解になってしまうのでおもしろくない。

それに、七村さんの相棒になるチェルシーは、劣悪な環境で育ったため、目も見えなければ足も不自由です。犬に関する悲惨なドキュメンタリーもたくさん観たので、チェルシーが救い出された時にどんなことを感じたのか、できるだけ知りたいと思って視点を持たせました。

──七村は長らく入院生活を送ってきたため、人並みの思い出がありません。そんな彼が、たくさん苦労してきたニーシャシャン入所者・岡に対して、「いいなあ、岡は。いろいろあって」と言うのが切ないですね。

大山:私は30代で一度離婚を経験しています。子連れで職なしの状態で離婚したので、もう大変で。その時、ある方から「いろいろあって羨ましい。ドラマチックね」って言われたんです。それを聞いても全然嫌な気はせず、「あ、そういう視点もあるんだ」と思いました。その経験から、七村さんのセリフが出てきたんですよね。

──そんな七村も、過去を振り返ってみると“物語”がありました。6歳の頃、海辺で出会った少女と結婚の約束を交わす。その直後に、七村は入院を余儀なくされます。

大山:普通の人だったら、どこにでもあるような思い出かもしれません。幼稚園の時に好きだった子のことなんて、忘れている人も多いですよね。でも、七村さんはその後ずっと病院に閉じ込められていたので、それが唯一の彼の“物語”だったんですね。私自身も「この設定は切ないな」と思いながら、目の前で動いている七村さんを書き写していきました。

──第3話「ピアノ犬」は、「ニーシャシャン」の入所者ではなく、そこで働く若者・英理人えりとのエピソードです。

大山:視点をちょっと広げたかったんです。ここで働く人にとっても「ニーシャシャン」は大切な居場所。でも、英理人にとってここはゴールではありません。ちょっとリフレッシュして、新しい場所へ旅立っていく階段の踊り場みたいな存在なんですよね。そういう施設のあり方もいいなと思いました。

──英理人はかつてピアニストを目指していたものの、今はピアノから遠ざかり、ニーシャシャンで清掃の仕事をしています。そんな彼が、パートナーを亡くした犬の弦をあずかることに。犬との関係性も、他のエピソードとはちょっと違いますね。

大山:英理人と弦は、それほど密接なつながりはなくて。弦はあくまでもピアノが好きで、ピアノと絆を結んでいます。別にそれでいいんですよね。犬と人間の絆には、いろいろなあり方があると思いますから。

──「ピアノ犬」では、“絆”という言葉についても語られています。絆というと何やら美しく聞こえますが、正しくは「人の自由を奪い束縛するもの」という意味だそうです。

大山:『猫は抱くもの』という小説で、野良猫と飼い猫の会話を書いたんですね。人間から名前をもらった途端、猫は不自由になる。でも、それはしがらみでもあるけれど、絆でもあるんだ、と。どちらがいいというわけではなく、両方の面を描きたいと思いました。

──第4話の「殺し屋」では、「ニーシャシャン」の成り立ち、施設のあり方が描かれています。この章の主役は、生きるために闘ってきた闘犬と、ゴミ屋敷の住人・菊枝です。

大山:犬をペットとして描くだけでは終わらせたくなかったんですよね。歴史をさかのぼると、犬の祖先であるオオカミは人間と出会い、おこぼれをもらいながら少しずつ関係を築いてきました。その子孫である犬も、人間の支配を受け、徐々に関係を深めてきたんです。

そういった犬と人間の長い歴史の中には、犬を闘わせることもありました。犬の遺伝子に組み込まれた歴史、闘犬の世界などを自分なりに咀嚼して、犬と人間の関係を描こうと思いました。

──かつて闘犬だったピットブルと菊枝の関係性も独特ですよね。「この施設で生きていくためにこの場は手を組もう」と、生存戦略のためのパートナーになります。

大山:菊枝と犬は、「あなたが好きよ」「僕も好き」という関係ではありません。追い詰められた人と犬が、命を長らえるためにここにいる。動物愛護センターで人間に命を奪われそうになっていた犬とゴミ屋敷の菊枝、ふたつの命の出会いを両方の視点でしっかり描きたいと思いました。

この先、両者の間に愛情が生まれるだろうとは思いますが、きれいごとじゃないところでの結びつきを描きたかったんですよね。

──このエピソードでは、マダムと菊枝の過去も語られます。ふたりとも戦災孤児として育ちますが、運命が大きく分かれていきます。その対比もドラマチックでした。

大山:「いい人だから、この施設に入れる」「かわいそうな人だから、居場所をあげよう」とはしたくなくて。どんな人にもどこかに必ず居場所がある。そんな思いで書きました。

──最終話「犬小屋」は、マダムの右腕である横須賀の過去が明かされます。このエピソードは、どのようにして生まれたのでしょう。

大山:小学生の頃、和歌山で3年間暮らしていたんです。当時は野良犬がその辺にいて、私が通う小学校にもドーベルマンのように大きいクロという犬が、給食を目当てにうろうろしていました。私も給食で余ったパンをよくあげていましたし、簡単な芸もするし、みんなのアイドルのような存在でした。

そんな中、夏休みに母親と近所のスーパーに行ったら、お盆のお供え用の売り物のお菓子を野良犬がうなりながらかじっていたんです。びっくりしたことに、それはクロでした。かわいいみんなのアイドルのクロが、卑しいうなり声をグルグルと出しながら盗み食いをして、それをスーパーの店長がモップの柄で叩こうとしている。それを見た私は、「クロってなんて卑しい犬なんだろう」と思いました。それが私の記憶に残っていたんです。でも、大人になった時に「あ、夏休みだから給食をもらえなかったのか」とふと気づいて。「私はなんて子どもで愚かだったんだろう。なぜクロを卑しいだなんて思ったんだろう」と、大きなショックを受けました。

私の世代だと、野良犬とのそういう切ない思い出が何かしらあると思います。この小説を書くにあたって、犬を飼っている友達に話を聞いたのですが、みんなそれぞれ「野良犬を飼っていたけれど、保健所に連れていかれた」など、力及ばずにつらい思いを経験していることがわかりました。「犬小屋」も、横須賀がポチという犬と別れたことをずっと悔いているんですよね。それは、私にとっての“夏休みの犬”のような思い出。そういうものを、いつか書きたいと思っていました。

嶽まいこさんによるニーシャシャンとそこに集う犬と人たちの絵

なぜ犬1匹飼えず、ひとりで死ななければならないのか

──この小説を書いたことで、人間と犬との関係性について改めて気づいたことはありますか?

大山:いろんな人が、いろんな形で犬と関わっている。ひと言では言い表わせないから、小説になるんですよね。

ただ、ひとつ挙げるとしたら、犬や猫と暮らしながら死ぬくらいのことがなぜできないんだろうと思います。例えば、犬や猫の里親募集では、高齢者は「ペットを最期まで看取ることができないから」という理由で対象外されます。確かに、犬や猫に悲惨な思いをさせないようにルールは必要だし、里親募集のボランティア活動も、とても立派だと思います。でも、高齢者が犬や猫と暮らし、ひとりぼっちにならずに死を迎えて、遺されたペットは誰かが引き受けて……ということが普通にできたら、もっといいなと思うんです。

「老人ホームに入るから」と、ペットを手放さざるを得ない人もたくさんいますよね。人生の最後に、愛犬から引き離されて施設に入らなきゃいけないのは、人間の尊厳が奪われているような気もするんです。「どうして犬1匹飼えずに、たったひとりで死んでいかなきゃいけないんだろう」って。

──当たり前のように受け入れていましたが、言われてみると確かにそうですね。

大山:尊厳を持って最期まで生きられたらいいなと思います。

──書きながらテーマが見えてくるというお話もありましたが、書き終えて気づいたテーマやメッセージはありますか?

大山:やっぱり「意味のない命はない」ということですね。役に立つ/立たないという査定は要らないし、誰にでも必ず居場所があると叫びたい。まぁ、どの作品でもそういうことを書いてるんですけどね。

──第5話に「何もできず、何ももたなくても、ただ、生きていればいい。意味のない命などないと思うようになった」という文章があります。まさに、そういう思いが込められているんですね。

大山:今は世の中がとっても厳しいですよね。善人じゃないと、すぐに叩かれてしまいます。でも、みんなそんなに正しくないでしょう(笑)? 正しくなくても、いていい。そう伝えたいですね。


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