もう親孝行できない娘の備忘録 4

落下

N病院は「頭の病気だったら何でもござれ」という脳に特化した病院で、以前父がゴルフ場の風呂場で転倒して頭を打った時に、念のため診てもらったことがある。だから当時のカルテがあるのだ。
私はすぐさまセカンドオピニオンの旨をC病院に伝え、CT等の画像データを用意してもらい、母と二人で指定された日にN病院へ向かった。

その日はとても晴れていて、残暑というにはあまりにも日差しが強く、熱中症情報も厳重警戒レベルだった。
標高が高いので、待合室から遠く海も見えた。
時間的に午前の診察が終わった頃だろうか。ようやく名前が呼ばれた。

対応してくれたのは年配の医師で、廊下に貼ってあった名前欄の下には理事長と書いてあった。偉い先生だからか、私のようにあまり物怖じせず医師にも質問攻めする患者や家族に慣れているようだった。
その理事長医師は、はっきりと言った。

「私は患者さん本人は診ておらず、C病院から送られてきた書面とこの画像データしか見ていません。その上でセカンドオピニオンですからはっきり申し上げます。
N村さんの状態は重傷です。年齢的なことを考えても、回復は難しいでしょう」

「えっ」

冷や水を浴びせられたような感じとは、こういうことなのだろうか。
私も、そして母も、文字通り凍り付いた。

「あの、悪いんですか。重傷って」

理事長医師はCTの画面を指さしながら言った。

「このように損傷が広範囲に渡って出ています。一番最初に撮ったもので前頭部にも損傷が出ていますから、よほど強く打ったのが判ります」

「前頭部? 打ったのは後頭部なんですが…」

母が不思議そうな声を上げたので、私は隣で囁いた。

「脳は水入れたタッパーの中に浮かんでる豆腐みたいな状態だから、片方強く打ったら揺り返しで反対側も打っちゃうんだよ」
私の声は少し震えていたように思う。

「この画像を脳外科医が十人見たら十人が重傷だと答える。そういう状態です。…C病院じゃ、M先生以外の人?」
「いえ、搬送された時からM先生が診てくださってます」
「そうか。あの人あそこの脳外科で一番長いんだけどな…ショック与えないように遠回しに言ったのかな」
一人言のようなつぶやきはもはやどうでもよかった。
その後どんなに私が食い下がって色々質問しても、返ってきたのは父に回復の見込みはほとんどないということだった。
車椅子に座って生活できるなんていうのは奇跡的な確率で、意思の疎通なんてもってのほか。

例え目を開けることがあっても、手を握ったら少し握り返すことがあっても、
一生、植物状態。

帰りは私も母も終始無言だった。

酸素

一度帰宅して休憩を取り、今度はC病院へ向かった。
M医師にセカンドオピニオンの結果を伝えると「そうですか」と肯定とも否定とも取れない曖昧な返事で、でも否定をしないということはやはり父は搬送された時から重傷だったのだろう。それを一週間、あと一・二週間とのらりくらりと躱されてきたような気がしてしまう。
父はここ二日ほど酸素マスクを付けていた。鼻のチューブ式ではなく、マスク。体も横向きにされていたので看護師に訊いてみたところ、やはりサチュレーションの値が低いのだという。

「肺炎かなにか起こしているんですか?」

発熱もしているので私はそれを一番危惧した。

「痰がたくさん出ているからその可能性もあるのだけど、N村さん体が大きいから自分の重みで気道や肺が潰れ気味で上手く酸素が取り込めてないみたいなのね」
「だから体が横向きになってるんですか」
「そう。仰向けだとどうしてもね」
私は心の中で頭を抱えた。
酸素を取り込めないというのは、脳にとって一番危険だ。 
M医師からもその話は出ていた。

「状態が悪いと今夜にでも気管挿管ということになりますが、よろしいですか」
「はい」
「人工呼吸器を付けるか否かを、できるだけ早く決めておいて下さい」
「……はい」

私は父のベッドの傍らでうずくまっていた。涙が止まらなかった。
ただ、4人部屋なのでおおっぴらに泣くこともできず、鼻水をすする音とえぐっ、えぐっ、としゃくる音、ひっ、ひっ、という肺だか気道だかから漏れる音が合わさって、なんとも耳障りな音を体から発していた。
「アキ、そんなに泣かないで。目が溶けちゃうよ…」
「ごめ、ん」
泣きたいのは母だって同じはずだ。たぶん私よりもずっとつらい思いをしているはず。なのにどうしても私はすぐ泣いてしまう。涙を瞬時に止める方法はないのか。考えなくてもいいことを延々と考えてしまう、そんな思考を即座に遮断する方法はないのか。

父の手は冷たく、それでいて体は熱い。熱を発散させる機能が上手く働いていないのだという。末端の血の巡りが悪いのは、あまりよくない。

バス停から家まで、私と母は指を絡める手繋ぎをして帰った。
確かなぬくもりがなきゃ、支え合わなきゃ倒れてしまう気がしたのだ。

人工呼吸器

もう夜という時間帯だったが、自宅に叔父夫婦を呼び出した。
父がこういう状態である以上、父の唯一の兄弟である叔父には伝えなければならない。

やはりというかなんというか、叔父嫁がべらべら一方的にしゃべる展開で、叔父は言葉少なだった。
「お義兄さんまだ若いんだから」と繰り返し言う叔父嫁だが、世間的に見れば父はもう"若い"年齢ではない。
叔父嫁は好きなだけしゃべって、結局は己の意見すら述べずに父の人工呼吸器についてはうちの家族に任せるということだった。
責任を取りたくないんだろうな、と思った。
別に責任を取らせるつもりは毛頭ない。ただ、父と血の繋がった叔父が本当はどう思っているのか、もう少し意見を掘り出して聞きたかった。

M医師が言うにはもし父がCOPD等の呼吸器疾患だったら、人工呼吸器を付けても復活する可能性はあるという。
しかし脳挫傷で、酸素レベルが下がった場合に人工呼吸器を付けるというのはほぼ生命維持と同義であり、脳の機能が回復するということは期待できないそうだ。
つまり、装置に繋がれてかろうじて生きながらえているだけ。
果たしてそれは「生きている」と言えるのだろうか。

「お母さん、私は人工呼吸器は付けなくていいと思う」
私は自分の意見を母に述べた。母は少し驚いた顔をしていた。
「あとはヒロキが帰ってきたら聞かないとね」
「そうね、お父さんに会わせたいし」
兄弟は夜勤の仕事をしているので生活時間帯がずれている。けど、次にシフトが休みの時にはさすがに病院に引っ張っていかなきゃと母は考えていた。
「…ヒロキが何言うかわかんないけど、人工呼吸器の最終決定権はお母さんにあるからね」
「えっ」
「私は人工呼吸器を付けるべきではないとさっき言った。けどこれはあくまで私の一意見。そしてヒロキが何を言うかは私は知らない。けれど、子供達がこう言ったからって多数決で決めるのは絶対にやめて。お母さんはお母さんの答えを絶対に出して」
「そんな…」
「おじいちゃんの時、人工呼吸器を付けるかどうか、お母さん達兄弟はおばあちゃんに託したんでしょ。それと同じだよ。子供達が何て言おうと、お父さんに関してはお母さんが責任を持って決めて。お母さんが決めたことなら私もヒロキも反対しない。他の誰が反対しようがそんなの私が全部ねじ伏せてやるから。だって、お父さんと一番長く一緒にいて人生歩んでいるのはお母さんなんだよ? 誰にも文句言わせないよ」
「…わかった。でも、もう少し考えさせて」
「うん」

自室へ戻り、ボロボロ泣いた。しばらく涙が止まらなかった。
まだ八月。エアコンがないと過ごせないほど気温は高いまま。
父の事故からたったの二週間。ずいぶんと遠いところに放り出されてしまったような気がしていた。


――5に続く

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