京丸集落を歩いてきた。
クリスマスの25日、静岡県春野町にある京丸集落跡へ行ってきました。
1300年代頃、南北朝の争いから逃れた人によって作られた集落と言われ、1600年代に洪水のため流れてしまった生活用品が下流まで流れた事により上流の京丸に里がある事が知られたようです。
実に300年もの間、隠れ里として存在していたと言われておりますがほんとかよと。
しかし、今日行ってみてマジで隠れ里かもなと思うくらいに山深い、雰囲気のある集落でした。
ちゃんとした道が(林道ほぼ未舗装)整備されたのは昭和に入ってからだそうです。
集落を作ったとされる藤原本家。大正時代には民俗学者の折口信夫も本家に宿泊し調査した話もあります。
藤原本家は尹良親王の首塚があるとされる高塚山を代々守っているそうです。
3代ほど前には当主だけが首塚にお参りしてたそうですがその当主が急死し、かつ首塚の場所は口伝であったためどこに首塚があるのかと…。
1980年までは先代の藤原家当主が住んでましたが、現在の当主は少し下流の浜松の気田にお住まいになってます。
お墓やお庭の周りは非常に綺麗なので頻繁に来られているようですね。
藤原本家の瓦には位の高い人物しか与えられないと言われる葉菊の家紋がついております。
お墓にも家紋が掘られておりました。
京丸集落は多い時には20世帯が住んでいたんだとか。
色々、疑問点は多いながらもミステリアスかつロマンを感じた場所でした。
ちなみにこの地は遠州七不思議の一つの京丸牡丹が咲くと言われております。
京丸牡丹はその一輪が傘を広げたように大きくいんだとか。
また、シロヤシオが咲く時期にのんびりと歩きたいと思ってます。
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