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運の良い人の“自分に運を招く“考え方

なぜ今回、運の良い人について書こうと思ったのか?
実は、わたしの身内に運を招く達人がいたことが判明した為である。

その達人とは弟の娘、つまりわたしの姪っ子。
年齢19歳。

姪は訳あって赤ん坊の頃から、両親の下で育っていない。
その為、わたしの両親が主体となって子育てをしてきている。
現在、わたし、わたしの両親、姪の4人家族だ。

この姪、育ちの点ではいわゆる“幸せ“とは言い難い環境で育っている。
でも何故か、幼い頃からとても“強運“。
身内ながらに、「なぜんそんなに運が良いのだろう?」と、わたしや母はいつも話していた。

保育園、小学校、中学校、高校といつも引き立ててくれる先生や大人が出現する。
そのせいもあって、いつも何かに選ばれる。

それも、絵画展の代表とか、全国区の作文コンクールとか、いつも姪が選ばれ、その他の人が選ばれるのをあまり聞いたことが無い。

演劇未経験でありながら、市民ミュージカルに加入した途端、主役に選ばれたりしたこともある。

大学すら、高校3年生でクラスを変更になって数日で、まだ馴染みのない先生から、自分の希望する学科を擁する指定校推薦の枠を勧められ、結局大学も苦労することなく進学することになった。
他に自分が2年間教えてきた生徒がいたにも関わらずだ。
(基本的に3年間クラスが固定されている為、よほど成績が落ちたか自分が希望しない限り、クラス変更のない学校)

細かいことまで含めると、枚挙にいとまがないほどある。

こういうことを書くと、「よほど目立つ学生で頭が良いからでしょう?」と思うかもしれないが、いたって普通。

身内だから書けるが、容姿も才能も至って平凡で地味。
ただ若干器用と言うか、パフォーマンス上手なところはあるが、集団の中にいたら、一見しただけで目立つことなどまず無いタイプ。

なのに何故か選ばれる。
自分が希望するしないに関わらず、日の当たるところに押し出されるというのか、あまり苦労せずに色々なことをこなしてしまう。

「そんなに楽な生き方で良いのか?。あとで反動が来ないよね。」と、わたしや母は思ってしまうのだが、「とにかく“運が強い“のは確かだね。」と言う感じだ。

「正直、親に恵まれなかったから、その分の運をもらったのかな?」といったことも話していたのだが、実はそうではなかった。

つい最近、たまたまわたしと母が話していた時に、姪が「自分が何を考えていろいろなことに臨んでいるのか。」初めてその“こころの内“をわたし達に話し始めた。

姪の“強運の秘密“。

姪は、「何事においても、“主役は自分だ“といつでも思っている。」と話し始めたのだ。
それも幼い頃から。

そうこの主役、“人生の主役“と言う意味でもある。

自分の人生を全く他人に預けていない。
それどころか、「自分のことを理解してくれない人は、自分の周りに必要ない。」とまで、はっきりと言い切った。

これを聞いたときに思った。

運を引き寄せる人の考え方だ。

それを姪は誰に教わらずとも実践している。
当然のように。

自分のことを理解してくれない人は、自分に必要ないと思っているから、自分の周りは理解者だけになっているし、嫌な人が出てきても、ほんの一瞬。
ずっと周りにいることは無い。

さらに一歩踏み込んで、その理解者たちが姪を表舞台に押し上げているのだ。

姪の運の強さは偶然ではなく、ある意味必然ということ。

ちなみに、「自分は運が良い。」というセルフイメージもかなり強いためか、雪だるま式に運を招く。

また何事に対しても、“うぬぼれ“と言う感じでもなく、その考え方の下、楽しんで実践しているようだ。

一歩間違えると、“すごく痛い人“のようにも感じるが、人に迷惑もかけていないし、自分のこころの内を他人に話しているわけでもないので、人の干渉を受けることもない。

だから身内であるわたしでさえも、そんな考え方をしていることすら全く知らなかった。

危うく自分の考えで、「いつも良いことばかりとは限らないよ。」とか、「世間には上には上がいるんだから、心してかかりなさいよ。」とか、老婆心ながら説教してしまうところだった。
(恐らく、過去にそんな感じのことを話したかもしれない。 反省。)

また、育ての親のわたしの母は、超マイナス思考。
まるで姪とは正反対。
でも、全く影響されずに育ったようだ。

本来子供は、純真無垢。
何の穢れもない。

そんな子供の成長過程において、「大人の観点から、“常識“とか“世間体“とか、いろいろ余計な価値観を押し付けてその子本来の可能性を消してしまっているのではないか?」と、痛感してしまった。

人の目を気にして生きてきた“わたし“とは大違いだ。

実際、姪は人の目を気にしていない。

自分がしたいか、したくないか。
好きか、嫌いか。

自分の気持ちに常に忠実。

自分主体の考え方。
でも“自分本位“とは根本的に異なる、自分を生きる考え方。

この先もっと大人になって、世間で揉まれるようなことがあったとしても、「姪なら何とかしてしまうだろう。」と思っている。

わたしも母も「見習わないとね。」と思わず苦笑してしまった、子供の可能性の一端を感じた話だった。

「自分が主役」

分かっていても、なかなかできない考え方だ。
だからこそ、「わたしも“年下の先生“を見習って主体的にやってみよう。」と、姪には内緒で考えている。


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