
【試し読み】高山羽根子さん『ドライブイン・真夜中』
7月7日に発売する高山羽根子さんの新作小説『ドライブイン・真夜中』を、5月26日よりU-NEXT限定で先行配信開始しました。
本作は、移民に対する差別感情の激しい近未来を舞台にしたディストピア小説です。とはいえ、それは現在から地続きの問題であり、それゆえに今読まれるべき小説とも言えます。
冒頭一部を公開します。ぜひご覧ください。

■著者紹介
高山 羽根子(たかやま・はねこ)
1975年富山県生まれ。2010年「うどん キツネつきの」で第1回創元SF短編賞佳作に選出され、デビュー。2015年、短編集『うどん キツネつきの』が第36回日本SF大賞最終候補に選出。2016年「太陽の側の島」で第2回林芙美子文学賞を受賞。2019年「居た場所」で第160回芥川龍之介賞候補。「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」で第161回芥川龍之介賞候補。2020年「首里の馬」第163回芥川龍之介賞受賞。その他、『オブジェクタム/如何様』『パレードのシステム』などがある。
■あらすじ
移民は二通りの生き方を選択させられる。セイカツシャかヒョウゲンシャか。ある日、セイカツシャである主人公は、勤めるドライブイン・レストランにやってきた刑事から「テロの予告があった」と知らされる。予告日は、ヒョウゲンシャの互助組織であるトモダチのパーティが開かれる日でもあった。突然世話することになったノラ犬、騒擾の予告、深夜の乱痴気騒ぎ、それぞれが絡み合い行きつく結末は?
■本文
階段をのたのた上がってきて、店のガラス扉を肩で押し開けながら入ってくるまで―ていうか席に着いたあともずっと―モバイル端末の画面に見入っていた男の客は、水の入ったコップを置くわたしの肌の色に気がつくと、目だけを上げて制服の名札を見ながら、
「うーわ、すっげえナマエ」
という、そのいいかたがあまりにも自然だったから、わたしはそのときその言葉からうまいこと悪意っぽいものを嗅ぎとることができなかった。代わりにその男からは、洗濯物をうまく干しきれなかったとでもいうふうな日陰のにおいと、名作香水の複雑なノートを低い解像度でうわっつらだけ似せたのに混じって、つけたてのアルコールの尖ったにおいが残り、漂っていた。
わたしの名札に書かれた文字は、いまでもまだこの国でぎりぎり使われているものではあった。ただ、どんな端末で入力しても変換候補のずっと後のほうに出てくるし、この国のいまの人たちはこういった文字の読みかたを知らないので、表示させるやりかたなんて知らない。ようは、この手の複雑な文字を読んだり書いたりする習慣がほとんどなくなっているみたいだった。たいていこの文字の一部を元に、もっとシンプルに変形させたタイプの新しい文字を書いたり読んだりしあっていて、彼らのほとんどはそういう新しい文字を使った名前を持っている。
そんな人たちから見たら、わたしの名前なんてまずまちがいなく〝うーわ、すっげえ〟んだろう。
「それ、なんて読むの」
モバイル端末の男がそんなふうにたずねてきたのを、わたしはいつもの、遠目で見れば笑った顔にも見えなくもない、といったぐらいの顔つきになりながら、
「こちらの言葉では、ちょっと嫌な意味を持つ読みかたなので」
とごまかした、つもりだった。でも、わたしのごまかしかたでかえってモバイル端末の男の興味は、わたしの名前をわたし自身の口からきき出してやろうというほうに向いたみたいだった。手の中の端末をテーブルの上に放りだして、
「じゃなくてさあ、なんて読むんだって」
とソファ席にもたせていた上半身を起こした。ひどく面倒くさいこのモバイル端末の男は、でも、この国にはほんとうによくいるタイプの客だった。とくにこの夜間シフトの時間なんかには。
「この国では汚い響きの、つまり罵倒語? に聞こえる恐れがありますので」
わたしは、同じ意味に聞こえる別の言葉にいいかえて、もう一度こたえた。
「いや、だからなんで客に読ます気ない名札つけて仕事してんの」
モバイル端末の男の言葉が、いっそう強く悪意のにじむいいかたに変化した。そりゃまあ、そうかも、とわたしが思いかけたタイミングで別のテーブルから、
「すいません」
という声が、わたしとモバイル端末の男のあいだに、たぶんそれなりに優しく? すべりこんできた。わたしはなにもいわずに軽く頭をさげたあとテーブルを離れて、声がしたほうに向かう。
この時間帯、よく来ているタクシー運転手の男だった。きまって店内のいちばん薄暗い一角に座っている。丸くなった背の上の、ひげがのびた顔をちょっと見ただけではくわしい年齢だとか顔だちなんかはわからない。ただ、こんな時間でもまだ仕事をしているということ、無口なこと、使っている電子決済の種類なんかを考えると、たぶんわたしとおなじく移民の一世なんじゃないかと思えた。運転手は手元のカップを軽く上げて、コーヒーのお代わりをたのむそぶりをして見せた。いつも一杯しか飲んでいないのに今日だけこんなふうにしてくることを考えると、ひょっとしたら、わたしのいまの状況に助け船を出してくれたのかもしれない。そんなふうに考えながら、わたしはポットウォーマーのあるカウンターに戻った。そこに肘をかけて休んでいたタケダムさんも、わたしとモバイル端末の男とのさっきのやりとりには気づいていて、警戒してたみたいだった。あごを軽くしゃくった動きと鋭い目つきで、モバイル端末の男のほうに向かって、
「あっちのオーダーは私が行くから」
と、すごく低い声で短くいった。さっき、運転手がわたしに声をかけてくれていなければ、きっとタケダムさんがモバイル端末の男とわたしの間に割って入ってきていたんだろうと思う。ただそうしてしまうと、もうちょっとだけややこしいことになっていたかもしれない。といっても、まあ、マップアプリのこの店のスコアにやたらマイナスがつけられるとか、そんなしょうもない地味な嫌がらせを受けるくらいのことだろうけれど。ともかくわたしはタケダムさんに短いお礼を伝えて、ポットウォーマーからコーヒーポットを持ち上げてから運転手の席にもういちど向かった。
タケダムさんという名前は、彼女のほんとうのものじゃなかった。この国でもそこまで変なふうに聞こえないようなものを、ここに来てから考えてつけたものらしい。彼女のもとの名前、つまり生まれた所で使われていたほんとうの名前もひとつじゃなくて、いくつかあるのだそうだ。タケダムさんの国の人はみんな子どものころからいくつもの名前を持っていて、大きくなると名前が変わったり、使い分けられたりもしているんだと教えてくれた。なんかのときにその全部の名前を聞いたことがあったけれど、どれもあまりに長くてややこしい発音だったから、わたしのほうでもあきらめて、以降はタケダムさんと呼んでいる。わたしもそういうふうに読みやすい別の名前を登録するか、せめて新しい文字にしたほうが良かったなと何度か思ったけれど、名札が読まれやすくなったところで、わたしみたいな人間にとっては、今日みたいに面倒なことが増えるだけな気がする。
タケダムさんは―タケダムさんの生まれた国の人がみんなそうらしい―一八〇センチ以上はある身長と筋肉質な長い手足を持っていて、つまり、いい体格をした女の人だった。この国の人たちの基準で見たら、男性でもなかなか見ないくらい大きな体をしていたので、タケダムさんは移民としてやってきてからもずっと、デリバリーだったり、ボディガードだったり、介護だったりと、仕事には困っていないみたいだった。病気にもならなくて働きものなこともあって、いまでもこの店のほかにいくつかの仕事を掛けもっている。
※ 続きは電子書籍版でお楽しみください。
U-NEXTオリジナルの電子書籍は、月額会員であれば読み放題でお楽しみいただけます。

紙でも発売中!