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【感動の再会】「ずっと愛してた」 戦争で引き裂かれた男女が75年ぶりに海を越えて・・

アメリカ、ミシシッピ州に住む退役軍人、K.T. ロビンズは、もう二度とジャニーン・ガネイに会えないと思っていた。二人の愛の物語は75 年前にさかのぼる。

1944年、米軍の兵士だったK.T.ロビンズはフランス北東部のブリエという町に派兵されていた。ブリエはルクセンブルグやベルギーと国境を接している町。ここを超えれば空挺部隊と合流する事が出来た。

彼の所属する歩兵部隊はこの田舎町で一休みし、空挺部隊と合流する手はずを整えていた。K.T.は、洗濯を頼もうと地元の人を探していたところ、引き受けてくれたのがジャニーンとその母親だった。当時K.T.は24歳、ジャニーンは18歳。愛情が芽生えても不思議ではなかった。

K.T.はこの若きフランス人女性、ジャニーンと恋に落ちる。二人は2か月間を一緒に過ごした。しかし若き恋は引き裂かれることになる。K.T.が急に別の戦地へ向かわなければならなくなったのだ。

「きっと戻ってくる。君を迎えにくるよ。でも(大きな戦争だから)僕の身に何が起きるか分からない。」

K.T.は彼女にそう言ったことを覚えている。

しかし内心では、命は無事でも片足が吹っ飛んでいるかもしれない、そんな姿で彼女の前に現れたら悲しませる事になるだろう、と考えていた。

ジャニーンは、彼を乗せた戦車が去っていくのを泣きながらずっと見ていた。この戦争が終わってもアメリカに戻らないで・・と祈りながら。

彼女は、K.T.が戻ってきたら最低限の英語力は身に付けておこうと、独学で英語を学び始めた。しかし、それは叶わなかった。2人はそれぞれの人生を歩むことになる。

K.T.はノルマンディー上陸作戦後も生き残り、祖国アメリカに帰還。終戦後に結婚し、妻のリリアンと金物店を開く。2015年にリリアンが亡くなるまで、二人の結婚生活は70年続いた。

一方、K.T.がフランスに戻ってくるのを5年間待ち続けたジャニーンは、その後結婚し、5人の子供をもうける。夫は約30年前に他界した。

K.T.は妻亡きあと、部屋の整理をしていたところ、ジャニーンの写真を見つける。そこには彼女が腰に手を当ててカメラに向かって微笑んでいる姿が写っていた。K.T.の思いは戦時中の恋人に戻る。

第二章が始まったのは、K.T.の隣人が、ノルマンディー上陸作戦 75周年を記念してフランスに退役軍人の団体が旅行するというFacebookの投稿を見つけたことからだった。

隣人はK.T.が申請するのを手伝だった。申請書には、探したい戦争仲間がいるかという質問があり、K.T.はジャニーンの家族を書くように頼む。隣人が、元恋人ではなくて仲間の兵士を探すという意味だと伝えるが、彼は変更を拒否した。

この退役軍人団体の創設者で会長のダイアン・ハイトは、75年前の人物を探すのは難しいと思ったが、やってみることにする。ハイト氏は、フランスの放送局に連絡を取る。

捜査は、グーグルとホワイトページで探すことから始まった。課題の1つは、アメリカ人の発音からフランス語の名前を推測すること。ブリエにはジャニーンの家族がたくさんいた。記者は、古風なファーストネームを選び、電話をかけ始める。

そしてジャニーンの弟、そして彼女の子供に行き着く。そしてついにジャニーンを見つけることができた。ジャニーンが若きアメリカ兵のことを覚えていた。K.T.のことを家族に話していなかったジャニーンは、少し時間はかかったものの再会に同意。

K.T.は、

「きっと彼女に会うことはないだろう。もう彼女はこの世にいないだろう。」

と言っていた。

ノルマンディー上陸作戦75周年式典のためにフランスに戻ることを知った時、彼女はもういないと思い込んでいた彼は、彼女の家族を見つけるためにブリエを訪ねたいと希望した。彼女が生きていて、ブリエからそう遠くない地の老人ホームに住んでいることは、この時点では知らされていなかった。

ジャニーンが生きている事が確認できたのは2019年の春。そして同年6月に彼は退役軍人として戦後初めてフランスに戻る事になる。この時点でジャニーンが見つかったことはまだ彼に知らされていない。

信じられないニュースが伝えられたのは、ジャニーンにの家族に会いに行く電車の中だった。

「彼女は生きていますよ」

そう告げられると彼は喜びと衝撃で「冗談だろう!」としか答えられなかった。

これから会いに行くことが告げられると彼は、

「彼女に会いに行く・・、彼女に会いに行く・・」

と繰り返し、満面の笑みを浮かべる。

「彼女があなたを待ってますよ」

と言われて、「冗談だろう・・信じられるかい?」と、感無量だ。

そして2019年6月8日、2人は75年ぶりの運命の再会を果たす。

「ジャニーン・ガネイ!」

彼女の名前を言いながら近づいていくK.T.。数歩進んだところにジャニーンはいた。

ジャニーンが挨拶のキスをする。かつての恋人達はついに再び抱き合った。

「元気だった?」

お互いがそれぞれ英語とフランス語で聞く。

75年も経ったが、97歳のK.T.と92歳のジャニーンは、お互いを忘れることはなかった。

隣に座って二人は再び愛について語り始める。

「私は君をいつも愛していた。君が私の心を去ることは決してなかった」

K.T.が英語で彼女に伝える。

彼が何を言っているのか理解できたようで、笑顔がこぼれるジャニーン。

彼女はレポーターに伝えた。

「私もずっと彼のことを考えていました。彼はどこにいるのかと。いつか会いに来てくれるんじゃないかといつも思っていました。」

彼が去った時は悲しくて泣いたことを覚えていると話す。

K.T.はずっと大切に持ち続けていた写真を彼女に見せた。

「これは君だよ。」

「これが私だなんて信じられないわ。昔にしてはとても現代的。今の女性はこういう格好をするけれど、当時の女性はしなかったのよ。私はしてたけどね。」

5人の子供を育てたジャンニーヌ。彼女の娘も来ていた。

娘が言う。

「大きな歴史の中の小さな物語ですね。」

ジャニーンにはK.T.に聞きたいことがあった。彼女はレポーターを介して聞く。

「なぜ彼はこんなに長い間待ったのかしら。もっと早く会いに来てほしかったわ。」

K.T.は言った。

「結婚してたからだよ。それだけだ。」

アメリカに戻った後になぜすぐにフランスに会いに行かなかったのかについては、

「ずっと働かなければならなかったんだ」

と答えた。

二人は、ジャニーンが暮らす老人ホームで約2時間一緒に過ごし、75年越しの忘れられない瞬間を共有した。そして別れの時が来る。別れ際にK.T.は言った。

「ジャニーン、愛してるよ。」

二人は名残惜しそうに何度もキスをする。涙が溢れた。

「またすぐに会いましょう。」

ジャニーンが言う。フランス語と英語で。

「Yes,Baby..」

K.T.は涙声で答えた。二人は再び会うことを約束する。二つの魂。お互い別の人と結婚したが、二人はその短い恋を決して忘れることはなかった。

インタビューでK.T.は語った。

「もう逢えないと思っていた。彼女は戦争で死んでしまったかもしれないし、仮に生きていたとしても、私と同じように長生きしているはずがないと何度も思ったよ。出会ってから75年後に誰かに会うことを想像してみてください。そして、その人に会ったとき、再び愛がそこにあった時のことを。ただただすごい。素晴らしいことでした。」

ジャニーンもその時の気持ちを語った。

「あの頃から、ずっと諦めないで英語を勉強しつづけていたのは、彼に逢うためだったと確信しました。」

喜び一杯の表情で。

K.T.は、40年代には言葉の壁は問題ではなかったと言う。フランス語はなんとか話せたが、手振りやキスをたくさんすればなんとかやっていけたと。

彼はジャニーンとその家族をアメリカに招待し、楽しい時間を過ごすと約束したと言う。

「私達が彼女の面倒を見て、2週間ほど一緒に楽しむつもりです。エルビスに連れて行きます。グレイスランドに連れて行かなくちゃ。」

K.T.は結婚は考えていないとし、

「もう遅い。でも、会いに来られたら素晴らしい。しばらく会いに来てくれたら最高だ。」

とインタビューに答えた。

その間、2人はメールで連絡を取り合うことになる。K.T.はコンピューターを使ったことがないが、再会の報道に触発されたパリの男性が、2人のメール翻訳を申し出た。K.T.がフランスのためにしてくれたことへの感謝の気持ちとして。

写真のやり取りもできると聞いてK.T.は「それは最高だ」と喜んだ。

その後、K.T.とジャニーンのつながりを保つためにチームが結成される。

彼らのラブストーリーは世界中の人々の注目を集めた。中にはアメリカのK.T.を訪問するジャニーンの旅費を援助したいという人もいた。

翌年の2020年9月。K.T.はフランスに戻り、4日間をジャニーンと一緒に過ごす。前回の短い再会では語りきれなかったこと、全てに追いついた。 K.T.はジェニーンの家族と彼女の曾孫娘にも会う。 彼らは76年離れていても一緒にいることを楽しんだ。

作詞家のサミー・カーンはかつて、「愛は二度目のほうが美しい」と言った。退役軍人K.T.も、おそらくこの言葉に異論はないだろう。

それから間もなく、94歳でジャニーン・ガネイはこの世を去った。K.T. Robbinsは健在である。2024年7月4日、彼は103才の誕生日を迎えた。


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