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「宮廷風恋愛」は、本当に行われていたのか?

皆さま、お久しぶりです。覚えて頂けていれば、本当にありがたい限りです…。

今回投稿する内容は、「宮廷風恋愛は本当に行われていたのか?」についてです。このテーマは、知り合いや先生方、そしてSNSの方々から、ご質問という形で頂いておりました。

ツイートで書く内容ではないので、この場でお答えします。以下が私の最初の主張です。

「宮廷風恋愛」ってなんですか?

質問に質問を重ねてしまって大変申し訳ないのですが、一度この問題を考えてみたいです。全ては、その上でお答えします。

その次にお答えする答えとしては、

行われていなかった可能性の方が濃厚。

というものです。しかし、最終的には

12世紀には行われていたと考えられる

というものになります。


そもそも、①「宮廷風恋愛」とは何なのか?

②定義付けられた「宮廷風恋愛」とは、何世紀以降の恋愛なのか?

③「宮廷風恋愛の原型」はどのようなものであったのか?

これらを、順を追って見ていきます。よろしくお願い致します。


①「宮廷風恋愛」ってなんですか?

宮廷風恋愛とは、厳密に見ていくと、19世紀のフランス文献学者によって定義付けられたとされています。その対象となった作品は『ランスロまたは荷車の騎士』です。この作品は12世紀末頃に作られたとされる作品です。もう一度言います。

12世紀末頃に作られた作品です。

これは極めて重要です。具体的な内容は次にお話しますので、今は定義に戻ります。

この作品に見受けられ恋愛を「宮廷風恋愛」としました。19世紀の出来事です。では、中世では何と呼ばれていたのでしょうか?彼らは、この恋愛を

fin’amor 

と呼んでおりました。これは「まことの愛」や「至純の愛」と和訳されます。究極的な愛の概念です。

ここで、この質問に問題が生じます。

ご質問される「宮廷風恋愛」とは、何を指すのでしょうか。

あの作品に見られた恋愛ですか?中世の彼らが尊んでいたfin’amorですか?それとも、ただの不倫ですか?

宮廷風恋愛の厳密な定義としては

「肉体関係を伴わない恋愛」

とされます。しかし、

不倫とfin’amorは切り離せません。

これらのことを踏まえると、このご質問の問題点がご理解頂けると思います。

宮廷風恋愛ってなんですか?

となってしまうわけです。

もしかすると、定義通りの宮廷風恋愛を指されるかもしれません。その質問に対して、ようやく私は返答することが出来ます。答えは

あまり為されていなかったのではないか

です。この理由も後ほどお話致します。今は、

文学的な「宮廷風恋愛」は為されていなかった可能性がある

という結論だけで留めておきます。では、次に移ります。

②fin’amorは行われていたのか?

について見ていきます。結論としては、

12世紀中であれば、行われていた可能性はある

ということです。

先述した通り、この概念と不倫の実態は、どうも切り離せないと思われるからです。主に私が、ですが。。

では、このfin’amorとは何だったでしょうか。以前紹介致しましたが、改めて紹介致します。これは、騎士と貴婦人とで異なりました。

騎士のfin’amorとは、端的に申しますと

死んでも尚、1人の貴婦人を愛し続ける

ことです。これは『トリスタンとイズー』から伺えます。かつての理想的な愛とは、このようなものでした。

これに要素が加えられていき、最終的には

貴婦人を愛し続け、要望に応え続ける。そして、自己の精神を高めていく

ことが理想的な愛とされました。そして、それが「恋する騎士」にとっての「名誉」となったのです。これ、

『ランスロまたは荷車の騎士』

ですよね?これを宮廷風恋愛と呼ぶわけです。ですので極地にまで至った宮廷風恋愛が行われていたかと聞かれると、為されていなかったんじゃないかなぁ、と思うばかりです。

更に詳しいところは、また後ほど見ていきます。今はfin’amorに話を戻します。

次は貴婦人のfin’amorについて見ていきます。貴婦人に求められた理想的な愛とは

騎士を受け入れ、応え、導く

というものになっていきました。つまり

貴婦人は恋愛してはいけなかった

のです。これに対して「薔薇物語論争」が巻き起こり、フェミニズムの源流とも思われる論争となりました。詳しくはお話しませんが、「女性も恋愛していいんじゃないのか?」という内容です。

脱線しましたが、これが貴婦人に求められた理想的な愛でした。ここから見えることは、騎士と貴婦人とで、求められた内容が異なるということです。

何故ですか?

次が最後ですが、そこで見ていきます。

これらの延長に当たる作品を「宮廷風恋愛」だとされました。つまり、この愛の概念と宮廷風恋愛を区別しようとすると、極めて困難だということです。

しかし、区別しなければなりません。では、その際、どのように区別すればよろしいのでしょうか?私の考えを書いてみます。ずばり

fin’amorとは過程である

と言えると思います。「愛の概念を取り込んだ恋愛」をしていたのではなく、「恋愛の最中に生じ得たもの」だと言うことです。どう言うことか?これを次に見ていきます。これが最後です。

③貴婦人と騎士の不倫

この不倫は、騎士にとって必要なことでした。そして、貴婦人もまた、求めていたことでした。この事実と思わしき実態から離れてはいけません。何故なら、この実態からfin’amorが出てくるからです。

簡単に不倫の目的を見ていきます。詳しくは私の他の記事をお読みください。


騎士の目的

端的に申しますと、領土と財産です。これに尽きます。分かりやすい事例として、一つ紹介致します。

アリエノール・ダキテーヌという、中世フランスのトップクラスの富者がいました。1位を争うほどの領土を持っており、彼女が相続致しました。彼女はルイ7世と結婚致します。しかし、その後

ノルマンディー公アンジュー伯アンリと再婚

します。

ノルマンディー公アンジュー伯です。

他の騎士と比べると、ある程度安定していたと考えられます。そのアンリと再婚致しましたが、アンリの背中を押す際、彼女自身が唆しました。その内容が

「私を自由の身にしてくれたら、私の財産と領土は、全てあなたのもの」

でございました。それを聞いて、アンリも動き出したと言われます。ノルマンディー公アンジュー伯であったアンリでさえ、当然欲しがったわけです。何を?

財産と領土

をです。一端の騎士はどうでしょうか?無論、欲しがっていたと考えられます。何故なら、

恋愛をしていた騎士の多くは、極めて貧しかった

からです。最後に、時代背景と共に見ていきます。


次男以降の騎士集団

用語はありますが、敢えて出しません。これは知識自慢ではなく、皆さまに知って頂きたいからです。

彼らの集団は、長子相続化において、領土を相続出来ませんでした。彼らは旅をし、戦争やトーナメントで収入を得るしかありませんでした。

そして、旅先の城で宿泊させてもらうことが少なくはなかったようです。そして、先生次第では

これが宮廷風恋愛の起源だ

と仰られることがあります。宿泊先の城での出逢いだと言うことです。ここは本旨から逸れるので、割愛致します。

重要なことは、彼らが旅先で不倫をしていた可能性がある、ということです。

目的へ戻ります。彼らは極めて貧しく、自分で収入を得る必要がありました。そして、恋愛の対象となる貴婦人とは、自分よりも位が高い女性です。再婚出来れば、貴婦人が持つ領土と財産は移動するとされています。

そりゃあ寝取りたがるよね

ってことです。精神的な目的は割愛致します。

では、貴婦人の目的は何でしょうか。ずばり、

夫から解放されたい

ことだったとされています。「折檻」と言う名のDVは常識でした。そして、いつ捨てられるかも分からない。多くの場合、そんな恐怖と不安に満ちた人生だったと言われています。そんな折、

懸命に献身してくれる男性が現れた

としたら、貴婦人はどうしたと思いますか?不倫に走るでしょう。

そして、これは不倫と呼ぶべきでしょうか?確かに、これは不倫です。しかし、多くの場合が、不倫でのみ愛が芽生えた時代だとも言えます。

だから、恋愛なんです。


騎士にとっての目的は、物質面では領土と財産です。

そして、貴婦人の場合は、騎士から愛され続けることが目的でした。

例え、自分の財産と領土が目的だと分かっていたとしても、です。それほどまでに、心の支えが必要だったのでしょう。

この「恋愛」は12世紀中に行われていた可能性があります。それほどまでに彼らの集団は貧窮を強いられておりました。そして、その時代にトゥルバドール達が急増したとされています。彼らの集団こそが、トゥルバドゥールとなっていきました。

しかし、それだけではありません。12世紀半ば以降、宗教的な騎士団が創られていくからです。富が集中し、居場所を与えてくれた組織です。研究によると、それらの騎士団には、次男以降のの集団が多く入って行ったともされています。

従いまして、12世紀半ば以降は、徐々に

「恋愛」をする必要が薄れていった

と考えられます。ですので、12世紀中は「恋愛」が為されていた可能性が大いにあるわけです。しかし、まだ問題が残っております。

では、騎士と貴婦人は、何をし合っていたか?


最後にして本題に入ります。


終 騎士と貴婦人の恋愛作法

貴婦人にとって、恋愛がバレることは、人生の終わりを指していた可能性も考えられます。修道院へ押し付けられる正当な理由となりますし(領土と財産は没収です)、「折檻」の理由にもなります。脚を動かせなくなるほどに痛めつけられた貴婦人も居たとのことです。

だから、バレるわけにはいかなかった。これらの理由から、恋愛を歌う詩の作者は不明瞭です。騎士も隠していたわけですね。

しかし、騎士側に問題がありました。手に入れてしまうと冷める事が多かったとされています。これは、恋愛詩から伺えます。

冷めるだけならまだしも、貴婦人を売る騎士も居たとのことで、貴婦人は疑心暗鬼にならざるを得なかったと考えられます。

では、騎士はどのようにして信頼を得ようとしていたのでしょうか?

貴婦人に仕え、応え、愛し続ける姿を見せる

事が必要だったと考えられます。

では、貴婦人はどのようにして騎士を繋ぎ止めていたのでしょうか?飽きさせないため、

適度に応えながら、すぐに騎士の物にならない

と考えられます。見えて来ましたよね。

これがfin’amorとなった

と考えられます。むしろ、私は、そうとしか思えません。

文学では、この過程が美化されていくことになります。何故なら、再婚したとしても、家庭内は男権社会ですから。仕える喜びも、愛される喜びも、元通りになるからです。

だから、トゥルバドゥール達は「結婚したくない」と唱え始めていきます。

しかし、これは文学的なお話に限ったないと思われます。

火のないところに煙は立たない

からです。過程が美化されていく一方で、その裏では、しっかりと肉体関係を伴った恋愛が為されていたと思われます。

最後にまとめたいと思います。


まとめ

宮廷風恋愛とは、これらを踏まえ、13世紀近くに創られた作品を対象としています。そして、それ以降は受け皿が出来たので、恋愛を必要とした騎士は減っていったと考えられます。従いまして

①「宮廷風恋愛」は、あまり為されていなかった可能性がある

ということでした。

しかし、それまでの不倫で考えてみると、12世紀中には

②宮廷風恋愛の原型は為されていた可能性がある

ということでした。必要があったからです。そして、その時期に恋愛が流行致しました。

しかし、それは「理想的な愛の概念」が先に来る恋愛ではなく、

③恋愛の過程で生じ得た可能性がある

ものであったという事です。つまり、恋愛をしている間に、「本当の愛に目覚めていた」可能性は否定出来ません。

最初は貴婦人を「領土と財産の持ち主」と捉えていたであろう騎士も、途中から「愛する女性」となって行った可能性がある、と言うことです。なので、先に来ることは考えにくくなります。もしも先に来ることがあるとしたら、これは

恋愛遊戯

と呼ばれるジャンルです。ですので、今回は取り上げません。

これらをもって、最後の結論として言えることがあります。

「宮廷風恋愛とは何ですか?」

ということです。分かりようがありません。肉体関係の有無など、もはや分かりようがないのです。

しかし、もしも、「騎士と貴婦人の不倫」だと定義することが許されるのであれば、比較的強く返答出来ます。


宮廷風恋愛はされていたと考えられます。

必要があったからです。


これをもって、久々の記事を終了致します。

長文が過ぎましたが、ご閲覧下さり、誠にありがとうございました!

この辺りも、またYouTubeで投稿致します。是非ともご視聴ください!

ありがとうございました!!


『恋愛礼讃─中世・ルネサンスにおける愛の形』という資料から、多くを参考にさせて頂いております。

他にもございますので、論文形式の方が問題がなさそうであれば、論文形式として参考文献を掲載致します。

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