【作業日誌 #01】2023/01
▼ふりかえってみて
昨年末もギリギリまで仕事をしていたせいもあってか、沈んだまま浮上できずに終わった1月だった。二度も外泊を伴う用事があったのもあり、仕事も思うように進められず、その影響でメンタルも常に下降気味だった。人生に行き詰まりを感じるので、そろそろ今いるところから脱してみたいような気もする。人と関わるのが億劫になってきたり、心や感情がコントロールしづらくなってきていて、いろいろ危険信号な気がしている。そんな感じで仕事と生活は総じてbad。
時間を見つけてインプットすることは多少できたが、音源制作に向かえるほどのアイデアはまだ固まらない。中旬以降、一旦ニューエイジ的なものを作ってみようかと考えはじめる。しかし90sテクノを聴いているときが今はいちばん調子がいい感じなので、どうも気持ちがドライブしない。自然と宇宙、瞑想と実験のあいだで、ニューエイジなのか、アンビエントなのか、テクノなのか、とにかく何かしらかたちにして、人生をいい感じにしていきたい。
・2023/01/01〜2023/01/06
年末年始、現実逃避するためにネタ番組を見ていた。やっぱりまだちょっと、ウエストランドのM-1優勝のことをどこかで考え続けている。
彼らが受け入れられる/受け入れられないというより、「あれはナシ」と簡単に言ってしまう状況になんとなく怖さを感じる。自分も第一印象は「これどうなんやろうか」という感じだったけれど、よくよく考えてみると、他者への寛容性の欠如というか、「それもう放っておいてくれよ」って感じというか、単にこの世の中やある種の人たち(それもさまざまな)のことを口悪く罵ってる姿を戯画化しただけなのではないか、というところに自分は行き着く。
やっぱり完全にどうかしちゃっている人を演じている井口に逃れがたく自分を重ねてしまうし、井口を否定することは、そのままウエストランドのネタに感じた嫌悪感を自らなぞっているいるようにも思う。
「こんな窮屈な時代なんですが、キャラクターとテクニックさえあれば、こんな毒舌漫才もまだまだ受け入れられるんだなと、すごい夢を感じた」という某氏のコメントがどこかズレているように感じるのは、井口自身が窮屈な時代を体現していて、どうかしちゃっている人を演じることで、「共通の正義」、あるいはぼんやりとした良識みたいなものに対して疑問符を投げかけている、と自分が考えているからなのだろう。
けれどテレビではやっぱり、ウエストランドは「悪口言って日本中に敵を作ってる」みたいな感じで扱われてる、気がする。彼らの存在をなかったことにするのは、ウエストランドを否定する人たちにとっても望まない状況を生み出してしまっているのでは、なんて思ったりもする。
そんなことを考えたり、考えなかったりして過ごした年末年始だったけれど、初詣(深大寺)にはちゃんと行ったし(おみくじは吉だった。「謙虚に生きよ」とのこと)、長野に挨拶にも行き、まともな30代もやった。諏訪大社は上社に行ったので、次は下社に行きたい。
年明け最初の映画は『THE FIRST SLAM DUNK』。これが映画かどうか、というのは意見分かれるところだろうけれど、めちゃくちゃ素晴らしい劇場体験だった。あと年末から見てたアサイヤスの『イルマ・ヴェップ』もおもしろかった。
・2023/01/07〜2023/01/13
年末年始ゆっくり読んでいたele-king vol.30「特集: エレクトロニック・ミュージックの新局面」は、自分の2022年の音楽的関心に非常に寄り添ってくれるものでとても豊かな読書体験になった。
随分前にele-kingを通じて出会ったMoodymannのセルフタイトル作を買ってはみたものの(当時はぎりぎりストリーミングなんてものがなかった)全然理解できずに、「この雑誌は自分のためのものではないんだな」と思ったことを思い返す。そう思えば、自分もずいぶん変わったのだなと感慨深い。
コロナ禍の初期に突然、アンビエントやエレクトロニックミュージックがリアルなものとして受け止められるようになったことは、自分にとって自分にとって静かな革命だった。探究心を持って音楽を好きでい続けられることをとても嬉しく思う。2023年は探求の成果として、自分の視点と人生の記録として、何か残せたらと思う。
日曜は『ケイコ 目を澄ませて』を立川で見た。三連休最終日の月曜は久野さんとお茶して、WWWの浮さんのライブへ。火曜は朝から君島さんの撮影、夜は飯田橋のロイホで宮原さんと会って話した。
それぞれ道は違えど、自分の信じるものを持っている人たちと話したり、作品に触れると安心する。そしてコロナ禍に仕事以外でいかに人に会ってなかったのかを実感する。でもそれがよかったんだとも思う。なんかいま、おもしろくなりそうな気がしてる。
水曜から約2年半ぶりに帰省。2日間観光して、週末は法事の予定。母が元気そうでよかった。
高校卒業まで過ごした部屋で、作業BGMとしてアンビエント・テクノなどをかける。東京だとしっくりくるサウンドも、このど田舎だと全然ハマらない。人格形成の時期を過ごした場所だからこそ、ノスタルジーバイアス的な主観的な要因もあるような気がするけれど、同じ時代、同じ国、同じ人間であっても、ここまで音楽の聞こえ方が変わってくるのは不思議だし、こういったものを飛び越えて訴求できるようなサウンドこそがポップなのだろうか、なんてことを思う。
これとか自分が生まれる以前の作品なのに、実家で聴くと、どこか古ぼけた未来的な響きが感じられる。東京で聴くと単に80年代や90年代を感じるところなんだろうけど。
カントリーサイドにアンビエントは不要、というのは、なんとなくそうなのかもしれない。アンビエントはやはり都市の音楽であり、都市のなかで自然を体感するためのものなのだろう。なんとなく『Ambient 4: On Land』を再生してみたら悪くなかった。でもここで聴く必要あるんか、とも思う。この場所にあう音楽とは何だろう。
木曜は朝から温泉に入り、昼前に霧島神宮へ。参拝をすませ、鹿児島市内へ向かう。夕食などすませ、音楽をまた聴いてみる。鹿児島市内は自分の生まれ育った町よりもはるかに都市部ではあるけれど、やっぱりどこかアンビエントはハマらない。気温が1月にしては高すぎるせいもあるのかもしれない、にわか雨が降って湿気もひどい。
試しにBurial『Antidawn』を聴くもダメだった。醒めてるのか、暑苦しいのかよくわからない聴感だった。東京だとそんなこと思わないのに。逆にmúmとかどうなんだろうと思って聴くと悪くない。ジム・オルークも聴いてみたけどよかった。
ジョン・ハッセルを聴いてみたら、ここ数日で一番ハマった。でもそれは旅先バイアスも大きそう。それか属性みたいな話なのか、水や風ではなく、ここは火や土がよかったりするのかもしれない。東京だとやはり水や風だろうし。
金曜は指宿に砂むし温泉へ。サウナともまた違う新種の体験だった。天気のいい日にまた来たい。
・2023/01/14〜2023/01/20
土曜は鹿児島観光最終日。鹿児島近代文学館に行き、白くまを食べた。文学館は刺さりまくりで来てよかった。小学生のときに来た気がするけれど、郷里ゆかりの芸術家たちの偽らざる言葉との再開に勇気をもらえた。
「藝術を生むものは愛である」有島武郎
「人間も、藝術も、燃えてこそ人々はそれに引きずられて行くのだ」山本實彦
「自らの足もとをたゞ一身に耕せ。茨の道を歩め。貧しくとも魂に宝玉をちりばめよ」杉田久女
「作家として生きて行くかぎりそれは死に至るまでつゞく。血みどろな戦ひだ」海音寺潮五郎
「作家は、永遠にその作品の中に生きつづけるために、その孤独という当然の犠牲を支払うのではあるまいか」福永耕二
「故郷の山や河を持たない東京生まれの私にとって、鹿児島はなつかしい『故郷もどき』なのであろう」向田邦子
「鹿児島という所は、ロマンの霧の立ちこめている所であり、古代ローマを思わせる国である」椋鳩十
会ったこともない、もういなくなってしまった人たちの言葉に勝手に共感し、親近感を感じる。
観光が済んで、母と挨拶。最近は読書に凝っているらしい。YouTubeで陰謀論にハマらず、ずいぶんと健康的で安心した。挨拶を終え、翌日は法事。叔父らと会うのはこれが最後の可能性であることを思うと、自分もずいぶん歳を重ねたことを実感する。
叔父たちとビールを飲み交わし、日付が変わるくらいの頃合いに外に出てみる。光の弱い星もかなり数を目視できるほどの星空。車社会がゆえ歩行者を考慮したわけではない、やけに間隔の空いた申し訳程度の街灯の光は頼りなく、都会の日常を埋め尽くす車の走行音すらも遥か遠い。真夜中の田園地帯は原始的な恐怖を掻き立てる(自然が見せる現代のサイケデリック体験……)。
翌日曜、親戚の集まりすぎた法事をなんとか乗り切り、月曜の夜に東京へ戻る。飛行機のなかで東京は自分にとって帰る場所なのか、などと考える。多分そうではないのだろう。かといって、鹿児島もずっと身を置きたいと思える場所ではないし、我が人生の頼りなさを思う。
そういえば鹿児島に行くときに持って行った吉村弘の『都市の音』が面白い。旅行しながら、電車のなかや実家、祖母の家、ホテルや飛行機のなかなど、移動しながら読んでいたのもあって、アンビエントがなんたるかをある種体験するような時間を過ごせた。読み終わったら何か書き残そう。
火曜と水曜はカネコアヤノの武道館公演。弾き語りでもバンドでも、5年前に初めて聴いた歌がこんなにでっかく響いていることに感動させられた。その一方、我が人生の立ち行かなさに打ちひしがれる。ともあれ、武道館は何度来ても不思議な気持ちになる。
今週は取材など人と会ったり、現場に足を運ぶ時間が多く、なんだか常に緊張感を感じていた。リモートワークに慣れすぎたのか、時間と体が拘束されることの億劫さからか妙に疲れる。
木曜の夜は久しぶりに家でテレビを見る。『テレビ千鳥』の軽井沢会前編の大悟のキレキレさが清々しい。『あちこちオードリー』のマヂカルラブリー&ランジャタイ回が素晴らしかった。国崎さんの素が出てて伊藤さんのほうが狂気的だったのがウケた。『あちこちオードリー』の芸能界の教訓回も続けて見たが、伊集院光の格言が沁みた。
現場で自分に求められているのが攻撃が守備かだけは見極めろ、「自分とは違うジャンルで心から面白いと思う人間の中にアドバイスを貰える仲間を作れ」、「自分が時間を忘れてやってしまうような好きなことに少しの社会性を持たせると この商売は食っていける」、というようことを言っていたが、芸能界に限らず、自分の仕事にも当てはまるような気がして見入ってしまった。やっぱ仲間は欲しい。
金曜、ポッドキャストの収録。しゃべりは難しい。年末年始から鹿児島帰りでなんだか人格がふらふらなことに気づかされる。システム面の不安もかなりあったけど、無事収録はできた。編集もなんとかなりそうだし、仕事を通じてDAWを触れることにも慣れることができそうでありがたい。
収録後、タナソウさんと少しお茶をした。この3年くらい孤独を深めていたし、殻に閉じこもっていたことに気づかされた。自分を見つめる時間、足元を見つめる時間は長すぎてもよくないなということを思う。人とつながっていこうとする気持ち、協同していこうとする意思は失ってはならない。でもやっぱり、人と関わるのは億劫だ。
・2023/01/21〜2023/01/27
週末、何かできそうで何もできない。日曜の夜に見た『くりぃむナンタラ』のギリギリの芸人たちのあり姿が心をとらえて離さない。理性より先に心が動いた。こういう瞬間を忘れずになんとか生き延びたい。
月曜、試写に行って君島大空さんのライブ。終わったあと、「そうか、これはバンドの演奏だったのか」と思うほど、君島大空という音楽家の表現そのものといえるライブだったように思った。関係者の挨拶のときに石若さんと話して細かい演奏の感想が出てこなくて、帰り道にようやくそのことに気づいて、いまハッとしながら書いている。「バンドのライブを観た」のではなく、音楽家の音楽に、もっといえば「表現」そのものに触れたということか。
終演後、袖にはける4人を見て「彼らがいま感じていることは到底わかり得ないのだろう。これは彼らだけの音楽だから」とふと思ったことと符合して、納得を深める。その音を鳴らした音楽家にしかわかりえないことがあるし、それを外からわかろうだなんておこがましいことだと思った。わからないでいいし、「わかる」以外の形で分けてもらえたら、どんなによいことか。音楽を前に、僕らは等しく孤独だ。だからその音楽を分けあおうと試みるのかもしれない。こう書いてもよくわからないが、音楽の孤独を思った夜だった。
火曜〜木曜、ただ仕事をしただけで終わる。特に水曜は4:30起きで朝7時から取材。コーヒーをひたすら飲んで集中力を欠如したままただ起きて仕事してる、みたいな時間を過ごす。外で仕事すれば眠くならないし、心も折れないので意外といいなと思うなど。
夕方はルカ・グァダニーノの新作の試写へ。常軌を逸していて、これこそ映画であろうと思う一方で、食らいまくってしまい、憔悴した心持ちに。
金曜、ひたすらポッドキャストの編集とミックス。Garagebandは意外と有能ということと、結局音質を担保するのは収録環境ということを思い知る。防音のスタジオが欲しい。
・2023/01/27〜2023/01/31
土曜、どうしても気になり、ポッドキャストの最終ミックスをやりなおす。Adobe Auditionのノイズリダクションが有能すぎた。科学万能の時代、来る。が、時すでに遅し。2回目の配信で音質は挽回する。結局また一秒も制作が進まなかった。
夜はライブ。建物の構造も大きく関係しているだろうけど、音響がかなり厳しい。帰宅し、少し作業。思うようにはいかない。生活は難しい。
日曜、メルカリで売れたものを発送。手数料10%の重みが染みる。大企業に搾取されない生き方を考えたい。散歩してロイホでお茶する。Bondeeに登録してみる。実生活での繋がりはとにかく疎ましいけれど、知らない誰かとは繋がりたいと近頃よく考える。夜、伸びた髪を見て、ふと「『HOSONO HOUSE』のジャケット画像の再現を毎日やってみよう」と思い立つ。
月曜、週末で疲れを抜けなかったのが響く。コロナ禍であまりに変わり果てた自分の職場環境に打ちひしがれる。もはや自ら去る以外に打開するすべが思い浮かばない。他者に対する善意に基づく信頼がゴリゴリと削り取られていく。夜もなんだか気力が湧かなくてONE PIECEの考察動画を見て寝落ち。
火曜、たいして書くことがない。1月が終わるのでとりあえずこの文章を公開用に書きつつ整える。手を抜けない性格が仇となっているのか、仕事が思うように進まず、片付かずできつい。細かいこと、小さな違和感が気になって仕方がない。つくづく向いていないなと思う。2月は自分のためのことを少しでもできるようにしたい。