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(隠れた絶景を歩く)京急能見台駅から「旧小柴貯油施設」脇を通り海の公園へ至る。

能見台駅から国道16号線を渡って住宅街を登って行くと金沢文庫から氷取沢まで見渡せる絶景が広がり、さらに、米軍旧小柴貯油施設の脇から海の公園へ降りる途中で八景島が見え、両方向の絶景が楽しめるルートです。

京急能見台駅、京急ニュータウンとして発展

横浜市金沢区に位置する京急能見台駅は、1日平均28,786人の乗降客を誇り、京急全線の駅の中で杉田駅に次いで乗降客数15位となっています。地域住民にとって欠かせない交通の拠点となっています。その歴史を振り返ると、駅と周辺地域がどのように発展してきたのかが見えてきます。

京急 能見台駅

谷津坂駅としてのスタート

京急能見台駅は、開業当初「谷津坂駅」という名称でスタートしました。

開業当時は付近に人家がほとんどなく、一般の人よりも軍需景気にフル操業していた大日本兵器産業富岡工場の従業員に利用されていた。終戦前には約1万人もの利用者があったとか。

https://www.keikyu.co.jp/ride/kakueki/KK48.html

終戦後は工場の閉鎖に伴い利用者が激減しました。

能見台駅の東側に広がる住宅地は急坂の連続

能見台駅を見下ろす。

宅地開発による利用者増加

能見台駅から東へ住宅街をひたすら登る

昭和30年代に入ると、富岡から能見台にかけての大規模な宅地開発が進み、地域の人口が急増しました。これに伴い駅も橋上駅化され、利便性が向上しました。その後、昭和57年12月1日に「能見台駅」へと改称され、新駅舎も完成しました。

長浜公舎

長浜公舎と西柴台公園

上りきった先にさらに絶景が見え、反対側には年季の入った長浜公舎が数棟並んでいた。ほとんど住む人はいないようだが、完全退去というわけでもなさそう。奥には西柴台公園があったが、誰もいない。

米軍「旧小柴貯油施設」

住宅街の先には旧小柴貯油施設がある。

車の通り抜けはできない

横浜市金沢区に所在する旧小柴貯油施設は、戦後日本の歴史的施設の一つとして長らく注目されてきました。1948年(昭和23年)に旧日本海軍の施設として米軍に接収され、2005年(平成17年)に返還されるまで、航空機燃料の備蓄基地として機能していました。その後の跡地利用は、地域の環境や住民の生活に配慮した都市再生プロジェクトとして進められています。

防衛…と読める

施設概要と利用歴史

旧小柴貯油施設は、526,205平方メートルに及ぶ広大な敷地を有し、34基のタンクを備えていました。また、海上には大型・小型タンカー用のバースが設けられ、1,200メートルのパイプラインが長浜水路沿いに敷設されていました。1970年代にはパイプライン移設工事が行われ、1981年(昭和56年)にはタンク爆発事故が発生しましたが、市と米軍の消防隊の協力で迅速に対応されました。

2020年にも事故が起きています。

令和 2 年 8 月 25 日(火)に、金沢区長浜の小柴貯油施設跡地(公園整備予定地)内において、下水道工事で発生した建設発生土を仮置きする作業中に、作業員 1 名(60 代男性)とバックホウが既設の貯油タンク(直径約 45m、深さ約 30m)に落下する事故が発生しました。

https://www.city.yokohama.lg.jp/shikai/kiroku/katsudo/r2/nkanshi2020r02.files/j6-20200910-ks-35.pdf
八景島が見えた

返還後の跡地利用

2005年12月14日、旧小柴貯油施設の陸地部分全域と一部水域が日本に返還されました。その後、横浜市は「小柴自然公園」計画を進め、環境保全と市民の憩いの場の創出に取り組みました。2009年には「開港150周年の森」づくりが始まり、約1.5ヘクタールの土地に11,200本の植樹が行われました。

小柴自然公園整備の進展

2017年には「小柴自然公園」として都市計画公園の整備が開始され、2021年には第1期エリアが一般公開されました。この公園は、自然環境を活かした憩いの場として市民に愛されています。

海の公園柴口駅へ出る

海の公園柴口駅

海の公園柴口駅に出て今回の旅は終了。

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