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由宇子の天秤 と 10月の天秤


映画を久々に観ました

由宇子の天秤

邦画ってこんなことになってるの?

度肝ぬかれました。


呼吸をするようなスピードで
衝撃の事実がおこるのよ

でも粛々と静かにぶっ込んでくる

つねに主人公を追っている
カメラ目線の私たち

登場人物たちをたいていいつもの癖で
善悪をジャッジしてしまうけれど

それも途中まで 。

ジャッジするのを
あきらめてしまうほどウロボロス状態

あっちとこっちの心情がつながっては
はなれてまた点でつながる摩訶不思議

主人公の気持ちは 揺れ動く天秤
ほんとつねに天秤
まさしく天秤

たくましい人でさえ ひとつひとつ
落とされる事実にゆれる

父子家庭の様子は
私にとって地獄絵図。

私も母子家庭。夫が3年前に亡くなって突然の母子家庭となってしまったとき
こんなアパート、環境を想像したよ、
こうなったらどうしょう
って。いろんなパターンのなかから

想像したまんまのアパートが出てきて

私のもうひとつの
パラレルワールドをみているような
目を背けたくなるような。

私はそちらへ引っ張られるようでした。

一歩間違えればこのようになっていたかもしれない。間違いは無いのだけど

イヤだと明確に感じる

選択をひとつひとつ
素直に思う方へと歩んだ結果を
それぞれが経験するんだ。  

と半ば、言い聞かせ
映画から自分をはなす

恐怖、不安 そこに優劣も善悪を介入せねば、人の意図する方へ現実は行くだけ


そんな風に思って映画のそのシーンから
自分をあてはめないようにしようとして

やっと剥がされるくらい
リアル、

それぞれがリアルで重力があるシーンばかり。
どう思うかはこちらに委ねてくれる映画でよかった

映画にあるよくあるシーン みたいなのが全然なくて 音が無いのもリアルなのです。

この現実で 感情によって
流れてくるBGMなんて ないからね笑

この時の人物の気持ちを
どうとでも捉えられるし、
観客全員が異なる映画を観ていたな

縦にも横にも伸びていくパラレルを感じ

伸びても良いと観る側に任されているような
観客を
信頼してくれてる映画でした。

情熱はエゴとは違う

と気付かされました。

メッセージを投げると

それは こう思って!こんな人たちもいるんだよ、と押し売りのようになるけれど

内側から湧き出てくるものは
それとは違って芽生えのように
あとからあとから培養される

映画館から出る足取りは決して軽くは無かったけれど、

人生は静かなエンターテイメント
被害者 加害者に分けられることのない
それぞれが命を燃やしているね

もしも、時代が縄文時代なら 笑って許して済まされていたことを
今では シリアスに死まで考えるほどの
事件になる

人間ってここまでできるんだからすごいよ

正義は恐怖心の現れかしら

映画館を出た足取りは重かったけれど
時間が過ぎると
なぜかとても前向きになった

それは正義も不誠実も少しどうでもよくなり
お客も店員もなくなり
1人の人に礼を感じた。

目の前の人に、無条件に微笑みを与えたいと
同じ時代のあなたにエールを送りたいと
思うようになっていました。


変換される不思議な現象


そんなことが 私のなかでありました。



今年はレモンが大きくなっています。

夏前に少しムシちゃんをお箸でつまんで移動しただけなのですが、

今年はなっています。

すこし気にかけるだけで
こんなに違う 秋のみのり





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