邯鄲の夢

初めまして

文章を書くに至るまで

noteはこれまで好きな文章を見つけては読むにとどめていたが、今日はじめて筆を執ってみた。
先日、祖父が亡くなり親戚一同でをお葬式をあげ、それからいろいろなことが頭をめぐります。
政治、経済、世界情勢、美術、音楽、芸能、文学、旅、生活、食事、健康など、割といろいろなことに関心や意見を持っているほうだとは思うが、それをまわりに共有したり、話したりすることが実はあまりない。
人間の実体は現物たる身体だが、その人が単にhuman beingだったのじゃなく、じゃあ「その人だったこと」は、本人がいなくなったあと一体どこに残るのだろうってことが頭から離れなくなった。本人以外の中にしか残らないんじゃないかな、なんてことを思った。
日々感じ、思い、考え、生きていること、そのほとんどをともに共有しているパートナーがもしも自分より先にいなくなってしまったら、生きてきた時間ってどこに残るんだろうと。急に不安になってしまい、ここに文書を記していくことを思いついたので、これから書いていってみます。
人はなにか問題を抱えたとき、解決のために摂取や吸収をしようとするんだよね。でも実は消化・吐き出しも必要かも、文書を書くって、吐き出すことでもあるかと思い。

自己紹介

関東出身関東在住。女。会社員。中道リベラル。学生時代の専攻は法社会学。肩書の紹介って面白みがない。何万人もいそうな逆個性。
欠かせない行為は料理です。パートナーがトレーニーのため栄養は最優先。ビタミン、特にB3のナイアシンは心と肌のためにも欠かせない。不眠症なので、鉄・GABA・melatoninも欠かせない。最近最もはまっている食べ物は、舞茸。舞茸を洗わずに(焼いたときに水が出ないようにするため)多めのオイルと塩で強火でしっかり焼いたものに、バルサミコまたは赤ワインビネガーをかけて食べるとおいしい。意識が飛びそうなくらいおいしい。
美術鑑賞、彫刻もやっており、また後々書こうと思う。

邯鄲の夢

今日のトピックは、タイトルの邯鄲。
邯鄲は能の演目の一つで、次のようなストーリー
「盧生という若者が邯鄲に向かって旅をしていた。途中のある町で宿泊するとき、宿主が、飯ができるまで一休みするようにと枕を貸してくれた。盧生が枕をあてると、すぐにうつらうつらし始めた。夢の中で、地位も名誉も財産も持ち、大きな屋敷住んでいる自分自身の姿、50年にわたる波瀾万丈の成功物語を見ていた。
「食事ができましたよ」。盧生は目を覚ました。その途端、今まで見ていた何もかもが消え、そこにいるのはただ自分自身であった。」
眠って起きて栄枯盛衰のはかなさを悟る盧生は、人生をどう生きるべきかの苦悩を抱えながらも、邯鄲の枕によって悟りに至った晴れやかさを感じることになります。
瞬きするうちに世界の何もかもが変わっていくようなこの時代、生きながらそんな夢を見ているような人生だということを感じざるを得ません。

諸行無常という言葉があるように、世の中は常に変化に満ちて何もかもが変わっていくようだけど、世界を構成する要素って、色の3原則、118の元素数みたいに、実はほんのわずかなものしかなくて、そういう本のちょっと要素の無限の組み合わせと無限の現象のみによって出来上がっているんじゃないかなって感じる。正義・善意・悪意・愛情・欲望、みたいな。じわじわと紐解いていきたいな。



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