【試し読み】『The Living Dead』ジョージ・A・ロメロ&ダニエル・クラウス著/阿部清美訳 ①
でkえるらなわたしの罪wお赦して
9・11同時多発テロが起きる前、二一世紀に入った最初の数ヶ月間で、コンピューター設備のない僻地の前哨基地を除き、米国内の病院、高齢者介護施設、警察署は、生命に関する統計データ収集(Vital Statistics Data Collection:略称、VSDC)ネットワークへの参加が義務づけられた。このインターネット上のシステムは、系統解析および多次元データベースの米国モデル(American Model of Lineage and Dimensions)、もしくは略称のAMLDとして知られる国勢調査局のある部門に、インプットされた情報全てを直ちに取り込む。ちなみにAMLDは、当時、ブラックジョークで笑える余裕のあった者たちに、よく「A Matter of Life and Death(死活問題)」と言い換えられていた。誕生だろうと死亡だろうと、医師、看護師、役所の登録担当者がアップロード先のリンクをクリックするだけで、情報はVSDCに加えられた。
VSDCのケースナンバー〝129‐46‐9875〟の身元不明遺体は、一〇月二三日、該当者が死亡した夜に二度、システムによって確認されている。最初は、さして取り立てるほどのこともなく、カリフォルニア州サンディエゴのカトリック系聖ミカエル病院がその情報を入力した。二度目は、サンディエゴ郡にある検屍官のオフィスからその三時間半後にインプットされており、再度の報告ゆえに注目案件となった。二度目のデータは、太平洋標準時の午後一〇時三六分にVSDCの中央コンピューターに届いたが、その後四八時間も誰の目にも触れず、口数が少なく近寄りがたいAMLDの統計学者エッタ・ホフマンが、最近の記録で異状があるケースを探していた際にようやくそれを発見したのだ。
ホフマンはそのデータをプリントアウトしたはいいが、ふと、人間が依存してきたシステムに良からぬ感じを覚えた。
使用者がどのようなプログラム、活字書体、文字サイズを入力時に使っていたにせよ、規格統一のために、VSDCシステムには初期設定がなされている。身元不明遺体の情報は、簡略アラビック体と呼ばれるフォントで印刷され、AMLDのプリンターから吐き出された。VSDCが始動した数年後、政府機関が〝アラビック〟と名づけられた書体を採用するのが適切かどうか、上院で論争があった。民主党の多数派が、フランクリン・ゴシック体を推してロビー活動をしていた共和党を打ち負かしたわけだが、勝ちが確定した際、民主党の議員たちは満足げにウインクをしたり、嬉しさから仲間の背中を叩いたりして、歓喜に沸いた。
当の身元不明遺体の一件後の数週間を生き延びた人間で、この些細な勝利を覚えている者など皆無だ。それは、何世代も国をバラバラに引き裂いてきた、一〇〇万もの取るに足らない諍いのひとつに過ぎない。来るべき暗い日々に、かつての上院議員には、こう考える人間もいるだろう。あのとき、もっと耳を澄ましてさえいれば、ピアノ線が切れるようにアメリカの腱がブチブチと切断されていく音が聞こえ、政治全体が分断されてしまう前に、その傷を癒すべく何かできていたかもしれない、と。
身元不明遺体129‐46‐9875の死後三日間で、同件との類似点を持つデータが何千と受信された。エッタ・ホフマンがこの現象がいつ始まったのかを特定しようとしている最中、件の身元不明遺体の記録を発見。しかしVSDCシステムには、日づけや時刻で収集データを整理する機能がなかった。システム設計者は、そんな機能など必要ないだろうと思っていたに違いない。ホフマンと彼女の同僚は手動で検索をしなければならず、彼女たちが「起源」と名づけたフォルダーに放り込んでいた結果をのちにようやく比較して、例の身元不明遺体の資料の時刻印が他のどのケースよりも先行していた事実が判明した。ところが一〇〇パーセントの確信がないまま、ある時点で、ホフマンは検索作業をやめることを余儀なくされる。
他に、もっと急を要する問題が起きたのだ。
身元不明遺体の死から三日目の夜明けまで、ワシントンのAMLDオフィスに残り、マウスをクリックし、データを入力し、ファイリングしていた職員は、ホフマンを含めた女性ふたり、男性ふたりの計四人のみ。彼女以外の三人は隣り合わせにデスクを寄せ、休憩時間も退社時間も無視して働き詰めだった。しかし、エッタ・ホフマンほど疲れを知らず、誰もがうらやむほどに冷静な人間はいなかった。
ホフマンは常にAMLDの変わり者であった。一緒に働かざるを得ない統計学者は皆、勤務中と同様、彼女はその私生活でも面白味がなく、虚ろなまなざしで誰かとやり取りするだけなのだろうと考えていた。
ホフマンとは異なり、ダラダラと作業を続ける他の三人が居残っていたのは、それなりに理解できる理由があってのことだ。ジョン・キャンベルはここ数年間で、心を病むほどの衝撃的な出来事──子供の死、望まなかった離婚──に見舞われ、彼にはもう駆け寄れる者は残っていない。自分の手で誰かを窮地から救うという夢を胸に政府の仕事に就いたテリー・マカリスターは、どこにも行くつもりはなかった。エリザベス・オトゥールは既婚者だが、特にストレスの多い時期には夫に恐れを抱きがちゆえ、この出来事が自分の逃げ場になるという希望が、彼女を椅子に貼りつけている。
加えて、テリー・マカリスターとエリザベス・オトゥールは恋仲にあった。危機的状況が起こる前のどこかの時点でふたりの関係に見当がついたエッタ・ホフマンには、それが理解できない。どちらも他の人と結婚しているではないか。結婚が何かはわかっている。法的文書、共有財産、共同納税申告がどうしても絡んでくるものだ。ところが愛と欲望は、まるで非論理的なパズルとしか言いようがなく、愛と欲に苦しむ者は先が予測できなくなってしまう。そう考える彼女は、テリー・マカリスターとエリザベス・オトゥールを警戒し、さらなる距離を取った。
エッタ・ホフマンがここに留まっている理由は? 他者は推測するしかない。AMLDには、ホフマンの感情のなさが気に障る職員もおり、そのような職員は彼女は変わり者だと決めつけていた。こなせる仕事量があまりに膨大なせいで、自閉症ゆえの突出した能力の持ち主ではないかと疑いの目も向けられる始末だ。単なる「くそばばあ」だと考える者もいる。ただし、その性差別の表現が妥当なのかさえ訝しい。ファーストネームと男女どちらのトイレを選択するか以外に、ホフマンがどのような性自認なのかの裏づけがほとんどないのだ。彼女の顔立ちと体型は決定的ではなく、ぶかぶかでユニセックス風の服装も手がかりとしては不十分だ。職場では、ホフマンはトランスジェンダーか、性別不明者か、あるいはおそらく男女の性別の枠に囚われないノンバイナリーかもしれないとの憶測が飛び交っていた。
ある派遣社員が、学校で英文学専攻だった影響か、エッタ・ホフマンを「かの詩人」と呼んだことがある。なんでも、彼女が詩人のエミリー・ディキンソンを彷彿とさせるからだという。ディキンソンが隠遁生活を送る寝室から世の中をじっと見下ろしていたように、ホフマンは、その青白い、真剣な顔でコンピューターのモニターの深層をも覗き込んでいた。ディキンソンよろしく感情を表に出さないホフマンも、日常的な単調さの中に、かの詩人が見出したのと同じ類いの大きな何かに出くわしたのだろう。
そのあだ名は、ホフマンのよそよそしい態度と真面目くさった応対を正当化するのにひと役買った。これぞ、まさしく「かの詩人」の特権! 誰も「かの詩人」の胸の内など理解できるわけがない。ホフマンについてあれこれ勘繰るのは、職場全体の娯楽だった。職員たちに非現実的な妄想が広がったのは、常温の水をすすり、間違いなくワシントンDCのありきたりの厨房かどこかで機械的に作られた味気ないサンドイッチを頬張りながら、つまらなそうにデータ入力を行う、スウェットパンツを穿いた中性的な雰囲気のひとりの仕事仲間の存在のせいだろう。
身元不明遺体の一件が起きてからの三日間で、AMLDの詩人は、自分が一番優秀であることを証明した。他の同僚が倒れても彼女は無表情のままで、他の者が、まぶたが重くて目を開けられなくなり、指が震えてうまくタイプできなくなっても、彼女は目と指を手際よく動かし続けている。誰にとっても「今まで会った中でこれほどインスパイアされない人はいない」と言いたくなる人物だったホフマンが、音を上げそうになっていた三人を奮い立たせたのだ。冷たい水に顔を沈め、頬を叩いた彼らは、安いコーヒーとアドレナリンをエネルギー源にして、何が起きているのかを記録していく。未来の住民たちが、崩壊前に存在していた、壮大かつ複雑で、欠点もあるがときには美しい世界の証を見つけることができるように。
それから四八時間後、身元不明遺体129‐46‐9875が報告されて五日が経ち、ジョン・キャンベル、テリー・マカリスター、エリザベス・オトゥールは、もうこれ以上やれることはないという点で意見が一致する。AMLDの非常用電源でオフィスは完全に機能していたが、VSDCのネットワークは崩壊していた。いまだに送られてくる報告は、答えようのない助けを求める叫びばかりだ。ジョン・キャンベルは自分のパソコンの電源を落とした。黒くなった画面を見て失った子供と妻に思いを馳せつつ帰宅し、頭を銃で撃ち抜いた。エリザベス・オトゥールは、先行き不明な未来に備え、何かに取り憑かれたように腕立て伏せと腹筋運動をやり始めた。テリー・マカリスターは、英雄になる夢を失くし、自身の業務日誌に最後のログインを行う。事実や数字が記される通常時の書き込みとは異なり、そのときの日誌は、誰かが読んだなら、絶体絶命で絶望的な状況下に発せられるブラックジョークだと思われてもおかしくないひと言だった──「ハッピー・ハロウィン!」
それは、不気味なモンスターたちが練り歩く恒例の祝祭の日の三日前で、感謝祭の三週間前で、クリスマスの二ヶ月前のことだった。各家庭で用意されていた山のようなお菓子は、玄関先で「トリック・オア・トリート」と声を上げる子供たちに分け与えるのではなく、恐怖で家から出られない者たちの非常食となる。感謝祭用の七面鳥を早めに買っておいた人々は、愛する人たちを招いてご馳走する代わりに、備蓄に回すという抜かりのない選択をした。クリスマスの帰省のために購入されていた何千人分もの飛行機のeチケットは、受信トレイに放置されたままになるのだろう。
テリー・マカリスターとエリザベス・オトゥールは、ジョン・キャンベルとは違い、コンピューターの電源を切らなかった。過熱したパソコン本体が立てるブーンという唸りは、ふたりには呼吸音に聞こえた。もはや、ホスピスのベッドから漏れてくるうめき声、息をしようと必死に体を強張らせて喘ぐときの声も同然だ。ジョージタウンにあるテリー・マカリスターのアパートに向かう前、エリザベス・オトゥールはエッタ・ホフマンに一緒に来てくれと声をかけた。テリー・マカリスターから彼女の邪魔をしない方がいいと言われたものの、エリザベス・オトゥールは、女性をひとり残していきたくはなかったのだ。テリー・マカリスターは正しかった。ホフマンは、まるで同僚がベトナム語でも話しているのかと言わんばかりの面持ちでエリザベス・オトゥールを見つめたのだ。この最後の呼びかけに「かの詩人」は、社内の誕生日パーティで四角いケーキを手渡されたときと変わらず、全くの無表情だった。
退社の準備をしているテリー・マカリスターとエリザベス・オトゥールの耳に、ホフマンがロボットよろしくカタカタとキーボードを打ち続ける音が聞こえてきた。虚ろな目で執拗に仕事を持続するホフマンの労働意欲は、オフィスに殺到した報告にあった、虚ろな目で執拗に攻撃してくる連中の描写と似ている。そうエリザベス・オトゥールは判断した。おそらくホフマンは、すでに彼らにそっくりで──この早い時期でさえ〝彼らを〟や〝彼らが〟が好んで使われる表現になっていた──彼らの脅威を理解し、扱い、処理する完璧な人材だったのだ。
七日目、テリー・マカリスターのアパートにいたエリザベス・オトゥールは、一本だけ立つ電波の棒アイコンに望みを託し、自分の電話を使ってテキストメッセージを送ることにした。送り先はインディアナポリスで神父をしているいとこ。己の罪を懺悔するためだ。彼女は、夫ではなく、不倫相手とワシントンから出ようと試みるつもりだとも書いた。時間もバッテリーもほとんど残っていなかったせいか、メッセージは打ちミスだらけだった。エリザベス・オトゥールは、電池切れの瞬間を見ることがなかったので、告白が相手に届いたのか、それが世界の終焉で誰にも聞かれないままになる多くの泣き言に加えられただけなのかは、知る由もない。テリー・マカリスターとともに、建物の血まみれの玄関ロビーから、銃弾による焦げ跡が付いた歩道に出たはいいが、「北を目指す」という彼の直感に従う以外全く計画がなく、エリザベス・オトゥールは、何かに目を向けるたびに自分の最後のメッセージが見える気がした。その文字は、死肉を食らう鳥たちを思わせる。まもなく一一月。深まる秋の空で餌を待ちわび、こちらを睨みつけている鳥のようだった。
たぶんもう会えないでkえるらなわたしの罪wお赦して問題ないらならあなやがいまいるところかでもいい悔いあたらめの祈りをしようといたでも祈りの言葉h思いdせない何が起きたかノカのもうほんとど覚えてないのgsすごく怖いまるでまったく何も起きなかったみたい自分が生きてたきjんせいすてべg夢だったの?
(でkえるらなわたしの罪wお赦して 終わり)