諦め

 「人生諦めが肝心」という言葉がある。確かに諦めた方がいいこともままあるのだが、諦めるのはやってからにすべきではないかというのが持論だ。初めから諦めて何もしないのは可能性をドブにすてる行為だと思う。偉そうなことを言っているが、今までの人生で何かを成し遂げたことはあまりない。しかし、そんな大層なことでなくてもやれることはやってみるのが人生ではないだろうか。
 と言う訳で、性懲りもなく前回断念した廃集落のリベンジに行ってきた。謎の発熱と靴擦れも治った。靴擦れは山歩きのせいだろうが、発熱は心当たりがありすぎてよく分からない。
 今度は先人のルートをそのまま辿っていく。やはり凡人は人の真似をするに越したことはない。到着したのは13時頃だっただろうか。

先人の入り口 
道標の電柱
明らかに人工的な横穴。十中八九コウモリやゲジの棲家だろう。
行きはよいよい帰りは怖い
水量が少ないのでかろうじて渡ることができた
朽ちた大八車
イバラ的な植物

 写真を撮る余裕がないほど、道中は過酷を極めた。最初は沢の上に道があるのだが、200mほど進むと土砂崩れや倒木でまともな道では無くなる。また、木や竹を掴んで支えにしようとするがバキンボキンと途端に割れて頼りにならない。イバラのような植物も厄介でやたらと耐久力がありたくさん生えている。通らなくては行けない場所がこの植物に覆われている地獄はなかなか写真だけでは伝わらないだろう。帰り道では丸太を通って沢を渡る箇所があったのだが、丸太から対岸に飛び移る先にこの植物があり、かと言って丸太は滑るので後には引かず、意を決して飛び移ったところ顔が血塗れになった。服は言わずもがな枝が折れてくっついたり、穴が空いたりとさも平気そうにたどり着いている先人を恨んだ。ともあれどうにか到達することができた。

屋根は博物館にする際に茅葺きにしたらしい
児童の宿泊施設でもあったらしく、大量の布団が
現在の西日笠地区からはだいぶ外れているが…
廃墟の蛇口は盗まれることが多いのだが今も健在
石祠と万両

この廃集落は「台倉集落」と呼ばれており、地元の人はでーくらと呼んだそうだ。直線距離では入り口から2kmくらいだが、高低差や沢渡りを加味すると3kmくらいはあるのではないだろうか。行きは1時間要した。集落だったようだが、現存しているのは母屋1棟と納屋2棟だ。70年代に人が住まなくなり、その後房総自然博物館としてNPO法人が利用していたそうだ。昔は今ほど道は荒れていなかっただろうが、あんな不便な場所に人が住んでいたとはちょっと信じられない。最後の方なんてほとんど崖登りだ。
YouTubeを見ると夏に行った強者もいたが、ヤマビルなどの害虫のことを考えると恐ろしくて仕方がない。
 帰りは1mほど沢に滑落したり、前述のとおりイバラで血塗れになったりしたが30分ほどで帰って来れた。行きがよほど滅茶苦茶なルートだったのだろう。帰りにセブンで買った濃いキウイソーダが人生で一番美味く感じた。

感動の再会

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