🎭小説家のデッサン : 三島由紀夫 二元論(85,764字)
三島由紀夫 二元論
(85,764字)
評論なのか物語なのか、あやふやな幻惑性を求めて
第1章 二元物語
1、
逆バトン、というか。村上春樹、寺山修司と遡る形で進んでいる本テーマ。テーマ三島由紀夫に到達である。
三島由紀夫、この作家には相当数の資料が多い。そして人気が高い。未だに読書人を開拓している。昭和期には人口増の影響でどの分野にも燦然たるポップ・スターが幾人もいたが、文学の分野ではこの人を置いて他にいない、一番星でもあり北極星でもある。唯一無二、大袈裟な語句ではあるが、これがピタリ当て嵌まってしまう、真に真に稀有な人である。
この回はテーマ三島の序になるが、そして毎度の決まり文句で申し訳ないが、筆者実はそこまで三島文学に耽溺してはいない。故に、三島愛読者の方には、本論を読む事を勧めない。以下、最初に三島文学の全体的な簡単な概観。
兎に角、スキャンダラス。これに尽きる。スキャンダラスな風味を求めるのは、一つの傾向として文学上後輩に当たる人々への影響という言葉以上にチャネリング、方向性の道筋付けを整えた、と明言しても大袈裟ではない。例えばだが、前テーマの寺山修司などが代表的な文学上の後輩に当たる。
文章構成力の確かさ。これを否定的に見る向きの批評者を見た事、読んだ事は殆どない。絶対的支持率。そこで筆者自己主張したいが、青年期、思春期と三島を読んでそんなに上手いと思えなかった。一考だが、我々の時代はエンターテイメント、娯楽をほぼ視覚で楽しみ幼年を経る。殊に、三島の幼年時代を鑑みラジオ等の聴覚、演芸等の視覚的体感的な物はそんなに毎日毎度触れる様な類ではなかっただろう。文章を吟味して確かめる感覚自体が大きく違うので、筆者は適切に三島文学を楽しんでいなかったのかも知れない。
故に、前時代は文章で作られる世界が脳内で占める割合が人一人辺りでも大きかっただろう。
煌びやかなデビュー。これは調べれば明治の後一新後の日本文学史上で最も血統の良かった三島由紀夫を持ってしても読んで貰う為の苦しい努力は積んだ事が判るのだが、相当に若い歳で夢が実現出来た、という事はやはり稀であり、ラッキーである。一生積んでも得られない人が毎世代毎世代幾らでもいる訳だから。
狂気の自決。狂気、と符って三島愛読者に悪感情を与えるかも知れない。この人生の最終幕こそ、世代を超えて人々に首を傾げさせたり、その本意に思い馳せさせたりを永続的に続けさせている。
狂気?何故?三島を調べた結果の密やかな驚き。そこから発展して働いた筆者の妄想的推察。この何やら背徳的な感を、僅かにでも伝えられる事が出来るだろうか?
文学だったのか、一人の人間の人生だっのか?彼の過度な二面性、などと臆病に言うのではなく、その二面を提示していくべく、スケッチを進めて行く。
2、
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