宗教が嫌いだ(未完)
私は宗教が嫌いだ。
非科学的なことをあまり信用していないから。
嫌いというには強いすぎるかも。
勝手に信仰している人とは、関わらなければいいだけだ。
いいですよ、勝手にどうぞ。ってしてればいいけど、
宗教の些細な差異で、ほらまた戦争は起こっている。
なんとなく無宗教のほうがいいと思って過ごしてきて、こっちのほうが何がいいのかというと。
一途に信じるものがあると、
それ以外を否定しかねないからだよ。
一番を決めてしまうと、
二番以下はどうでもいい、ないほうがいい、
って考えになりかねないから。
明言も自覚もしてなくても、
その差を生んでいることがあるから。
やおよろず、米の一粒にも神が宿る、とか言っている、日本の曖昧さが、性に合っている。
全部宿ってるって言いながら、都合良く全部忘れてるところがね。
そういう曖昧さって、うとまれがちなことでもあるが、
争いを回避するひとつの手段にもなると。
一理ある。
「恋は盲目」とはなかなかロマンチックな言葉。
数多の恋愛ドラマを進めるに寄与してきた感覚。
しかし2022年にNHKで放送された、「恋せぬふたり」というドラマ、
他者に恋愛感情や性的欲求を持たない、アロマンティック・アセクシュアルの人を題材にしたもの、
で、岸井ゆきのさん演じる主人公にフラれた理由が納得いかない男性が、彼女を尾行して自宅を探し出そうとしたとき、
「だって好きなんだからしょうがないじゃん!」
と男性は言う(以下も台詞は筆者の記憶によるもの)。
そこに同居する高橋さんこと高橋一生さんのセリフ。
「好きだったらストーカーみたいに尾行してもいいんですか?」と。
数多の恋愛ドラマなら、好きだからしょうがない!って言われたら、乙女がキュンとして物語が始まるところですが、
恋愛感情のないふたりからしてみれば、好きだから尾行してもいい、とはならない!
私は、アロマ・アセクとは自認してないが、以前からみんなそんなに恋愛・結婚が人生の主軸??と違和感を持っていたので、
好きだからしょうがないじゃん!で動かないドラマに衝撃を受けた、そりゃそうだ!って。
恋は盲目、一途こそ恋、恋愛してこそ幸せ!みたいな「幻想」をぶち破る名言だった。私には。
恋愛して結婚した人たちが幸せと、私はどこですり込まれたのだろうか、世の中の幸せは一個しかないと、言われてた気さえする。
あ、その話はまた別でするとして。
一番が決まってしまうと二番以下をどうでもいいとしてしまう流れ。
固定概念を持たないというのが、私の性に合ってるという話。
1リアル。