🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 七十四
七十四、
前稿で高杉の記述に関して失敗をした。のだが、ちょっとスピリチュアルな感興で、これは晋作がもっと自分の事を書いて欲しいのでは…なんぞ。
“君、もっと僕の事を書けよ”
相当なお坊ちゃん育ちで我儘で固い仕事が大嫌い。
だのに、皆から愛された。
不思議な人物だ。幕末期の動乱の資料を、目を通すだけでなく、もう少し深入りすると高杉の人間性と彼を取り巻く人々の感情などが結構無防備に現れていて、はっきり言ってドラマや小説よりも面白い。
しかしテーマは坂本なのだ…
そこで坂本ー高杉と比較人物評でも試みよう。本当はこの場に西郷も加えたいのだが、本日の評者の一興、坂本ー高杉に絞ろう。
二名とも裕福な出である。年少期に貧困とは縁遠い生活を送っていた。細かく分類して、高杉は藩内の由緒正しい家系の坊ちゃまで、坂本は半ば商家、といよりかは豪商で武家の名も頂いている様な。
金銭面で困った事がない、というのはコンプレックスが他者と比べて、特に裕福であったのだから、段違いにない。
二人の何か柵のない行動によく出ている。
高杉の場合、父親の溺愛で家の当主としての英才教育も施した様な形跡も見られるのであるが、基本自由に育てられたのだろう。もう成人期には父親の言う事など何にも聞かなくなっているから、それは相当、甘やかされたか。
坂本の場合、そこまで父親の介入がなく。まあ俗に、有名な坂本姉の乙女とのあれやこれは広く伝わっていて愛すべきエピソードとなり受け継がれていて。
この父親の不在性、存在感の希薄さは、恐らく坂本の父親は仕事人間だった可能性が高い。
父親卸の制限がどうも希薄、それに反してだろうか?坂本は繁く年長の冴えある人物の元に、“足を使って”訪れ、話をし、昵懇となる。
そう言う、他者とは一風違った“コンプレックス”はあったか…
父親の拘束から逃れたい、けれど父親は雁字搦めに鋳型に嵌め込む程、厳格に成りきれない、甘くて優しいお父さん。
一方はどうにも仕事で手一杯で子供に掛ける目が行き届かない。次男坊でもあるので、一生懸命に家督継がせる為の制限を掛ける事は必要でもない。精々、男の子らしく育ってくれたらそれで充分かなぁ、と。坂本の飛び込みの良さ、というのはやはり年長者に対して父の懐に飛び込む様な、どこか甘えもあってそしてどこか性善説的に相手を信用する所から入る。
二人共、ごく若い頃に特別な経験をした。
高杉など今で言う、ほぼ海外留学。十代後半で既に大陸の様子を直に見れた。この辺りが、当時の長州藩の同年代の列士達と分たれる。一歩二歩、他の者より先の物を見て来ていた。蛇足でこの“ほぼ留学”も甘い父親の努力と周旋で実現した。恵まれた奴だ。
坂本は言わずもがな、江戸への剣術修行という名の遊学。まあ当時、剣の段に掛かる価値というのは人物鑑定上重要なファクターであったからこれはこれで。ただ…殆ど…
“ちくとおんし、江戸でも行ってき”
とお父さんの優しさか?あしゃ中々次男坊の為にしてやれんかったき…なんぞ。まあ又の蛇足で、評者は坂本の江戸遊学は坂本家の家としての意向、詰まりは“才谷屋江戸支店”の為の布石としての種だったのでは?と提唱しているので余り活劇坂本みたく面白く書くのはこの辺りで控えて。
ここまで書いて、どうもまだ高杉は書いて欲しいらしい。数回、この坂本ー高杉で続ける。