惚れたもんだから仕方ない
やっぱり何をどう考えてもアイドルという職業は狂っているとわたしは思うし、わたしの好きなアイドルたちもみんなそれぞれに狂いながらアイドルをやっている、やっていた…と思う。
あの脱退発表の日から、「そっか…」としっかり腑に落ちているようで、やっぱり考えないわけではなかった「なぜ錦戸さんはアイドルを、関ジャニ∞をやめたのか」を十五祭の盤を見てまたぐるぐる考えてしまう。めちゃくちゃかっこいいのに、めちゃくちゃいいと思えるのに、錦戸さんはここじゃダメだったのかな。
まあ、ダメだったってことだよな。
結局のところ何があったのかとか、まあすばるくんがやめてなければ錦戸さんはやめなかっただろうなとか、邪推はいくらでもできるのだけれど。
でもね、彼らの仲が良かったかどうかではないのと同じように、何が原因だったか、の話ではないと私は思っていて。これはあくまで「私の」解釈ですが、もしどこかから時を戻すとかなんとかしてやり直せるとしても、関ジャニ∞はきっと同じ道を辿るんだろうな、と思うんですよ。6人最後の地・東京でのみ披露された蒼写真の歌詞がそうであったように。
そしてもっと言うと、関ジャニ∞に限った話じゃないじゃないですか。
みんなずっと必死でやってきて、同じ方向を向いて走って、どこかしら「たどり着いた場所」があったとき、
どのグループだってずっと同じ人数で、ずっとおなじかたちでやり続けることはめちゃくちゃ難しいことだって、きっとみんなわかっていて、わたしも思い知らされたようなところもあって、
それでも私は一回り下のグループに今またズブズブなんだもんなあ、なんて。
錦戸さんの誕生日に、錦戸さんの出身地である大阪に集まって十五祭の盤を一緒に見た、同じく錦戸さんが好きな友人たちといろんなことを話しながらそんな考えがよぎって、ぐるぐる考えながら東京に帰る夜行バスに乗った。
でも、東京に着いて、思い出したんだけど、そういうことではなかったんだよな、全部。
だってまず、錦戸さんが、関ジャニ∞が、今までした選択を寂しく思ったり悲しく思ったりしたことはあったものの、それらによって応援していなければよかったとかこんなことなら知らなければよかったとか、そういう風に思ったことがなかった。どうしたって結局好きで、好きだったから気づいたら受け入れられるようになって、やはり好きだと思うから今まで応援してきたわけで。もしかしたら今回の決断によって、錦戸さんへの応援の仕方が変わるという可能性はある(まだソロとしての活動を見ていないのでわからないなというはなし)けれど、その時はその時だし、もしそうなっても好きだった日々を後悔することは絶対にないって言いきれる。
そして、今私がずぶずぶであるところの一回り年下の彼らだって同じで、未来に何が起こるか知れないとかそういう問題じゃなくて好きだから…なんだよな。好きだから。今、好きだから。その気持ちが続いていった先に何があったとしても、きっとその時も好きな人のする決断を好きだと思うんだろうな、だから、「永遠」がないことは今好きでいることをあきらめる理由になんてならないな。
好きでいるのをやめられる気なんて1ミリもないくせに、だから好きなくせに、ぐるぐる考えてしまうときはやっぱりあるもんだな、なんて思いました。
「永遠」は確かにないけれど、「永遠」を信じるその刹那にきっとそれは存在している…と思います。だから今を、この刹那を大切にしたいね。
なんて少し考えたことをあえて残しておこうと書いてみました。オタクとして生きるスタンスが、イッツマイソウルのサビに他ならないなと改めて感じた。惚れたもんだから仕方ないね。これからも好きでいさせてください。