僕がやっていきたいこと
昔から、変なやつだとか、喋らないほうがいいのに…とかよく言われてきた。
多分、考え方が他よりも大きく違うのだと思う。
それ故に、空気を読んで発言した“つもり”であっても場にそぐわなかったり、面白いと思って発した冗談を理解されず場が白けたり…幾度となくあった。
空気を読むのが疲れる。
そもそも、考え方が人と大きく違っているのだから、無理もないと思う。
だから、どうしたのか…
そう、空気を読まず、直感のまま、気の向くまま、ありのままでいようと思った。
そうして、去る者追わず来る者拒まずの心でいれば、自らの心は凪となるだろうと悟った。
自分自身こそが最大にして最高の理解者なのだ。
自らの心を凪にすることができた。
次は、自分が社会にコミットしてより楽しく生きていけるためにやるべきこと、真に学ぶべきことを見出していきたい。
そうTwitterで呟いた矢先、友人に『noteを始めてみれば?』と背中を押されてnoteを始めたわけです。
上記の通り、僕は人よりも歪んだ心と考え方を持ち合わせていると思っています。
生きていく上で、少しずつ修正をかけていかなくてはの精神だったのですが、あるところまでくると、『生きる苦しみ』や『生き辛さ』をかえって感じるようになりました。
そこで考えたのです。僕から個性を取ったら死ぬんじゃないのか?ならば、理想と現実の狭間で、1番妥協できる点を探してそこで自分の良さを引き出してやろう。で、上記のような境地に辿り着いたわけです。
そして、精神が安定すると自然と周りにも関心が向いていくものですね。
『僕のように普通の人ではない感性を持っていて、生き辛さを感じる人もいるのではないか?』
と、ふと思ったのです。
それなら、僕がそういった人たちを元気づけられる発信ができるのかもしれない。
そうしたら、それが僕の生きる意味にもなるのかもしれない。
そうしてTwitterを経由して始めたnoteです。僕の考え方を皆さんに知っていただきたいと思っています。それを批判するも賛同するも自由です。そのリアクションによって、また僕もより良い妥協点を見つけ出し、誰かを応援できるスキルが向上できるのです。
改めて、noteで見つけてくださった方々、Twitterから飛んできてくださった方々、宜しくお願い致します。
読んでいただきましてありがとうございました。