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許されようとするのは楽
はじめに断りを入れておかないと誤解を生むので、記載しておくが、今回の件に対して自分は何も怒ってもいない。
本人や関係者に伝わってしまってもこの先の人生に関わる人達では無いので、どう思われようと本当にどうでも良いが、今回の事で思う事があったので書き記す。
先日地元の友人の結婚式があった。そこには高校時代に恋愛関係でもつれた人も参加していた。
1年前の友人の葬式にも彼が来ていたのに気づいてたが、気まずいので挨拶もしなかった。
それくらい自分の中では当時は許せず、関係も切れて、ずるずると10年が経って今にいたる。
そして結婚式には来るだろうと予想はしていたがいざ当日。彼との披露宴の席は離れていたが、突然彼が隣に座り、話しかけてきた。
「後で話そう」彼はそう言って一度席を後にした。
自分の中で何と無くその日、彼から何かしらのアプローチがあると勘づいていた。自分も同じ席になったら話すの気まずいなど少しは考えていたのもあって、意識はしていた。
その後披露宴も進み、彼も酒がいい感じに回ってきたのか、また席に近づいてきた。
「和解しよう」そう言って握手を求めてきた。
話す事がある→仲直りしよう
みたいな流れ。予想は付いてたけど、いざ直面すると思考が止まる。
冒頭にも書いたが、彼とは気まずい関係性になったものの、当時の事は今は最早何も気にしていない。逆に当時のことを掘り起こされたり、美化されたりすると面倒。特に彼に敵対心なども無いし、ただただ自分の人生には二度と関係が構築される事はない。そんな感じで自分の心の中の二度と触る事も、検索ソートかけることもないフォルダにしまっていた。
和解するとは仲直りの意味と同時に、譲り合ってその間にある争いを止める事。
一応、彼側に非が有ったので、罪悪感みたいなものがあったのだろうか。形だけの謝罪だったのか。
ここで自分の中に溢れてきた感情がある。
① 和解しよう=謝罪なのか
②仮に謝罪として、この流れも何もかも度外視した雑な謝罪は何?許されたいだけ?
③許されようと安易に謝る事は、時に謝らないより逆効果
→とにかく仲直りの仕方が雑なのである。
小学校の時からお互い謝ったら仲直り、みたいな形だけの謝罪儀式にとても違和感を感じていたのを思い出した。
相手が謝ったらこっちが謝るのがよく分からない。謝ってきたら許さなければならないし、許さない方が悪みたいな。
「許すのを強要する儀式」と呼んでいた。
許す事の強要をされているようで、許さないと貴方はまだそんな事で怒っているのかと、少しは大人になれよみたいな。
過去にされた事を気にしている、気にしていないを決めるのはこちらなのである。
いろんなものひっくるめて、許される権利はあっても、許しを強要する権利は彼側には無いのである。
その場は普通に大人な対応をしていたが、無理して声をかけてくる必要もないし、そのまま関係が悪いままでも、今後関わることがないから別に良いのでは?と思ったりしていた。
末恐ろしく自分がめんどくさい人間である事を再認識したけど、自分らしいなとも思った。
そんなこんなで、形だけの謝罪ほど、逆効果で、後味の悪い体験談でした。
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