努力が裏切る理由
努力が裏切る理由は、「他人や自分の期待に応えるために努力をするから」です。
裏切る努力
裏切る可能性のある努力は結果主義的な思想によるものです。
他者や自分から、自分自身に対する期待
称賛やモテ:名誉、承認
収入増など金銭的な結果(仕事の結果は多くの場合他者依存)
など。
これらはアンコントローラブルなものです。
故に、大した努力していなくても得られる事もあれば、頑張っても得られない事もあります。
構造主義的な価値観にそれなりに理解が示され始めた昨今であれば、こういった言葉を使う方が良いかもしれませんが
「親ガチャ外れて地頭が悪い場合、同じ努力をしても、生まれのいいヤツに勝てない」という事ですね。
特に、収入などお金に関することや、モテなどは競合相手がいますので簡単な事ではありませんね。
努力をしても他者との差が埋まるわけではないのです。
こっちが100頑張っても、相手が10頑張ったら追い越されてしまう事もあります。
裏切らない努力
僕は絵描き業をやっています。
最近、スケッチをしたカット数をカウントするゲームをやっているのですが。
これが楽しい。
上手くなるためでもなく。他人から認めてもらうわけでもなく、ただ「描いた数をカウントしているだけ」です。
他にも、筋トレも「ほぼ毎日やる」という基準しか設けていません。
筋トレバトルがしたいわけではなく疲れにくい動ける体を作りたいだけなので、
何回できるかとか、どれだけの重りを持ち上げるか等には興味を持たない事にしました。
これらの努力は裏切りません。やった事を記録しているだけだからです。
継続して一人でほくそ笑みだけのオフゲーです。
結果主義的な努力が裏切るのは、当たり前。
努力が裏切るという言葉の背景には「結果が伴っているかどうか」という条件があります。
結果を求めているから努力をするのだと思っている方もいるかと思いますが。
世の中、ままならない事ばかりなので、努力したとて結果が帰って来る保証なんてないんだから、そういう意味では、努力が裏切るのは当たり前なのです。
そもそも論じるに値しない、アンコントローラブルな他人の称賛や金銭報酬などのために努力するくらいなら
自分が継続した事を、ただ自分だけで楽しむ努力で十分なんじゃないのかと思います。
だって、
全部死んだら無意味だし。
今日を面白く楽しんでればよくないすか。
バカバカしい努力をするくらいなら、好きなスタイルで好きなこと続けるのが一番なんじゃないのかな、と。
そんな事を思ったり。
まとめ
結果求めた努力が裏切るのは当たり前だけど
そもそも結果はアンコントローラブルなので求める事が徒労
他人と比べず、自分が面白がれる設計をして、継続する事を楽しんでればいいんじゃないの?
って話でした。
余談:うんこで例える。
毎日💩が出た記録ですら、ゲームになるし、そのゲームは日々の食生活や運動習慣を変えるゲームになる。
しかし、デカいうんこが出たかどうかの重量を他人と競うとどうなるだろう。体を壊す程にものを食べる必要が出てくる。
💩で考えると、自分の裁量外に事に関して努力することが以下にバカバカしいことかわかる伝わるはず。
人間は、みんな自分サイズの💩をしている。それだけの話しなのに、そのサイズや長さを競うから、苦しむ。
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