見出し画像

「こわいものをみた」6 「おくつろぎください」がこわい(高瀬隼子)

 用事があって一人遠方へ出かけ、駅近くのホテルに泊まった。チェックインカウンターが埋まっていたので並んでいると、わたしに気付いたスタッフが「どうぞあちらのソファでおくつろぎになってお待ちください」と声をかけてくれた。少し離れたところにソファがあり、わたしはそこに腰かけた。そして考える。くつろぐってどういうふうな状態のことなんだっけ。
 チェックインカウンターは二つあって、一つは五人連れの海外からの旅行者たちが、もう一つは高齢の夫婦が手続きをしていた。どちらもなにかトラブルがあったようで、通常よりもチェックインに時間を要しているらしかった。だからわざわざわたしに座っているよう声をかけてくれたのだろう。その親切は分かったが、くつろぐが分からない。そろそろ呼ばれるかもしれない、と視線の端はカウンターを捉えているが、あまりじろじろ見ていると急かしているようで悪いので、顔は手に持ったスマホに向けている。
 SNSとニュースサイトを開いてみても、移動中の電車で粗方巡回し終えており、目新しい情報はない。読みかけの文庫本を取り出そうかと思ったが、どうせ集中できないから、ここで物語の続きに目を通すのは嫌だった。窓の外に視線を向けてみるが、駅から通りを一本進んだ先にあるホテル前に人通りはないし、道向こうはマンションらしい建物があるだけで、景色らしい景色はない。くつろぐ……くつろぐか。考えて、鞄からペットボトルの水を取り出して飲んだとこで、「お待たせしました」と声をかけられた。
 こんなこともあった。夫と二人で温泉旅館に行った。温泉というのは、まさしくくつろぐべき場所である。わたしは大浴場に入る時は事前に本を読んでおいて、その内容を反芻しながらゆっくり湯に浸かる。その日は行きの電車でうとうとしてしまい、読書が進んでいなかったので、部屋でしばらく本を読んでから大浴場へ行こうと考えていた。仲居さんが窓からの緑が美しい和室に案内してくれた。お茶まで淹れてくれる丁寧な接客を受け、ああ温泉旅館って感じだなあ、と感じ入っていたところ、「それでは、どうぞくつろいでお過ごしくださいね」と笑顔で告げられたのだった。
 なるほど、くつろぐ……くつろがねば。温泉旅館だものね。
 仲居さんが退出し、夫が先に大浴場へ向かい、一人になった部屋でお茶をすすりながら考えた。とりあえず靴下を脱いで裸足になってみた。座布団の上であぐらをかいて、文庫本を開く。時々窓の外の緑にも視線を向けてみる。こんな感じ? 合ってますか?
 その日は結局、せっかくキリのいいところまで本を読んでから温泉に浸かったのに、頭の中は「くつろぐ」に支配されていた。さっきまで読んでいた本のことを考えながら温泉に浸かるのは、もしかしてくつろいでないことになる? 頭をからっぽにしてなにも考えないでゆっくり過ごして、って聞いたことがあるけど、それってとても難しい。頭の中はいつもうるさいし、あれこれ考えてしまうし、それならネガティブで余計なことを考えるより、面白い本の内容について思いを巡らせながら湯に浸かる方が気持ちいいんだけど、これはくつろいでる?
 おくつろぎくださいなんて社交辞令なんだから、飲食店での「どうぞごゆっくり」や、カスタマーサービスの「ご不明な点はなんでもお気軽にお電話ください」と同じくらい、本気で受け取ってはいけないのだ、と頭では理解しつつも考えてしまう。
 そもそも「おくつろぎください」は、くつろげない場面でしかかけられない言葉ではないか。義実家に行った時に「(お茶を淹れるのを手伝おうとしたのをやんわり止められて)くつろいでてー」と言われたり、取引先に出向いた時に先方の前の予定が押して待たされることになり、応接室に通され「申し訳ありませんが、しばらくこちらでおくつろぎください」と言われたり。交通機関でも「くつろぎの旅をあなたへ」という謳い文句を目にしたことがあるが、ゆっくり過ごすこととくつろぐことは、どう違うんだろう。
 例えば、くつろぎを「誰にもなににも邪魔されず自分のペースで過ごせ、心安らげること」であると定義すると、この実現はなかなか難しい。家から一歩外に出れば他者がいる。道や席を譲り合い、アイコンタクト以前の視線の向きから相手の意図を読み取り、声をかけたりかけなかったりする場面もある。外の世界に置かれた時には、だから、くつろぎを求めていない。なのに油断すると与えられるのだ。「どうぞ、おくつろぎください」と。
 本当にくつろいでいる時、わたしは一人きりで、家族にも友人にも見せられない表情と、誰にも見られたくない形に曲げたり伸ばしたりした体勢でいる。とても公開できない。願わくは、わたしも公開できるくつろぎを獲得したかった。気持ちいい風が通るカフェのテラス席で、道を行き交う人々を眺めながら、店員さんと「今日はいい天気ですね」となにげない話をしてくつろげる、そういう人間になってみたかった(どんな小説が書けただろうか)。

■著者紹介
高瀬 隼子(たかせ・じゅんこ)
1988年愛媛県生まれ。東京都在住。立命館大学文学部卒業。2019年「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞しデビュー。2022年「おいしいごはんが食べられますように」で第167回芥川賞を受賞。2024年『いい子のあくび』で令和5年度(第74回)芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。その他の著書に『犬のかたちをしているもの』『水たまりで息をする』『うるさいこの音の全部』『め生える』があり、最新刊は『新しい恋愛』。

いいなと思ったら応援しよう!