3.11
3.11
12年前生後8ヶ月だった長女は
もうすぐ小学校卒業。
この12年で、
わたしの髪の毛がうまく巻けてお出かけしよう
と誘うと、え。。。て嫌な顔する人が一人増え。
ママ、かわいいよ!と言ってくれる人が、もう一人増えた。
どこかのトイレで撮ったパーマ風に巻けた頭のわたし
月日は流れた。
津波で流された我が家の車は帰ってこないが、
生後8ヶ月でまだ離乳食食べて、オムツ履いてバブバブしてた長女はもう12歳。抱っこしてた人の足のサイズはわたしより大きい。
停電した夜はろうそくの灯りの中たらいにお湯を張り、長女を行水させた。
明日にも水道が止まるかもしれない、夫の職場はどうなる?不安の中、長女はつたい歩きをマスターし、家族に喜びをくれた。
長女の成長、笑顔がわたし達の希望の光だった。
毎年この日を迎えると上記の記憶が蘇る。
忘れて過ごしていても
この日が来るたび、また思い出す。
子供達は当時のことを勿論知らない。
テレビや学校でこの時期になると防災の知識、備えの話が出てくる。
わたし達に震災当時の話を聞いてくる。
毎度同じ話をしているが、もう聞かないで、話したくない、とはならない。
自分自身が経験して、忘れてはいけないと意識しているからだと思う。
戦争当時の話をしてくる祖父母と似ているなと気付かされる。
話される側は聞きたくない話ではあったが、
祖父母からしたら、戦争の経験から得た事を語り繋いで欲しかったのかもしれない。
それは、「二度と戦争をしたくない」という願いからだったのかもしれない。
わたしも子供達に話す度、
あんな大きな震災はもう二度と起きて欲しくないと心から願っている。
3.11
この日がくる度思い出す。
それでいい。
それでいいんだ。
と、毎年思う。
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