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【奇跡】生後すぐ生き別れたのに同じ人生を歩んでいた双子




一卵性双生児の共通した趣味や言動についてはしばしば聞く話だが、恐らくこの双子を超えるケースはないだろう。

​1939年8月19日、アメリカ・オハイオ州の病院で一卵性双生児の男児が生まれる。母親はまだ15歳の移民の少女である。生まれて間もなく双子は養子に出され、1人はルイス夫妻の元へ、もう1人はスプリンガー夫妻の元へと引き取られた。

どちらの夫婦も双子を産んだ少女に会うことはなかったが、双子で生まれたことは知らされていた。スプリンガー夫妻はなんらかの理由で、もう1人は死産したと思っていた。

ルイス夫妻は息子に、ジェームス(ジム)と名付ける。ジムが1歳になったある日、ルイス夫人は養子縁組の事務処理のために郡の庁舎を訪れていた。そこで役所の人の「もう1人の男の子の名前もジムじゃなかった?」という会話から、彼女は双子が同じ名前であることを知ることになる。

そのことがずっと引っかかっていたルイス夫人は、成長した息子にそれが真実かどうか調べるように時々促してもいた。

息子ジム・ルイスは、39歳になってようやく双子の兄弟を探し始める。養子縁組の記録がある裁判所に問い合わせると、スプリンガー夫妻に連絡が行ったうえで、ジム・スプリンガーに電話をするようにとの手紙を受け取る。

ルイスがスプリンガーに電話をかけると、双方が「あなたは私の兄弟ですか?」と口をそろえていた。2人は65kmほど離れたところで全く交流を持つことなく育っていた。

その4日後、ルイスはスプリンンガーに会いに行く。こうして誕生からほぼ40年後、双子の兄弟は再会を果たす。2人は同じ身長で体重も同じだった。

2人とも、好きな科目は数学で、苦手なのがスペリングである。機械製図、ブロックレタリング、大工など、多くの共通の趣味があった。爪を噛む癖があり、偏頭痛があるのも同じだ。

共にヘビースモーカーでタバコの銘柄はセーラム、ビールの銘柄はミラーライト、乗っている車は青いシボレーのペールブルー。

2人ともガソリンスタンドとハンバーガー店で働いたことがあり、ハンバーガー店については同じチェーン店。保安官としてパートタイムの仕事をしていたのも同じだ。

どちらも家族で年に一度の休暇を過ごすのは、フロリダ州の同じリゾート。2人とも家中に妻への愛のメモを残すのを楽しんだと言う。一方で、2人ともどこかで空虚感を感じていた。

2人のジムは、遺伝子や名前以上のものも共有してた。

どちらも、ラリーという名前の養子の兄弟と一緒に育ち、子供の頃、それぞれが「トイ」という名前の犬を飼っていた。犬にトイという名前をつける人は多くはないだろう。

それだけではない。2人ともリンダという名前の女性と結婚し、その後離婚している。さらにそれぞれの2番目の妻がベティという名前である。

また、2人とも息子がおり、長男の名前が「ジェームス・アラン」である。かろうじて違うのはスペリングで、片方がAlan、もう片方がAllanということだ。

スプリンガーが「まったく不気味だ」と語ると、ルイスは「私たちは同じスラングも使う」と付け加えた。

2人は再会後も、2〜3ヶ月に一度は会っていた。

これだけ類似点の多い2人だが、髪型は違う。また、一方はスピーチを通して自身をはるかによく表現するのに対し、一方は文面の方が簡単だと感じると言う。

2度の結婚をした2人だが、ルイスはベティと離婚し、1979年にサンディという女性と3度目の結婚をした。ルイスの結婚式にはスプリンガーがベストマンとして参加している。一方スプリンガーは妻ベティと添い遂げた。

ルイスとスプリンガーは、晩年になっても連絡を取り合っていた。ルイスは、2016年1月24日に76歳で亡くなっている。スプリンガーは、同年の8月23日に、77歳の誕生日を迎えたばかりで亡くなった。



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