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対人関係での敗北
人間性とは、人と関わることによって変化するものであると考えます。
進化するのか退化するのかは、思春期までは、その人が生まれ持った性質とのマッチングであるし、それ以降は、それまでに形成された人間性次第だと考えます。
思春期までは、『親の躾が合わずに叱られ続けて内向的になった』だとか、『小学1年生から学童に預けられていたために学年を問わず誰とでも話しかけられるようになった』といった具合で、その人の核となる人格の整形は、その殆どが自分の意思では選択できない受け身の整形となります。
そして、思春期以降は、それまでに整形された人格を基礎として、付き合う人物や自身の行動を取捨選択することによって新たに人間性を築き上げていくのです。
対人関係は簡単に言えば、今まで獲得してきた人間性のぶつかり合い、妥協点の探り合いです。
それもそのはずで、生まれ持った性質が違えば、両親が同じ躾を施したとしてもどう育つかは、本人の受け取り方次第ですし、そこに差が生じれば、その先にある取捨選択も違ってくる。同じような人間性を持ったとしても、全く同じはないわけです。
だからこそ、ぶつかり合う、そして、お互いにちょうどいい距離を保てるように妥協点を探り合う。対人関係の難しさとはそこに尽きるのです。
妥協点が見つからない。少な過ぎる。といった場合は、次第に距離が離れていき縁切りになります。
個人的な話をすると、僕は数多の縁を切るか切られるかを経験していきました。
対人関係を結び、円滑で豊かな人生を送ることが勝利とするならば、これは対人関係での敗北ではないでしょうか。
しかし、人というものは失敗を繰り返すことで、そこから学び、成功に近づくものだと考えています。
そこで、次回から、僕の中で、より良い対人関係を結ぶために大切だと考えていることを、いくつか紹介していきたいと思います。
今回も読んでいただきありがとうございました。