🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 七十七

七十七、

坂本、高杉の簡単な比較論もこの辺りでしめたい。最後に比較的に見るのはやはりその死。両者共、何とも残念な、早い死である。その早い死がこの二名の英雄性を高めている、とも。

しかしこの時期、若い運動家の命は皆短い。

故に“早死、短い生”がこの二人に限った事でもない。

“死”がこの二人の魅力を強めている訳ではなく、やはり生前の魅力的な言動が主要項であるのは言わずもがな。

高杉は病死
坂本は暗殺

病死に関しては、相当に不節制な生き方してたんだと想像するに容易い。別の一方で例えば、山縣有朋など人生に於ける“節制”の大切さを早くから感得して、何とも激動の維新期から明治から明治を通り大正も十年を過ごし果てた。もう少し山縣に踏み込むと、そんなにそんなに若い頃からの節制家でもなく、若い頃はそれこそ輩とそれなりの羽目外しや遊び事はしていた様だが、身体は余り強い方でもなかった様だ。早くにそれに気づいて意識して気をつけていた結果が長寿だった理由だろう。もう一方に帰ると、こいつはそんな事を気をつける奴でもなかっただろう事は容易に理解出来る。他人の言う事も聞かなかっただろう。更にの付け足しで、臨終期の高杉は請って山縣に側にいる事を頼んだ、という。まあ、寂しがり屋でもあり…

坂本の死、はと言えば謎多き暗殺事件ではあるが、今これを追求するとこの書き物が続かないので端折る。ただ事件の真相ではなく、人生と死、の様な観点で考える事は出来る。

曰く、刀を手元に置いていなかった…

例の“ピストル”は?曰く、“高杉からもろた”やつ。

“死”、というか“危機意識”が薄かった?それはそうである、これも言わずもがな、で。何で?と疑うぐらい“危機意識”に頓着していなかった事がこの事件の示す最大の要項であって。

何故?何故にそんなに“危機意識”に無頓着だった?

脱藩して世に出た者だから、その時から命は…

命などというんわよぅ…

生きる=日本の未来
死ぬ=日本のその時点でのある形しか見る事がなかった

“命”をこの二人はどう捉えていたのだろう?

高杉など、まだまだ遊び足らない雰囲気の臨終の様子。

坂本は?

遊び足らない?

ただ“遊び”に関しては、どちらかと言うと坂本には奇妙なストイックなものを感じる。

そして自分の“命”に関しても。

自分の命に対して、“ストイック”?

高杉は病死なので、その事切れる前まで人との交流があるので、より人となりについて知る事が出来る。

坂本の場合は問答無用、有無を言わさず殺されているので、少し命を長らえた中岡の死ぬ間際の言葉でしか我々は追究出来ない。

高杉の死、にはとても、何というか、人に甘える、どうもやはり、人を恋しがる、そういう部分を認められ、そんな所にこの人物に親近感が湧くのだが。

坂本の死には、一切そういった余地がない。

そこで言い過ぎか?だが敢えて、こう彼の性格を判定したい。

『坂本龍馬とは、極めて人に寄る事のない男だった』

そこまで人を必要としない、頼る事のない、“自主独立”の精神をその生に於いて主眼とした。

高杉とは違ったニュアンスで、“何にも囚われない、集団に所属しない”人生だった。

そして更に、の導きで…

人に寄る事を極めて嫌っていた…?と。

そう、後世の我々は“坂本龍馬”に人間臭さを感じつつも、その“孤高”性に…知らず知らずのうちに惹き込まれている…のか?

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💻WEB文芸誌『レヴェイユ』/編集者 柳井一平
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