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桜木花道によろしく⑧

 怠惰に歩くような素振りを見せつけてからスピードを瞬時に上げると、各々の表情はほつれて不確かになる。常に変わらないユニフォームの色だけで敵か味方かを判別し、体格で、人物の、大体の見当をつける。紫が少ない。やはり、反応が鈍い。横へのワンドリブルの開始とともに違う展開に見切りをつけて、中に向かって走り出し、気付いて背中を寄せてくる意外に周到な相手選手をよけてインサイドに忍び込んだ。ディフェンスの隙間を縫って、ペイントエリアに侵入した。
 口を開けて見上げている俺よりも背が高いセンターの横に並び、肩や腕で小競り合いを繰り広げつつ、少しでも有利なポジションを確保する。痩せていてボディコンタクトには強くないので、真横の力比べではなく若干かがみ込んだ状態から突き上げるように上半身を押してこじ開け、自らの居場所を主張する。
 リバウンド合戦は、とどのつまり、ポジションの奪い合いだ。
 スクリーンアウトが緩ければ相手の前にまわり、背中で押し出す。けれどもリングに近ければよいというわけではなく、ゴールの真下に潜り込んでしまわないように注意しなければならない。そしてその暗闘に勝利した後は、別に驚異的な跳躍力が具わっているわけではないので、リングに嫌われたボールが自分の近くに飛んでくる幸運を祈るのみだ。世界の一流選手となれば弾かれる方向をシュートの軌道から予測して、いち早く動いて手中へおさめてしまうと言うし、たとえ位置的に不利であってもチップアウトを駆使し他の味方のところへ散らしてマイボールにしてしまうらしいが、当然のことそんな才能は持ってない。でなくてもオフェンスリバウンドの獲得は、元より難しい。
 事前に砦を築いているからと言って油断せず、敵が撃ったボールの行方にだけ夢中にならない。呑気に天井を見上げていないで、一人一人の思惑をざっと見渡し、センターやインサイドに強い選手の進入を阻む。背中で壁をつくって、ゴール付近には近づかせない。掴んだりこちらからぶつかったりしたらファールを取られるので間合いだけを潰し、密着させて、そこから一歩も道を譲らず、小さな迂回などを左右の調整で絶え間なく対応して前には決して行かせない。押し合い、密かにせめぎ合う。体躯を知る。体温を感じる。後衛三枚で、半円のバリアを張り巡らせるイメージだ。ゾーンを敷いているのだから、ディフェンス時にリバウンドボールを拾われるのは極力避けたい。
 汗で濡れた皮膚が擦れ合う。軋んで、滑って、放物線の行く末に固唾を飲む。ボードを打ち、湾曲したリングの内側に当たって遠ざかっていく。視線の先で、数人が茶色い球に貪りつく。
 報われなくても、怠らない。
 日の目を見なくても、役割を果たす。
 しかし、だからと言って、チームへの涙ぐましい献身などではない。そんな体裁の良い自己犠牲の行動ではなく、ベルトコンベアの前で単純作業をくりかえすロボットのようにとりあえずリバウンドに入るだけの、いわゆる思考停止に近い状態だった。
 そして幾人かが飛び交う争奪戦に競り勝ったなら、これ見よがしに掌をボールに打ちつけ太鼓を奏でるかのように乾いた音を大げさに鳴らし、自己満足に浸るだけだ。
 速攻で、右サイドを走る。ふたりの間には一枚挟まっているだけなので、山なりのボールで頭を越してくれれば簡単にレイアップだったのに、3Pを選んだ。
 スナップを効かす寸前にちょうど追いついてきた横からのチェックを、空中で溜めをつくって胸元に引きもどしてかわし、ダブルクラッチみたいに乱れたフォームで放り投げた。リバウンドのポジションを取った。入るのがわかった。地上に向かって落ちてくるボールがオレンジの輪ににじり寄っていき、徐々に二つの円が近づいていって、重なると同時にネットが跳ね上がるのを、ディフェンスと肩や腕で押し合いながら見上げていた。
 本木の一方的なボールの独占により、今まで以上に数少なくなったチャンスには一層スリーポイントに固執するようになったせいで、球離れがすこぶる悪い。「今日の試合でわかった。マジで楠さんが必要っすよ。俺じゃ代役は無理ですって。」今でもたまに途中から試合に出ているシックスマンの芦田が、以前興奮して口走ったのを思い出した。
 結局、より多くの点を獲ったり、バスケの醍醐味を堪能させてくれるプレイヤーしか、世間は認めてくれない。殊に、この街ではミニバスの肩書きを手に入れていなければ誰も相手にしてくれないようで、すごく疲れる。
 ボールを運ぶ。パスをまわす。まれにオフェンスリバウンドを取ったら外にふり、浅い位置まで上がって再び受け、逆サイドに大きく戦場を移し替える。
 評価されない。脚光も浴びない。誰からも見向きされないけど絶対に必要なプレイを愚直にこなしているのにこれっぽっちも報われないかわいそうな俺、そういう感じで自嘲している。
「ヤクは俺がシュート撃つの、なんか気に入らん?」
 練習試合の後、本木が近づいてきた。
 たっぷりと怒気がまぶされた表情からすると、何気なくつぶやいた一言が伝わったらしい。彼の絶好調を誉めそやしていた数人の前で思わず、こうなったらもう終わりだ、とだけ言い残したことがあった。どうやら巡り巡って尾ヒレがつき、自分が目立てないから不満を抱いていると、邪推による改悪がなされたみたいだった。
「別にそういう意味じゃない。」
 顔も向けずに答えた。
 最近の本木は常軌を逸したみたいにシュートが当たっていて、一試合で30点くらい叩き出すのも珍しくない。驚異的だ。ちょっと神懸かっている。
 反面、そのせいかおかげか、得点するために趣向を凝らさなくて済むのと引き換えに、攻撃の種類がおのずとその一手に限定されてしまっている。けれどひとりきりマークを振りほどいて際限なくパスを要求してくる貪欲さに、俺もボールを集めてしまう。姿を探してしまう。一旦渡したら二度と来ないリターンに俺もいつの間にか慣れ親しんでいて、インサイドに飛び込んでパスを求める意欲もめっきり減退し、リバウンドにのみ専念している。
 ミドルレンジでワンフェイクを演じ、縦に相手が伸びあがったらワンドリブルで横にかわしてジャンプシュートを沈め、乗ってこなければより大げさなモーションで誘いをかけて釣り、同様のフィニッシュがパターンだ。ほぼ、百発百中。けれども、それは彼が本来持っている実力ではないと思う。プレッシャーがかからない練習試合のみで発揮される馬鹿当たり、本番で同じ活躍が期待できるかは甚だ疑わしいボタンの掛け違いみたいな状況なのだと思う。
 そう、真の実力ではない。
 うちのバスケ部が多少なりとも上達を望める環境でなくなってから、久しく経つ。
 あれからなし崩し的にフットワークはやらなくなったし順を追ったメニューもあらかた消え失せてしまい、運動量を多くして体力面を追い込んだり一応意味が裏付けされている実践的な練習からこの部活はすでに縁遠くなっているし、近頃では十人集まった時点で五対五をはじめて下校時刻まで遊んでいるだけだ。
 参加できない新二年生は、端で指をくわえて眺めているしかない。
 体裁よく取り繕えば、大会に備えた実戦形式か。けれども実際は迷走しきった末の消極的な終着地点であり、俺たちの世代の現状を如実にあらわした一幕なのかもしれない。もはや部活動ではなく気ままに遊んでいるだけだと後ろ指を差されても、弁解はできない有様だった。
 そんな中、いつしかうちの攻撃は本木のジャンプシュート一辺倒と化してしまって、尋常ではない確率のせいで仕事のないセンター二人は任せきりになって常に脚が止まった状態に陥っている始末だし、残りの一人は自己満足に精を出している始末だし、良くない方向に突き進んでいる気がする。現在頼みの綱となっている、なってしまっている、唯一である得点のパターンがもしも成立しなくなれば、とたんにチームが瓦解してしまうだろう。
 じゃあどういう意味だよ。言いたいことあんならはっきり言えよ。
 なんとなく、壇上に置かれた青いウォータージャグに目を移した。それにはマネージャーが毎日欠かさず用意してくれる麦茶が入っていて、いつ飲んでも必ず冷えている。
 俺はみんなに甘えるのに、みんなにはとても薄情な人間だと思う。五対五の時たまにゼッケンをつけても、終われば壇上のあたりに黙って脱ぎ捨てた。汗まみれのそれを次の日までに洗濯してくれるマネージャーに、俺はお礼も伝えたことがない。
 いろいろと言葉にしなければいけない感情は多いのに、素直に口が動いてくれない。
「勝手に撃ちゃあいいよ。」
 つぶやいていた。
「いや、おまえにんなこと言われんでもこっちは好きにやるけどな。わりいかよ?」
 うん、それでいい。本番での尻拭いは全部俺がやるから。
 実際に入るんだから、自重しろとも言いにくい。
 後ろ姿がまだ苛立っている。
 俺は彼の独壇場に嫉妬しているし、大会でのアンストッパブルな大爆発は見込めそうもないこともなんとなく予感できているし、任せていれば後はほったらかしておいても点が入るし疲れないから楽でいいと歓迎しているのかもしれないし、別にどうなっても知ったことではないからワンマンプレーを喰い止めようともせず、好き放題やらせているのかもしれない。本番でチームが空中分解しそうなのであれば、今ここで忠告するのが筋だということをわかってないわけではない。でも公式戦ではどうせ決まらないから少し抑えろと、言えるはずもない。周囲の勝手な憶測の通り、彼に醜態をさらさせ、自分が主役に躍り出たいのか。自分の必要性を痛感させたいのか。この期に及んで、俺はまださもしい虚栄心に取り憑かれているのだろうか。
「楠も使わんと勝てんぞ。」
 去り際の一言がやけに鼓膜で糸を引く。
「みんなおまえのパスで動いとるだで。」
 言い分は穿いて棄てるほどあったのに、口をつぐんでいた。
 もうあまりに遅いけど、本格的な最新スポーツ理論を修めたような、もしくはかつて大学バスケの一部くらいを率いた経験があるような、心の底から信頼できる指導者に教えを仰ぎたかったとも思う。まともな顧問がいないから生徒たちだけで決め、実行し、揉める。けれど、そんなもんだ。自分は特別な存在でもないし、全体を導いていけるような性格でもないし、自己実現を促してくれるめぐまれた環境が公立高校に備わっているほうが珍しいのだ。
 代替わりしてからずっと、最善の答えを見つけようと模索しているうちにあっけなくエンドロールを迎えてしまうような怖れを抱いていたし、自分ひとりの力では喰い止められない大きなうねりのようなものをいつからか感じていた。聞こえの良い甘い囁きのような、強烈な磁力に引っ張られていた。今まで顔を背けて耳を貸さないように努めたり、依怙地になって抵抗しつづけていたけれど、一度この流れに身を委ねてしまえば絶えず付きまとってきていた悩みからも解放され、とても安楽で心地が良かった。なんの隠し立てもできない、俺自らが産み出してしまった無気力だった。そしていまさらみんなを奮い立たせようにも、堕ちていくこの勢いを押し留める力は俺にはないし、こんな土壇場でバトンを渡されるほうがいい迷惑だろう。
 最近、部室の壁に張り出されたトーナメント表によると、一回戦はこの前の大会で楽勝した菊川高校で、一蹴しおそらく次に当たるであろう学校も、強いという評判を聞いたことがないところだった。念願の県大会が目前に迫っているというのに、胸のうちは闘志で燃え盛っているようで、それなのに平静とかではなくしんと醒めきってもいて、死ぬ物狂いで勝利を掴み取りにいくという気分にはどうもなりきれないでいる。なんか、もう全部がどうでもよくて、たとえ結果がどうなろうとも、早く最後の大会が終わってくれればそれでいいと考えている自分がいる。
 タオルを鎖鎌の分銅みたいに振りまわしながら、校則ギリギリの明るい髪色が近づいてくる。
「ヤクさんさぁ、もっとちゃんと練習せんでいいんすか?」
 二年が、生意気に突っかかってきた。
 兜城の、長年のライバル校である伝馬中学の出身だ。古豪の一校で、体育館が狭いらしくて校庭の土の上で練習せざるを得ないという環境の学校だ。でも、毎年強い。補欠だったといえども、俺には結構眩しい。
 そして、同級生の芦田や初辺よりも断然自己主張してくる。
「やってるじゃん。毎日。」
「でもなんか最近遊んでばっかじゃない? 気にしてんすか?」
「もうこれでいいよぉ。」
 息を目一杯吐き出した。
 無性に疲れる。今の感じが楽でいい。だからもうこれ以上、面倒な責任を俺に押しつけるな。
「だってオレ試合で負けたりすんのって観てるのも厭なんすよね。他の学校の奴らなんかにぜってえナメられたくねえし。我慢できねえんすよ、そういうの。」
「そういうのは君らの代でやってよ。」

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