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英雄はうなだれる①


 寂れた街並が延々とつづく。どれも暗く沈んだ窓ばかりが目立ち、地域の中心を貫く路地には活況の残骸が今も軒をつらねている。
 行き交う人々は最寄駅と自宅とを結ぶ日々の動線としてしか考えていないらしく、脇目もふらずかつての面影を置き去りにしていく。出くわす十字路はどの方角を目指しても殺風景に変わりはなく、どの建物も人が住んでいるのかさだかではない。ペンキが剥げ、所々赤黒く錆びてしまった看板をいまだに掲げたままで、朽ちかかった文字がかろうじて当時の役割を物語ってくれる。どれだけ待っても、降ろされたシャッターがあがることはない。
 常にテナントを募集している背の低い雑居ビルはやけにみすぼらしく、補修された亀裂の痕が壁を縦横に走っていて痛々しくもあり、さして高くもない屋上には、あれに乗っていけば月面着陸でもできそうな古びた貯水タンクがときおりちらつく。月極や時間貸しの駐車場が気休めのように点在する。多少刺々した程度の街の起伏に谷間を造る。その多くはアスファルトがヒビ割れ、底に敷き詰められた砂利が剥き出しになった部分もあり、あたりにはサンドウィッチやおにぎりを包んでいたような生活ゴミがいつも散らばっていて、そのせいか、別の理由か、巾は申し分なく広くて駐車しやすく料金も手ごろなのに利用する車はまばらだ。
 来客も怪しいのになんとか営業をつづけている薬局の蛍光灯は外から見ればひどく薄暗くて、だから一層際立った晴天は厭味なくらいさわやかに映え、再び中を覗くと店内が腐りかけの食べ物のように爛れて見えるし、黴臭い緑がかった空間にも感じてしまう。
 ある日、一軒が、白い幕で覆われた。
 どれも中央付近に前株の社名がゴシック体で印字されていて、もはや洗っても落ちない頑固な泥で汚れていた。
 他にも周囲に、その光景はちらほらと目につきはじめた。例外はなく、同じような防音シートで四方を取り囲まれた。
 まもなくトラックで重機が運び込まれ、軋んだ音を立てつつ薄っぺらいベニヤ板が引き剥がされていき、柱や屋根だけの鶏ガラみたいに貧相な外観に身をやつした。ヘルメットをかぶった作業員は立ち昇る粉塵に向けてホースで水を撒き、いつしか幕は取り払われ、なだらかな丘となった廃材も全部撤去されると、褐色の土がむき出しの更地が披露された。数十年振りに建物が欠けた土地は予想以上に奥行きがあり、思いの外広大だった敷地を通行人は横目で眺めながら、しかし無表情を崩さないまま通り過ぎていく。奥にひっそりと佇んでいたアバラ屋がここぞとばかりに日光をむさぼり、湿った漆喰の外壁が年甲斐もなくとてもはしゃいでいるようにも感じてうれしくもあり、けれど数日後にはきれいさっぱりとそいつも消えていた。
 虫喰いのように建物がつぶされ、間引きされた景色は清々しいのに一味足らないようにも感じ、両端を獲られたオセロのようにつながっていって、更地が益々ひろがっていった。幾度となく往復した道のはずなのに、以前ここに何が建っていたのか、もうすでに思い出せない。朧気に、ひと気も失せた閑散とした街角の記憶はそれとなく残ってはいるのだけれども、それが本当にそこにあったのか確信を持てない。
 細かく区画分けしていた公道は払い下げられ、アスファルトが剥がされた。
 手頃な大きさにまで砕かれた舗装材が山積みになりトラックで運び出されると、きれいに縫い合わされた、一筆の、茫洋とした平野ができあがった。しかし新鮮さは最初だけで、濡れた土が生成り色にまで乾いてしまうとずっと昔から単なる空き地だったようにも思えてくる。新しい景色に戸惑っていたのにしばらく経つと不思議と違和感はなくなり、長年根を張っていた建物が取り壊されたことへの感慨も、どこかへ消えてしまった。
 留まることなく更地はみるみるひろがっていき、あたりの見晴らしは格段によくなり、申し訳程度の粗雑な木の柵で土地は囲われた。白い看板が立った。新築される建物の名称や、施工者やら設計会社やら様々な情報が律儀に記載されていて、けれども脚を止めてまで注意を払う人間は誰一人としていなかった。搬入される資材にも、型に流し込まれていく大量のコンクリートにも目をくれる通行人はおらず、街並よりも最寄駅への到着時間のほうが大事なようで足早に過ぎ去っていき、知らないうちに簡素な柵からとってかわっていた金属でできている純白のフラットフェンスの隙間からは、深く掘削された地下が覗いていた。
 高層マンションがあらわれた。
 中層階のビルすら一棟もない低層住宅専用地域に、周囲を圧倒する空を貫くような建造物が瞬く間に出現し、完成する前から『完売御礼』のおおきな懸垂幕が垂れ下がった。二次募集も三次も同様で、受付がスタートした時にはすでに全戸が売り切れていた。
 都市計画の用途制限に抵触している可能性を指摘する識者が時々あらわれはしたが、いつの間にか批判の声は止み、疑問を呈する人間はいなくなった。代わりに、常に、壮大で贅を尽くした外観やインテリアだけが話題となって、デザインを担当したという世界的に有名な建築家の名前が様々なメディアに躍った。
 ネットでは高層建造物マニアが地道に撮りつづけた定点観測の映像を公開し、添えられた、グラミー賞を受賞したという最新のヒップホップに合わせて現在と過去を行きつ戻りつするマンションが伸びたり縮んだりといそがしく長さを変える演出は、暇な時にぼんやり眺めるには最適で、再生回数を沢山稼いでいた。
 一棟だけではなかった。都心の各地で建った。今までとなんの変哲もない街の一角に急激に隆起したマンションが何棟も建ちはじめ、竣工すると引越業者のトラックが連日横付けされて高価そうな調度品の数々が運び込まれていった。光沢がある金属の格子がもったいぶった速さで天井まで上がると、地下から外国車がすべり出していく。街の景色は依然として平べったくひろがっているのに、定期的に、xの値が突如増加しだした二次曲線のように高層マンションがあらわれた。
 そのマンションの濫立は決して高層ビルの密度を高めるものではなかった。一棟一棟が周到に一定の距離を保って地域の象徴めいたシンボルとしてそびえ立ち、眼下を見下ろした。大抵のマンションが一、二階以外は全部居住用に供されたが、立地によっては地上に近い階層何階かに飲食店やアミューズメント施設が多数入居し、高級寿司屋の支店や外国の有名ガストロノミーレストランが進出してきたりもして、これら建物を頂点にし新たな街の模様が創られていった。
 廃止になった小学校の跡地にも触手は伸び、のちに土地の不適正な取引価格が暴かれて様々な憶測が飛び交って連日連夜疑惑の追及がなされたが、いつの間にか糾弾は止んだ。
 学区の子供たちが何十年にわたって通いつづけた小学校の校舎は跡形もなく姿を消し、瓦礫となって産廃処分場へと運ばれて無事役目を終え、毎朝の登校の風景はなくなり淋しくなったのも束の間、代わりに、近隣の日照を著しく妨げる高層建造物へと移り変わった。住民たちの反対の声は最初から弱く、ゼネコンが公民館で開いた数回の説明会を経ると反対派は簡単に潰えたらしい。街に、長い影ができあがった。そのマンションを中心として、日時計のように、暗い棒がグルリとまわって定期的に家々から光を奪っていった。近くにあった、その小学校名を冠していたバス停の名称も知らないうちに変更された。
 日を追うごとに、つい最近まで一体そこに何があったのか噂されることも少なくなっていき、過去の痕跡は人々の記憶のなかだけにおさめられた。いや、それも全部思い過ごしで、以前からこういう街並だった気がしないでもない。現に、生徒の姿などとんと見かけないのだから。
 週末や長期休暇の際には多くの人々が横文字で名付けられた商業施設に遊びに訪れ、周囲に誘致されていく色々な店舗を手放しで喜び、奮発した美食に舌鼓を打つと満足そうに帰っていく。
 朝、誰も文句も不満もないように最上階を鮮明に視認できないほどの高さを誇った高級マンションを見上げながら歩き出し、予期せず直視してしまった朝陽に目尻を搾らせて、這々の体で出勤していく。
 季節はずれの桜吹雪に目を奪われた。
 遅れて、乾いた音がつんざいた。
 大小様々なかたちをした花びらが宙を舞い、そよ風に優しくなびいて、濃紺のアスファルトの上に貪婪な花をおおきく咲かせた。黒ずんでいたり、紫がかっていたり白みを帯びている赤の濃淡があたりに飛び散り、穢れのない飛沫が道路をいっぱいに汚して、見上げる空はうんざりするくらいに青くて厭になる。誰もが音に驚いて出処を無意識に探すのに、けれど誰も同定できないみたいで、もともとそんな好奇心自体が欠落しているようで、原因究明する任務を負う気などさらさらないみたいで、歩く速度は誰一人として落とさない。
 まだ肉体が状況を把握できていないのか、何歩か歩を進めて、次第に歩を弛めていく、膝から崩れ落ちていく顔がない肉の塊を、皆が黙って見送った。

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