本当のところは、外側からではわからない
これは私が常日頃感じていること。
「人は見た目が9割」とか、「見た目がすべて」とか言われている。
ある観点ではそれは正論であり、結局、人は人を外見や立場で判断して、「こんな人なのかな?それともこういう人なのかな?」と推測する。
魅力的な人ほど、姿かたちだけでなく、しぐさや振る舞いが美しいとか、個性的だとか、パッと見たときに何か人を惹きつけるものを持っている。
そのような人を見ると、「素敵だな」とはよく思うところだ。
やはり魅力的な人には、その人が醸し出す独特の雰囲気と言おうか、味があるのだと思う。
また、いわゆる成功者と言えるような、地位や権威のある人も同じかもしれない。
傍から見ると、
「この人すごいな!」
「素敵だな!」
という人は確かにいる。
しかし、そのような魅力的な人達や成功者の中には、裏ですごく苦労していて努力を見せないだけであったり、人の経験しないような困難を乗り越えてきている人も多い。
人はどうしても、表面的に現れているものを見て、いろいろ判断する。
でも、その人の本当のところはわからない。
だから、それに対して無責任に意見を述べることは違うと思っている。
どんなに素晴らしい人でも、人に見せないだけで、人には言えない悩みを抱えているかもしれない。
きれいでいいね。
お金があっていいね。
元気でいいね。
あなたは良いわね~。〇〇で。
言っている人たちは悪気なく、見たまま、感じたままを話しているだけ。
中には、「うらやましい」という感情から言っている人もいるかもしれない。
でもその成功の裏には、その華やかさの裏には、全然違う顔があるのかもしれない。
わたし達と同じように、悩み苦しむこともあるだろう。
人より努力もしているだろう。
苦労や困難を抱え、乗り越えてきたこともあるだろう。
人が思うほどに、良いことばかりではないと思う。
そこに至るまでの経験は、誰にも分らない。
本人以外は。
結局、どんなに外部の事情を知らない人がいろいろ言ったとしても、当事者にしか本当の事情はわからないのだ。
見た目で判断されて、人から「あなたはこんな人」とレッテルを貼られるのはつらいものだ。
誰であれ、見た目で判断されて、自分とは違うことを言われたり、何も知らない人に勝手なことを言われたりしたら、傷付くだろう。
だからこそ、人の見た目ではなく、その人の内に思いを馳せるのは大切なことなのかもしれない。
そしてこれは、魅力的な人や成功者に対してだけでなく、あらゆる人に対して当てはまる考え方だと、わたしは思っている。