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【感動の再会】70年前の恋人を探し続けた元米兵


アメリカ・アイオワ州。

ドウェイン・マンは91歳の元海軍兵。約70年前に離れ離れになった元恋人を探し続け、感動の再会を果たしたばかりだ。

事は約70年前に遡る。ドウェインは1953年から1954年にかけて横須賀基地と羽田空港に駐留していた。

基地内のクラブで知り合ったのが、当時コート係として働いていたペギー・山口である。二人ともダンスが得意で、一緒に踊る姿は周囲の注目を集めた。

恋に落ちるのにそれほど時間はかからなかった。二人は結婚の約束をし、当時は難しかった結婚の手続きをできるだけ早くする予定でいた。

当初のドウェインの除隊予定は1954年9月。しかし海軍のオーダーにより、2 か月早い除隊が決まってしまう。6 月中旬、ドウェインは 1 週間後にアメリカに戻るオーダーを受け取る。これにより二人は、結婚の手続きをする時間を無くしてしまう。

ドウェインが日本を去る時、ペギーはたくさんの涙を流した。彼女は妊娠していた。

愛する女性を置き去りにする形となったドウェインは彼女に言った。アメリカの口座に十分な貯金があるから呼び寄せる、心配しないでほしいと。朝鮮戦争で、万が一自分が死んだ場合に備えて、父親の名前を自分の口座に入れていたのだ。

しかし故郷のアイオワ州に戻ると深刻な問題が発覚する。経済的に困窮した父親が彼の貯金をすべて使い果たしていたのだ。

ドウェインはペギーに手紙を書き、事情を説明する。収入の良い仕事を見つけて、できるだけ早く呼び寄せると。

彼は高速道路建設会社の仕事を見つけ、週6日懸命に働いた。隣接する州まで出向くことも多く、何日も家を留守にすることも多かった。

ドウェインとペギーはできる限り連絡を取り合ったが、1か月ほど経った頃、彼女からの手紙が届かなくなる。

それからさらに 数か月後、一番下の妹がペギーからの 1 通の手紙を持ってきた。その手紙には、赤ちゃんを亡くしてしまったことと、米兵と結婚ししたことが書かれていた。

彼女からの最後の手紙には差出人住所がなく、連絡する手段も失う。

その時だった。母親がペギーからの手紙をすべて燃やしていたことを知ったのは。母親は日本人女性と結婚させたくなかったのだ。

ドウェインは打ちのめされ、ひどく動揺した。ペギーは自分が彼女を捨てたと思っているに違いない。

この考えを捨てることができず、ドウェインはペギーを見つけるのに約70年間を費やしてきた。

彼は2度の結婚をし、最初の結婚は17年、2度目は47年継続した。6人の子供と孫やひ孫にも恵まれている。現在の人生なしではこの家族を持てなかった。しかし一方で、91歳の現在も心に重いものを抱えているのも事実だった。

オンラインでいろんなリサーチもした。しかしドウェインはペギーの本名であるアヤコのスペルを間違え、(i-Ya-Ko)彼女が結婚した人のラストネームも知らない。

伝えるべき思いを伝えるべく、彼女、またはその家族を見つけられればという思いから、当時買ったばかりのカメラで撮った彼女の写真とともにFacebookに投稿する。

彼の投稿は注目を集め、多くの人にシェアされ、それは日本までに及ぶ。地元アイオワのニュースにも取り上げられた。

そのニュースをオンラインで見たカナダ在住のテレサ・ウォングは歴史番組の調査員。ドウェインが心に抱えた重荷をなんとかしてあげたいと思った。

彼女が過去の新聞記事からリサーチすると、「東京の花嫁、エスカナバの生活を楽しむ」という見出しの、1956年2月3日の地元記事に行き着く。

その写真はペギーの写真とよく似ていた。そこからその女性の住んでいる地名と名字が判明し、彼女の長男リッチとの連絡に成功する。

彼女がドウェインが探しているペギーなのか。

「確認する方法はただ一つ。」

そう言ってリッチが母親の家に行き、ドウェインのインタビューを見せると彼女は言った。

「彼のこと覚えてるわ。私のことをとても愛してくれた。」

彼女はかつての恋人を、背が高くてハンサムで誠実な男性と表現する。

ドウェインが探していた女性は海の向こうの日本ではなく、同じ国のミシガン州にいたのだ。

ペギーも91歳で、1955年に結婚した元米兵の夫の間に3人の息子を儲けている。

ドウェインは手紙ではなく、直接会って伝えたいと思っていた。常時酸素をしているドウェインにとって14時間の移動は容易ではないが、長男のブライアンの運転でミシガン州に会いに行く。

Facebookに投稿したのが5月1日、地元ニュース局のオンエアーが5月8日、ペギーが見つかったのが5月18日という早さである。そしてアイオワ州を出発するのが5月30日で再会日時は6月1日。

ドウェイン親子は再会場所へ到着する。70年間待ち望んでいた瞬間だ。

ドウェインが「ペギー?元気だった?」と言って声をかけると、ペギーは「オーマイガーッド!」と驚き、二人は大きなハグを交わす。

ペギーが「一緒に踊ってたの覚えてる?」と言うと、ドウェインは「動けなくなるまで何時間も踊ったね。」と言い、二人は昔の思い出に花を咲かせる。

「誕生日は3月10日だったよね。僕の方が1ヶ月と2日早いんだ。」

彼はペギーの誕生日も覚えていた。

ドウェインが言う。

「一つだけすぐに伝えたいことがある。僕が君を捨てたと思っているんじゃないかとずっと心配していた。でも決して捨てたりしていない。ただ君を見つけることができなかったんだ。それを伝えたくてここへ来た。」

「とても愛してくれていたのに違いないわね。」

「愛していたとも。」

ペギーはドウェインの頬にキスをする。

彼は70年間ずっとペギーの写真を財布に入れていた。ペギーが「奥さんに隠してたのね」と笑うと、ドウェインは隠していたわけじゃないと言う。

記者の

「奥さんは知っていたんですか?」

との質問に彼は、

「ノー。罪悪感はあった。でも写真を捨てることなんてできなかった。」

と答える。

「オーマイガッド!こんなに長いこと私の写真を持ってくれるなんて。ありがとう。」

ペギーは再度キスをし、ドウェインもキスを返す。

それぞれの息子も同席し、温かく見守っていた。ペギーの長男と次男は再会の前夜、ドウェイン親子の宿泊するホテルを訪れている。

ペギーの次男マイクのミドルネームは、ドウェイン。

「単に思いついた名前だと思ってたけど、どうやら特別な意味がありそうだね。」

とにこやかに笑う。

ドウェインの長男ブライアンによると、家にはたくさんのペギーの写真があったことから、

「日本に俺たちの腹違いの兄弟がいるんじゃないか?」

と家族で冗談を言ったこともあるが、ドウェインは何も言わなかったと言う。ペギーとの間に生まれなかった子供がいた事を知り合点がいく。

自分の心に忠実で、他の人が踏み出せないような一歩を進むことのできる父ドウェインのことをブライアンは誇りに思うと言う。

アイオワ州までの帰りの車の中、ブライアンが笑って聞く。

「父さん、会いに行く彼女はあと何人いるの?」

「あんまりいないよ。カリフォルニアに一人好きだった女性がいた。あまり思い出した事はないけど。」

ドウェインは、アメリカにまだ残る差別問題についても指摘し、人間として平等に見るべきだと語ったうえで、今回力を貸してくれた人々に感謝の気持ちを述べた。

ペギーに直接会って思いを伝えられたことで、10〜15年若返ったように感じ、寿命が延びたのが分かると言う。そしてあと1、2年は生きてまたペギーと会えることを願っている。

「また一緒に踊りたいけど酸素をしているから早い動きはできない。」

彼の願いが叶うことを祈るばかりだ。


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