五月雨、噎び泣く【3】
◆弐◆
優しく微笑んでくれていた母がいない。
あまり逢えなかったけれど、それでも同じ空の下で生きていてくれることは、幼い靖秋にとって大きな拠り所だったのだと、母が死んでから理解した。 胸のあたりにぽっかりと穴があいてしまったみたいで、靖秋は来る日も来る日もぼんやりと過ごしていた。
いっそ、屋敷を飛び出してしまおうか。
頼れる人もいないけれど、それでもこの窮屈で空虚な屋敷にいるよりは随分と良いような気がして、靖秋は屋敷を出奔することを本気で考えはじめた。
しかしそんな折、靖秋に未曾有の事件が訪れる。
「だ、旦那さま…、おやめくださいッ!」
若干八歳の靖秋には天地が逆さまになるような出来事だったといえよう。
育ての父である藤志朗の寝室に呼ばれ、起こったそれは長く苦しい夜の出来事だった。
起こっている間は何が何だか見当もできず、恥も感じぬままに靖秋は肢体をまさぐられ、逃げまどうもそれは許されはしなかった。
藤志朗の皺がれた手で靖秋のまだ何の意味も持たぬ性器は扱かれ、ただただ生理的な嫌悪だけが込み上げたという。そして尻を揉まれ、そこで靖秋は泣いた。そしてそのまま子どもの身体は純情と共に引き裂かれ、夜明け頃には藤志朗と交わった。
君寵と呼ぶには度を超えた、まさしく獣が弱者を仕留める狩りに近い行いだったという。
小さな身体に何の抵抗ができただろうか。そしてこの行為は一体どういうことなのだろうか。幼かった靖秋には理解できず、されるがまま藤志朗に弄ばれたのだった。
「靖秋、是で君は今日から僕の子どもだ。いいね? 僕と花江の子だ」
疲れて眠った朝、目覚めると藤志朗はやさしげな声でそんな恐ろしいことを言った。
そのときに初めて、靖秋に動物的な本能が宿ったといえるだろう。靖秋は一生、藤志朗からは逃げられないことを本能的に悟ったのだ。そして逆らえない事を身を持って知ったのだった。
その頃の藤志朗は、四十を過ぎた頃とはいえ、老いなどを一切感じさせない麗人のごとき素顔をしていた。
気品は女よりも勝り、笑顔は甘ったるく、肌は白く、静謐な瞳が美しさを誇示し、まるで彼自身が薔薇か何かであるように、美しさを幾重にも纏わせて西薗家に君臨していた。
「旦那さま…」
「君は本当にますます花江に似ている」
そして愛していると小さな身体は再び抱きしめられた。
是はなにかの幻想に違いない。生きるということはまやかしなのだと、靖秋はそう強く思い――――そして笑った。