写真に取らない=残さないから綺麗なものもある
スマホ社会
料理の写真
友人との写真
旅行先での写真
遊んでる時の写真
海の写真
夕日の写真
etc...
殆どのデバイスにはカメラが搭載されていて
いつでもカメラに残すことが出来る
自分ももちろん写真を撮りますよ
でも写真に残さないから
いつまでも自分の中で綺麗なものって
あると思うんです
例えば皆さんが好きな人と出会った時のこと
初めは向こうから声をかけてきた
そこが出会いだったとします
その後も連絡をとり
いい感じになった
出会った日の写真とか
なにも持ってないね〜
だからいいんです
全部デバイスに残ってないから
いいんです
時間の経過とともに人の記憶は
薄れていく
記憶も曖昧になってくる
その人と出会った日
眼鏡をかけていたかどうかも
わからなくなるほど
人の記憶は曖昧
でも思い出せないから
考えて
思い出そうとして
思い出すことに価値があることって
あると思うんです
写真を見返して
この時懐かしかったね〜
って話するのもいいけど
でもその後何処行ったっけ?
って思い出す時間に
価値があると思います
この記事を書いて何を言いたいかと言うと
全て鮮明に残せて
全て見返すことが出来る時代
それは生物としての本能や
大切なこと狂わせる原因の1つかもしれない
ということです。
「全て残す」
でなく
「自分の中に残っている」
意図的に残すのでなく
残っている
自分はこの
「残っている」
が多い人生にしたいです
時間が経過したあと人生を見返した時
どれだけ大切な綺麗なものが
自分の中に「残っている」か
これがとても大事なのでないかと思います
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