東京の記録 一日目
数えてみると、生まれてから10回くらいは引越をしている。ただ、ほとんどの期間は埼玉・東京、二年だけは大阪に住んでいたが、いづれも住宅街の中だった。
長野の山村に来てからも、一年程は駅や役場のすぐ近く、コンビニ・スーパーにも歩いていける距離だったので、本当に地方の辺鄙な集落というのは今年になって始めて住んだ。
車でしか買い物にも遊びにもいけないし、地区の集まりや作業もある。築五十年くらいの粗末な家なので、虫や寒暖差の難も大きい。とはいえ、住むのに不適なのはそれくらいで、眺望は、山の中腹なので、麓の町や山脈が見晴らせる最高の立地だし、人や車通りも少なくとても静か。家の前には庭と畑があって、春は桜、秋はすすきに楓、冬は椿の花が咲く。菜の花やれんげ草など色々な種も秋のうちに蒔いておいた。ちょっとした田舎の民泊よりよほどロケーションはいい。
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今年の東京出張は、常に疲れていた感じがする。
四泊分の荷物をつめこんで、せっかくの東京だからと、予定も詰め込みすぎてしまったのが大きな原因だが、東京に出る電車の中ですでに疲れてしまっていた。
一度埼玉の地元に寄ってからいったので、湘南新宿ラインに揺られること一時間。横並びの座席に、お互い我関せずの顔で列ぶ人々、その後ろに広がる土手や畑の風景は住宅街や雑居ビルに呑まれて、すぐに車内にも人が押しひしめくようになる。身を固くして、その息苦しさの中で待ち、外に出れば街は小降りの雨の中にあった。
神保町で古本屋めぐりをしようとしたのだが、その日は日曜、そういえば日曜は古本屋などほとんど休業しているのだった。それでもいくつか開いている本屋に入って、品定めする。面白いな、こんな本が存在したのか、というような出会いもあったが、古い和書を扱っているような目当ての本屋はやはり休みでいささか拍子抜けした体で、竹橋の国立近代美術館まで歩いていった。途中、実践女子か何かの大学博物館があって、そこでは復職関係の面白そうな展示をやっていることを調べていたが、当然日曜なので閉まっていた。
小雨の中、歩く
皇居への大通りには、
銀杏やプラタナスの並木が
黄葉したり、
枯れ落ちたりしていて、
白々と、
雨の降る午後にも、会館前の
植木には
ホースで水を遣る男がいて、
それがかなしかった。
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常設展にも人混みはあって、興味のある人ない人、案内をうける一群をかき分けて、順路の先に、あ、いい絵があるな、と思ったら、セザンヌの花の絵だった。
それから、
包装箱を切って、小さな木を形作る連作
塩湖の畔で、螺旋形に土砂を埋め立ててゆく映像作品が(映画を観られなかった分)面白くて、
中でも女性と抽象絵画特集の室の、桜井浜江という人の油絵二点はとてもよかった。
お濠を泳ぐマガモが、二羽、三羽
車のゆき交う橋をくぐって、
首都高の下へ
回る
寒々しい午後、
石垣と水の写真を撮った若い男も、
スマホで地図を確認していたらしい女も
少しの間、人通りをそれて
またすぐにもどる
ベンチに座って
夕方になる前の時間をつぶした
鴨は、柳の影になって、
よくみえなかった
友達の家へ。
初めての駅の、知らない土地。
駅前を離れて、住宅街に入ると、坂が多く、歩けば意外に楽しそうな土地だった。
サンデマンというポートワインが印象に残った。ワイン葡萄を作っている仲間がいるので、あとで聞いてみると、葡萄の酸味は上限があって育つほどに減っていく。アルコールになるのは糖分で、糖分は光合成で増やすことができる。夜の気温が低い土地のほうが、夜の活動が制限されて酸味が残りやすく、日当たりがよいほど糖度は高くなるという。サンデマンはアルコール度数19度で、甘さがどこか少し残り、でも酸味もあって甘ったるい感じでもなく、不思議なワインだった。
ジャズ。
ジャズのことは何が書けるだろう。その場で楽しんで聴いて、あとに思想だとか何だとかが残るものもないような選曲なので、どうだろう。
ラム・ラミレスは本当によかった。それから、ファット・キャット何とかというような人がいることがいいなと思った。他に少しはその頃の状況だとか、演奏者の経歴だとかも聞きはしたが、自ら調べたわけではないので、自分が詳しく書くべきことではないだろう。
体は疲れていたし、酔いもしたので、いいな、と思う音はたくさんあったが、それ以上深くも入れなかった。
そうだ。行きの電車内で、向かいの座席に人が列をなして座っている、それを見るだけで、すでに疲れてしまっていた。
川沿いに
白い街灯が並び、
それが湾へむかって、
朧に消えてゆく
霧の中にたつ、
いくつかのマンション群
灯りが列び、そこには
それぞれの世界が
ひとつひとつ並んである