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ハッピーマタニティライフとは


妊娠したらもっと嬉しい気持ちになるものかと思っていた。
望んで妊娠したのでネガティブな気持ちになっているわけではない。
どう言えばいいのか。
無。に近いといった表現が1番近いだろうか。

子供を希望するという決心をするまでに私は人より大分長い年月がかかった。
詳細は割愛するが、子供を希望するということは私にとっては一大決心だった。
ラッキーなことに、この決心をしてから当月に授かることができた。
自分の中での一大決心だった為、妊娠したら私はもっとハッピーになれるのかと思っていた。

ハッピーとはまた抽象的な表現だが、なんだか嬉しくなったり、幸せな気分になったり、お腹に手を当てて話しかけたりするものかと思っていた。

現在妊娠4ヶ月だが、まだ幸せな気持ちを感じたことがない。
学生の頃、「幸せそうで羨ましい。」と言われたことがある。心の中では幸せって何さ。と呟いた。幸せになりたいと言う人を見ては、一体何をもって幸せなのかと思う。他人なんて外から見たらわからないことだらけなのである。
銀河鉄道の夜にて、「本当の幸い」について書かれている部分があるが、本当の幸いとは一体なんなのか。

Instagramで妊娠報告やマタニティフォトを投稿している人たちを見て、私は投稿さえしなくても、同じようなことをするのかと思っていた。
マタニティに関する投稿を見ると為になることがたくさんある。
だが投稿を見ると同時に自身の母性の低さに辟易する瞬間もある。
私が勝手に思っている他人の母性がバランスボールくらいの大きさだとすると、私の母性は卓球のピンポン球くらいの大きさだと思う。
もちろん人それぞれ思うことはあるだろうから、私が勝手にそう思っているだけだ。

でも30年以上生きてきて、曲がりなりにもわかっていることは自分と他人は違うということだ。
結局は他人と比べても意味がない。
世間一般の大多数とかけ離れていたって、少数派でも自分は自分なのだ。

だから幸せの定義も人それぞれなのだ。
今思えば私が確実に幸せだと口に出して言った記憶があるのは、美味しい焼肉かケーキを食べた時だった。この時ばかりは「はぁ〜、幸せっ!」と心が満たされたのを覚えている。

幸せは人それぞれ。
他人と比べても仕方ない。
時にそれを忘れてマジョリティではない自分に焦ったとしても、「他人は他人、自分は自分」と思い出すようにしたいと自戒を込めて書いている。

そもそも私は幸せを追い求めるということをナンセンスだと思ってしまうような人間だった。
それなのに妊娠したら、ハッピーマタニティライフがやってくると思っていたんだから私もとんだオメデタ野郎なのかもしれない。

もし今、マタニティハイにもブルーにもなっていないが、なんだかなとモヤモヤしている方がいたらきっと貴方の気持ちを少しは理解できるかと思います。
自分は自分。
忘れずに過ごしていきましょう。


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