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分断と連帯のスラング(5)Ghosting

時代の移り変わりにしたがって、恋愛や結婚に関する考え方や風習も変化してきた。親の世代と子どもの世代でギャップがあるのは当然だけれど、ソーシャルメディアの普及によって変化が加速し、少しでも年齢差があると相互理解が難しいように思う。

英語圏の高校生向けのYA(ヤングアダルト)小説を読んでいると、中高生のリアルな姿に驚かされることも多い。

近年のYA小説やロマンス小説によく出てくるスラングにGhost(オリジナルの意味は「幽霊」)、あるいはGhostingというものがある。スラングとしてはさほど新しいものではなく2000年代から存在していたのだが、よく使われるようになったのは2015年頃だ。2018年にベストセラーになったイギリスのロマンス小説「Ghosted(Ghostされてしまった)」(Rosie Walsh著)は、その名の通り、このスラングをテーマにしたもので、主人公の女性はつきあっていた男性から突然返事がこなくなり、そのことに思い悩む。

このようにそれまで親密に交流していた相手が何の前触れも、説明もなく、突然連絡を絶ってしまうことをGhost(動詞)、Ghosting(名詞)という。Ghostされたほうは、理由がわからないし、それをたずねようにも相手が返事をしないのであれこれ想像して悩み、モヤモヤし続ける。恋愛でのこういった状況はこのスラングが誕生する前からあったと思うのだが、スマートフォンとソーシャルメディア、そしてデートアプリが普及してからはかなり増えているようだ。

壁につながっているダイヤル式の電話しかなかった私の学生時代には、学校やアルバイト先、友人関係など日常生活のリアルな場で恋愛対象を見つけるしかなかった。だから相手と付き合うのをやめたい時には面と向かって伝えるのがデフォルトであり、日常世界でのつながりがあるので幽霊みたいに突然姿を消してしまうわけにもいかなかった。

けれども、現代の若者はスマホのデートアプリで恋人と出会い、恋人や仲が良い友達とは電話ではなくテキストメッセージやソーシャルメディアで会話をかわす。そのうえ、「この人とはもうつきあいたくない」と思ったらソーシャルメディアやテキストメッセージで相手をブロックして接触を絶ってしまうらしいのだ。最近の英語圏の小説にはそういうシーンがよく出てくる。

Ghostの理由を知りたいのは、Ghostされた対象だけではないようで、研究や取材記事もいくつかある。その中からPsychology Todayの記事[1]にある理由をわかりやすくまとめてみよう。

1.便利だから
 直接会って対話をするよりも実用的であり、対立を避けやすい便利な手段だから(つまり「めんどくさい」という理由)
2.コミュニケーションのスキルの欠如
 「自分には率直で誠実な会話をするためのコミュニケーションのスキルがない」と思っている人が対立を避けたいがゆえに選ぶ
3.最後の手段
 Ghostingを決意する前に他の方法を試したが、相手がそれを受け入れなかったので、関係を終わらせるための唯一の手段として選ぶ
4.相手の反応が怖い
 相手が人種差別的な行動や侮蔑的な態度を取ったり、しつこかったりする場合、攻撃的な言動をされたりストーキング被害にあうことを恐れてGhostingを選ぶ
5.付き合いが短い(浅い)という正当化
 「付き合いに時間や労力を費やしていないのだから連絡を断つことを説明する必要はない」という正当化
6.相手の心を傷つけたくない
 別れたい理由を説明することで相手の感情を傷つけるのを避けたいという動機
7.「現在ではこれが普通」という考え方
 「デートアプリで出会った場合には、もう会いたくなかったらアプリでマッチを解除して終わらせるのがデフォ」と考える人が増えている

「相手がどう受け止めるのか不安」「対立を避けたい」というのが主な動機のようだ。

私が20代の頃、付き合っていた男性に「別れたい」と告げた時、「その理由を説明してもらいたい」と喫茶店に呼び出されて何時間も拘束されたことがある。その時の気まずさや、ストーカー被害にあったいくつかの体験を思い出すと、今ならそういう相手にはGhostingを選んでいたかもしれないと思う。

このGhostingに関連したスラングにR-bombing(R爆弾テロ)というものがある。R-bombingには「Rで始まる侮蔑的、あるいはショッキングな言葉(Racist, Retardなど)を口にする」という使い方もあるのだが、もうひとつ、R-bombingには、「メッセージを読んだ(read)のに返事(reply)をしない」という意味もある。日本でいうところの「既読スルー」である。

この定義によると私はR-bombingの常習犯だ。先日も、それで突然お叱りのメッセージをいただいたところだ。

老眼が進んで老眼鏡なしには小さな文字が読めないこともあって私は普段からスマホをあまり使わない。テキストメッセージは家族からの緊急の連絡の場合もあるのでなるべく頻繁にチェックするように心がけているが、それが運転する前だったり、外出先だったりする時には緊急な内容でない限り返事を後回しにすることが多い。イエスかノーではなく返事の内容を考えなくてはならない場合にはなおさらだ。

後回しにしていて、うっかり返事を忘れることもある。そういうタイプなので、友人や娘にメッセージを送って返事がなくても「たぶん仕事中で忙しいのだろう」とぜんぜん気にしない。返事がほしい場合には時間を置いてもう一度メッセージする。

ところが現代の若者世代にとって「読んだのに即座に返事をしない」のはかなりのマナー違反のようなのだ。英語圏の最近の小説に「読んでから◯◯分経っているのに返事がない。ということは…」と相手の言動をあれこれ推察する場面がよく出てくる。

固定電話世代の私からすると、「読んだくせにすぐに返事をしないなんて!」と目くじらを立てる人にはGhostしたくなる。そんなことを言うと、以前に話題にした「Ok Boomer」で片付けられてしまうかもしれない。

でも、もしかすると、現代の若者でもそう感じる人はいるかもしれない。その直前まで愛情たっぷりのメッセージを恋人に送っていたのに突然Ghostする人は、「メッセージが来たらすぐに愛情たっぷりの返事をしなければならない」というプレッシャーに、ある時ついに耐えられなくなったのかもしれない。そんなことを想像してしまう。

「ごめん、返事するのをすっかり忘れてた!」と1ヶ月たって突然に返事をしてくるアメリカ人の友人は、長年の私の親友である。彼女は約束の時間に必ず遅れてやってくる。でも、たまに私が遅れて到着したらその日に限って早く来ているという人なので予定が立てにくい。でも、彼女は、どうでもいい些細なことで完璧主義な私の悪い癖もよく知っていて、そのうえで批判もせずに受け入れてくれている。とても心地よい関係だ。

歳をとってくると、面倒な付き合いに時間を費やすのがもったいなく感じるようになる。だから、自分にとって心地良い付き合いだけを残してあとはカットしていいかな、という気分になる。無駄な付き合いで心労していると、ストレスで本当のGhost(幽霊)になる時期が早まるかもしれないし。

高齢世代は「Ghosting」という表現は使わないけれど、ひっそりと人間関係を整理整頓して自分ではなく知人をGhostにしているのかもしれない。

[1]https://www.psychologytoday.com/us/blog/intimate-relationships-in-the-digital-era/202302/the-unspoken-reasons-behind-ghosting-in

渡辺由佳里 Yukari WATANABE
エッセイスト、翻訳者、洋書レビュアー。1995年よりアメリカ在住。マーケティング・ストラテジー会社共同経営者。
自身でブログ「洋書ファンクラブ」を主幹。年間200冊以上読破する洋書の中からこれはというものを読者に向けて発信している。 2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。翻訳書には、ディヴィッド・ミーアマン・スコット他『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(糸井重里監修、日本経済新聞出版)、マリア・スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ・ジャパン)、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『男性の繊細で気高くてやさしい「お気持ち」を傷つけずに女性がひっそりと成功する方法』(亜紀書房)など。著書に『新・ジャンル別 洋書ベスト500プラス』(コスモピア)、『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『アメリカはいつも夢見ている』(KKベストセラーズ)など。
X:@YukariWatanabe

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