もう親孝行できない娘の備忘録 1

断り書き
この備忘録はノンフィクションですが、文中出てくる固有名詞は全て仮名です。また、特定を避けるため多少ぼかして書いている部分もあります。あらかじめご了承ください。

はじめに

今年はコロナ禍の影響で特別な夏、忘れられない一年になる人も多いと思う。私と私の家族にとっても、2020年という年は特別な夏であり、忘れたくても忘れられない、忘れてはならない一年になりそうだ。

迎え盆、祖父母の墓前で

2020年8月13日午後4時20分頃、エアコンの効いた自室でうとうとしていた私を起こしたのは、母からの電話であった。この日は迎え盆だったため、両親はお墓に行っていた。

「お父さんがひっくり返って、後頭部を打った」

母の連絡を聞いてまず思い浮かんだのは「またか」という呆れの感情だった。父は今年の1月にも新年会の帰りに歩道で崩れ落ちて前頭部を打ち付け、救急車で搬送されたのだ。その時は私が付き添い、歩道に血だまりを作った父をかなり心配したものだった。

父は過去に何度か転倒している。
父は身長が180cmあるのだが酒飲みかつ美食家で、お腹が臨月の妊婦さんのようにぼっこり出っ張っていた。更に加齢と運動不足で足腰が弱くなってきていた。それゆえ重心の位置が高く転倒しやすいということに、本人が気づいていたかは定かではない。とにかく庭や寝室、ゴルフ場の風呂場などで幾度となく転倒していた。一度頭を打った時はさすがに脳外科の病院で精密検査をしたが、その時は異常はなかったという。

1月の転倒では、膝から崩れ落ちるように倒れたため衝撃が多少緩和され、打ったのも前頭部、そして血だまりができるほど出血したこともあり、顔や腕、膝などに挫傷を負ったぐらいで済んだ。不幸中の幸いだった。ちなみにこの時は本人が知らずインフルエンザに罹患しており、その上で新年会でお酒をしこたま飲んだのでへべれけ状態だったのが原因と思われる。救急センターで父の乗った車椅子を操りながら、私は盛大なため息をついたものだった。

だから今回も、そう重く受け止めていなかったのだ。
父の保険証と高齢受給者証、そして万札と自分のスマホを手にして私はお寺へ走った。が、途中で母から連絡が入り、C病院に搬送される旨を聞き、一度自宅へ戻った。この時私はマスクをつけておらず、その上部屋着で飛び出していたので身なりを少しだけ整え、タクシーでC病院の救急搬送口へ向かった。

最後の言葉

付添人の控え室で、母が私を待っていた。
「お母さん、麦茶持ってこようと思ったんだけど忘れた。ごめん」
喉が渇いているだろうから、自宅の冷蔵庫から麦茶のペットボトルを2本出して、そして玄関口に忘れてきてしまったのだ。代わりに自販機で買ってきたお茶を手渡す。そして父の状況を聞いた。
我が家のお墓は菩提寺の隣の敷地に建っている。コンクリートの土台が約80cm程度、その上に御影石の大きな墓石に戒名を刻んだ石碑、卒塔婆を立てる台、お花やお線香を供える台などがある。墓石を掃除する時は土台の上に登って行う。「今日も暑いから」と墓石にお水をかけるため、父は土台に脚をかけて――踏ん張りきれなかったようだ。己の巨体を台の上に上げられず、バランスを崩し、真後ろに倒れた。
どん、という鈍く大きい音がしたそうだ。土台と同じコンクリートで固められた地面に、勢いよく後頭部を打ち付ける。
母はすぐ父の体を起こそうとして起こせず、ひたすらに話しかけたが応答はない。たまたま側にいた別の檀家のご家族が救急車を呼んでくれたとのことだった。
「意識がないのか……血は出た?」
「ううん、出てなかった」
出血がないというのが気に掛かった。頭は血がいっぱい出るようにできている。だから体外への出血はよほどの量でない限りそこまで心配することはないのだ。だが、頭蓋内に出血が出ると危ない。
「意識がないのは脳しんとうを起こしてるとして、最低24時間は急性硬膜外血腫か外傷性くも膜下出血のリスクがあるね……」
「あの時、あっ危ないって思ったのよ。ちゃんと止めていればよかった」
「起こってしまったことはしょうがないよ。ただ、今度からは脚立を必ず持って行くこと!もしくは私を連れて行くこと」
そんなことを母と会話しているうちに、処置室へと呼ばれた。

ストレッチャーの上の父は、デカい脚がはみ出しかけていた。
ぼんやりと目を開けていた父は状況を把握していないようで、しきりに手を動かしていた。
「お父さん、大丈夫?頭痛い?」
大丈夫ではないと解っているのに、なぜ人は大丈夫かと訊いてしまうのだろうか。
母や私の問いかけに父は答えず、ひたすら手を動かしている。
「どうしたの、痒いの?」
ややあって父が口を開いた。
「おしっこ、したい」
そりゃ大変だと看護師に事情を説明し、私と母は処置室を出た。
控え室でしばらく待った後、再び看護師に呼ばれた。
「N村さんのご家族の方、お入り下さい。先生からお話があります」

迎え盆の日にお迎えに来ないで

「脳挫傷です」
CT画像を指し示しながら、M医師は言った。
母も私も言葉を失っていた。まさかそこまで大事だとは思っていなかった。
「脳挫傷…ですか」
母の動揺が酷いのを肌で感じながら、私は口を開いた。
「手術するんですか?」
M医師は首を振り指で画像を指す。
「N村さんの場合、このように細かな出血が広範囲にわたってあります。これは手術で取り除くような大きさではありません」
「これはさっき撮ったやつですよね。この出血が大きくなる可能性は?」
「今はないとは言えません。出血が頭の中に溜まると取り除く必要があります。中等度以上の怪我です。一晩様子を見て、また明日CTを撮ります。今夜が一つの山と考えて下さい」

病棟の談話室で、看護師から説明を受けながら私と母は入院手続きの書類を書いた。明日持ってこなければならない物や書類の確認、やらなければならないものはたくさんある。ぼーっとしている暇はない。

自宅に帰ると、玄関先で2本の麦茶のペットボトルが私を待っていた。一つため息をつき冷蔵庫に放り込む。母は迎え火用の素焼きの皿を手にしていた。
「迎え火、やるの?」
「一応ね」

庭でおがらに火をつけ、燃える火を2人で眺める。

「迎え火だから来てもいいけど、連れて行かないでよ」

心の中で、一昨年他界した祖母に向かって祈った。
病院を去る前にも父の顔を見た後、何もない空間で「連れていかないでよ」と手を払うように振っていた。
この病院は祖母が旅立った場所でもあるので、なんとなく嫌だったのだ。
私は霊的なものを感じる能力はないし、特に信じているわけでもない。
こじつけだと解っていても、それでも何かの符合のように不吉に思われて、嫌だった。

翌朝目覚めて、家電にも携帯にも電話がかかってきていないことを確認し、私と母は安堵した。

とりあえず、山は越えたようだ。


―― 2に続く

いいなと思ったら応援しよう!