🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 七十三

七十三、

※最初に追記:高杉に関しての記述で大失敗をしてしまった。だがあくまでテーマは“坂本龍馬”だったので、簡単な問題文の削除で済んだ。以後気を付けます!

長州の征討の件が片付き、まあこう書くと徳川よりの語調となるが、この大いなる逆転劇が成り時代の潮流が激変して行く事は周知の通り。

次の“大いなる”で薩長の同盟、となるのだが。

先へ急ぎたい感も生じるが…

これが成るのには、結構な時間を置いた様子で。

ドラマなりは相当に急足で薩摩と長州を結び付ける。それはしょうがない。観衆あってのドラマだから。そして勇み先じて討幕への官軍東上へと…

しかし挙示したいのだが、この時期の“誰”に感情移入して物語に乗るかでその人その人の所謂“幕末”というのは違って来る。

という事は例えば高杉に感情移入して幕末期のドラマを愛する人にとっては、第二期の長州征討、この辺りでドラマは終幕、そう、この辺りで終わってしまう。

この時期の有志達は本当に命が短いが、短くも華も身もあったカリスマは長州勝利と共に表舞台から去る。余計な付け加えとして、多分晋作は曰く“新しい時代”なんぞに興味なかったろうな。喧嘩は喧嘩、存分にして、政に関わるetc、断言して、興味なかった。どこか海の向こうの異国を見に行ったり、女の子(有名な愛人もいたが、この手の男は…?)と何か討幕だの何だのあまり関わりのない土地に遊びに行ったり、としてただろう。

一方の坂本はじめ土佐組は?

ある意味、ここからが土佐組の出番!と活劇ドラマでは…

しかし資料を見るにつけ、特に坂本は苦労している。今まで追って来た中で最も苦しんでいたのでは?

先ずは船が無くなる。

要するに仕事が無くなる。

坂本個人に限らず、薩摩に身を寄せた土佐組一同同じ。

ただ船は工面出来た。

これも…小松・五代卸だ。見てられなかったか?それとも土佐組を溢れさせておくのも何なんで…か?

ただ、船は船。

この時期だろう、所謂“坂本龍馬”。京にいたり長崎にいたり…とあらゆる京の潜伏容認箇所で仲間達と密議を重ねていた…密議は密議、浪士は浪士、隠密は隠密、であまり公な類の種ではなく。

帝の崩御が長州容赦を流入し、長州地下活動家も大分返り咲いた?大っぴらではなかっただろうが。

中岡も何だか判らない…

ただ中岡も京の地下活動で暗躍していた様子。

そして曰く“坂本龍馬物語”にヒョイとこの辺りから登場する後藤象二郎。

後藤はといえばこの時期中に所謂“武市瑞山組成敗”の仰せつかり役で、ある意味名を馳せた、か?藩内では一気に躍進出世している。まあ瑞山の処断の最終決定は容堂自ら、ではあったが。

そしてあまり表に上がらない一つの政治的事象として“薩土同盟”の取り付け活動と破談。

これは猪が舵を採っていた。

“瑞山を殺したのは何故か?”

子々孫々まで言われ続ける事となる山内は容堂。

長州逆転劇まで延命…出来なかったな…これは。前に大分稿を使って説明したので、評者は容堂に同情する見地で。

土佐組は、いや土佐藩はもう藩を上げて遅れを取り戻さなければならない岐路に立った。

つまりはマクロの視点で、土佐藩上層部にもこの焼尽した人材不足の中、使える者は使っていかないと、追いつけない。

薩摩に坂本あり
長州に中岡あり

坂本が手を染め始めた航海事業、というのは容堂も嫌いではない。いや寧ろ…この事業には打って出たかった筈で。

“薩摩の懐で何かモニャモニャやってる奴がおるなぁ
そんな走り話が聞こえて来るき…”

再三で申し訳なく思うが、この時期の坂本は相当に苦しかった。けれど、容堂から見れば…

“何じゃ、才谷屋の…話で聞いたボンクラが…あしがやりたかった事やっとるじゃないの…”

…坂本と容堂は不思議な程、接点が語り継がれない。あったかどうかも不明。だが言える事は、容堂は口が悪かった、坂本龍馬はホラ吹きで有名だった、と。ここは我々もニヤリ、と笑っておいて。

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