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”常識”も”正義”も時代や人で変わるものだから 。。
いわゆる”常識”と呼ばれるもの。
辞書には、「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。」とある。
この”常識”。
わたしは、一般社会において、いわゆる”普通”とか”当然”と言われる事項、つまり「多数の人がそう思うであろう。」と思われることが、”常識”という呼ばれ方をしていると考えている。
つまり大多数の人が、「常識とはこういうものでしょ!」と思っていること。
これに関して、これほどあいまいで変動する概念はないと思っている。
そして、”正義”。
これもやはり同じ。
・人の道にかなっていて正しいこと。
・正しい意義。また、正しい解釈。
・人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範。
と辞書にはあるが、
これもまた、大多数の人が「正義とはこういうものでしょ!」と思っていることが、社会通念上使われていると思っている。
これら”常識”や”正義”という概念、時代や人によって、基準が異なる為、同じことをしたとしても、時代や人によって、当てはまったり当てはまらなかったりするから、かなりあいまいなものである。
極端な例でいうと、現代で”殺人”は犯罪である。
「この考え方は”常識”であり、この犯罪を裁くのはいわゆる”正義”である。」と言える。
でも戦時中は、戦争と言う名の”殺人”が罰せられることは無かった。
むしろ国が勝つためのその行為は称賛され、人を殺すための武器や兵器を作ることは当たり前のことであった。
個人的に戦争や人殺しに対する、”抵抗感”や”罪悪感”はあったにせよ、それがこの時代の”常識”であり、”正義”だった。
でも現代では、こんな"常識"や"正義"は考えられない。
確かに、今でも戦争を行っている国はあるが、現時点では少なくとも、日本は戦争を放棄しているから、こんな”常識”や”正義”は社会通念上ありえない。
これほどに変動する”概念”なのだ。
そして個人レベルで言えば、人による価値基準や信念体系の違いから、この”常識”や”正義”に対する解釈も、それに基づく言動も多種多様だ。
特に、
〇〇すべきだ
〇〇は当たり前
みたいな言葉には、この”常識”とか”正義”と言われる言葉が良く当てはまる。
自分が自分に対して、これらの言葉を使うこともあるが、人に対してこれらの言葉を使うときも”要注意”だ。
人によってかなり違うということ、そして、誰にでも当てはまることではないからだ。
だからこそ、人には自分の”常識”や”正義”を押し付けないよう、注意したいところだ。
「誰かの”常識”は誰かの”非常識”」とは良く言われるが、本当にそうだと思う。
”常識”と言いながら、手前勝手な言い分を振りかざされることもあるし、これが”正義”だと言いながら、その正義を人に向けて攻撃の手段として利用するのをみていると、これこそ、「”言葉の暴力”だなあ。」と思うことにしばしば出くわす。
「言葉の響きとしては、信頼できそうでいて、これほどにあてにならない”概念”はないのでは?」と思っている。
だから、自分の考え方をしっかり持ち、人の”常識”や”正義”に振り回されず、選択していく必要があるのだ。
人に言われたからといって鵜呑みにせず、自分で考え自分で判断するというスタンスをもたないと、何が本当に正しくて、何が本当に自分に必要なものなのか、分からなくなってしまう。
現代は、インターネットやSNSが発達しているから、それぞれが自分の意見をいろいろな角度から発信しているが、結局のところ、何が常識で、何が正しいかについては、色々な考え方が成り立ち、「正解といえるものがない。」と思っている。
だから”人から言われたこと”や”目にしたこと”を、盲目的に信用するのではなく、きちんと自分なりに調べたり、解釈してから取り入れていくことが必要だ。
自分という人間を、しっかりと保てていないとできないことだ。
権威のある人が、「これが正しい。」と話していることがあったとしても、自分が「これは違う。」と感じるのならば、自分の感性を信じること。
人に左右されず、流されないこと。
情報過多の時代だからこそ、自分を生きる為に大切な考え方だと、わたしは思っている。
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