🐉衣装歴史学 其の一、坂本龍馬 八十八

八十八、


この捕物事件は現代の感覚に還元して考える事を提唱したい。つまりビジュアル化して………

“京都県警が都内に滞在する危険思想犯と目される人物の逮捕に踏み切った”

“坂本龍馬”は後代我々にとってヒーロー/英雄であり、この時代を象徴するアイコンである。

事実らしい事実を追究する事は、この“箱物”の人物を汚す行為となってしまい、大衆感情から敬遠はされる。何故この講究を続けるかと言うに………

元も苦も無く、現代起こされる“坂本龍馬物語”がつまらないからで。

そしてそれが余りにもステレオタイプ/紋切り型で、調査らしい調査の為されていない、それでいてカリカチュアなまでに達した坂本龍馬像、“ウケる”点のみを掬い出し簡素化・誇張化の過度にさせた昭和の“バラエティ”感のみしか感ぜられないその本に食傷しているからで。

捕物方は令状ありき指示ありきで現場を押さえた。捕縛決行時、これも現代の感覚で当然の数回の質疑応答があった。

坂本の行上

①名前を偽る
②当局同行要請の拒否

と。まあ完全にアウトな。名前を偽った事は、これも改めて時代状況を再考して、本名を知られたらまずい何かがあった訳で。偽名を通り名にして京に滞在していたら、それは少なくとも表を気持ち明るく歩けない身分であった訳で。

資料的情報の混線で、土佐山内家からは既に許し、つまり“脱藩”の咎は既に赦されていたとかいないとか………坂本が街を大腕振って歩けない(実際は何らかの事情で歩けてた)最たる、そして根源的な“公共の安全を害する”と目される因子はこれだろうが、これはこれで甚だ怪しい。京都の政変から蛤までの“思想犯の騒擾”の数件に土佐の者も大分関与してはいたが。

これは確か、である点に、“反乱分子”の割に勝のスクール業務運営上の任務を数件携わっている。勝はお上もお上、政権執行部の人間な訳で。これは当局から疑惑追及が薄くなる第一義ともなり得る、いや成り立っていた。

この捕縛事案のより根本的な当局の落度を模索思考するに………

坂本及び勝スクールの男達を、幕府が放擲した事にある、と提唱する。

勝スクールの本義と言えば、江戸幕府の海軍・海運業の発展で。その為に、まあ大雑把ではあるが“越境的”に各藩から人材を募集して抱えた訳で。付け足しで、薩摩藩士も結構いた。人付き合いの上手い坂本の事だから、西郷というよりもこのスクール時代の輩伝で放校後は薩摩界隈に逃れられたのかも知れない。逸れた、戻る。

つまり………坂本の当局から見たシロとクロの判定点として、幕府内の海運業及び海軍の“重要機密”を“持った”人物が薩摩の界隈に逃げ、そして長州藩と薩摩藩の間の“何か”に介入している、としているのではないか?と。これは元を正して、“坂本龍馬”を放擲した幕府当局が悪い。重要機密を大小知った人間を、安易に野に放した。


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💻WEB文芸誌『レヴェイユ』/編集者 柳井一平
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