つぶやきに収まらないので、記事に書くつぶやき的記事:学生と激論して疲れた話
いつもは、どんなに突拍子もない論点を持ち込む学生にも、「それは面白い論点ですね、ちょっと考えてみましょう」とできるだけ柔らかく議論を展開する私が、昨日は、自分より年配の男性学生が授業中にぶち上げた「大人がLGBTQ+的な概念を教えるから、子どもがゲイやトランスジェンダーになるんだ」論に(だから教育現場で、そういうトピックは扱うなという議論)、真向から、「That's not true.」と一歩も譲らず、一応なぜそう考えているのかには耳を傾けたけれど、(彼によれば「自分が小さかった頃にゲイやトランスはいなかった」「自分が今親になって、幼い子どもがそういうことを自ら考えないというのが分かった」という偏った印象と偏った個人的体験によって形作られた意見だった)、最後まで「そういう考えもあるんですね」とは言わずに「その考えは間違っていますよ。私を信じられないなら自分でリサーチしてみてください。」と譲らなかった。
その議論の最中、クラス中が死んだように静かになっていて、その直前に、自分の意見とは違う意見の人とも建設的な議論ができるようにならなければいけないと話していたところだったので、それを全くできていないように見えるこのやり取りをみせてしまっている自分に矛盾も感じて、あぁ、もっと上手に彼の意見を掘り下げて話ができればいいのだけど、と胸が痛くなった(掘り下げるほどの意見がなかったというのもあるが)。けれど、たとえば昔あった「黒人は白人よりも知能が劣る論」みたいに、絶対に「そういう考えもあるんですね」と言ってはいけない論点ってあると思う。それは論点というよりは、誤った情報であり、その誤った情報によって作られた誤った思想がある特定の人々の人権を脅かすことに使われるような場合、それは、意見の多様性として受け入れられてはいけないと思う。
ともあれ、昨日は帰りの電車で爆睡するほど消耗し、今日もまだ疲れてます。
もっとうまくできたんじゃないかなぁ、という盛大な一人反省会もさることながら、今学期の終わる4月末までの間、その学生の私へのリスペクトは完全に0になっただろうし(既に0だった可能性もあるが。)、そうは言っても成績を付けられる側としての力関係の不均衡があるので、私のクラスに出席し続け、このろくでもない教授の話を聞かなければいけない状況とか、そういう学生がいる中での今後のクラスの空気感とか考えてみても、あぁ~、もうあのクラスに行きたくなーい!と泣きそう。でも行くけど。