
アラフィフ父が考える 育児/子育て環境のこだわりとは?【中編】
もう一度振り返っておきます。
わが家(自分)の育児/子育て環境のこだわりは、
『子供が独立するまで引っ越しをしないこと』です。
これは自分が育ってきた環境と大いに関係があると、【前編】でも触れてきました。
【中編】では、生い立ちの続き、転機となった小学校高学年について書いていきたいと思います。
生い立ち(小学校高学年①)
小学校高学年になるにつれて、勉強のできる子が先生から評価されるようになっていき、運動の出来る子がクラスでの人気が高くなっていきます。
特別勉強ができるわけでもなく、スポーツがそんなに得意でない自分は、次第にクラスで目立たない存在になっていきました。
通知表の5段階評価で図工だけ「4」でそれ以外はオール「3」だった時、自分は何て平凡な人間なんだと小学5年で思うのでした。
小学6年生になると、中学受験する子としない子を先生が選別するようになりました。「(中学受験をする)○○は、あいつら(中学受験をしない自分のような子たち)ともう遊ぶな」と言われたことは今でも鮮明に覚えています。今そんなことを先生が言ったら大問題になるでしょうけど。昭和はそんな時代でした。
誰からも評価されず、閉塞感のある学校生活に転機が訪れます。
小学6年生の6月ごろのことでした。
父親の転勤です。
【前編】でも書きましたが、わが家にとって転勤はすなわち引越し(転校)です。しかも初の関東地区!(ちなみにそれまでは東海地区で育ちました。)
母親の実家が東京にあるので、幼少期から年に数回東京に行っていて、関東地区は馴染みがあって憧れの場所でした。
小学校高学年になると子供ながらに人間関係が築かれていて転校が嫌なものですが、この転校は前向きに捉えることができました。
この引っ越し(転校)のメリットとして、
1. 学校生活をリセットできる
2. 母親の実家がある東京に近い
小学6年にして行き詰まった学校生活をリセットでき、なおかつ母親の実家がある東京に近いから、いつでも都内へ遊びに行ける!そしてサードプレイスができる!
もう興奮で、引っ越し前からデメリットが思いつかない思考回路になっていました。
生い立ち(小学校高学年②)
こうして6年生の6月下旬に4回目の引っ越しをしました。
初めての関東地区、引っ越し(転校)による環境の変化もあって、当初は戸惑いもありましたが、それも数週間で解消されました。
あまり転校生が来ない学校(地区)だったので珍しがられて、必要以上に?親切にしてもらえたのです。世話好きの人が多い土地柄もあったと思います。
忘れられないエピソードが1つあります。
6月下旬に引越してきて、7月11日が自分の誕生日なのですが、できたばかりの友達4人が誕生日プレゼントをくれたのです。みんなでお小遣いを出しあって用意してくれたのでしょう。忘れもしない公衆電話型の貯金箱でした。短期間で誕生日を聞き出してくれた用意周到さに驚くとともに、その気持ちが嬉しくて、その友達4人とは一気に距離が縮まりました。そのうちの2人とは今でも連絡を取り合っています。出会いから30年が過ぎました。
あともう1つ嬉しかったのが、あだ名をつけてもらったことです。東海地区にいた幼稚園~小学6年まであだ名がなかったのです。確か、呼び捨てか○○君だったような。人生初のあだ名。当時人気があったアニメの登場人物と同じあだ名で、クラスに受け入れてもらえた瞬間でした。
誕生日のエピソードやあだ名の件にしても関東地区は都会だなぁと感じるのでした。
給食の美味しさも驚きでした。関東地区の給食は東海地区にはない献立メニューが多かったのです。東海地区の給食はお世辞にも美味しいとは言えず、給食の時間が憂鬱でした。自分は小学校高学年になるまでは少食で、給食時間に食べきれず、休み時間に残って食べさせられた記憶があります。
勉強ができる子と運動ができる子だけが評価された前の小学校と違って、この小学校はクラスの皆がそれぞれ得意分野を持っていて、お互いを認め合っていました。漫画を書くのが得意な子や落語ができる子がいたり。今で言う多様性です。
自分の場合は図工が得意分野になりました(してもらいました)。図工で作成した椅子がクラスで一番に評価されたのは今でも覚えています。
図工が得意だと認めてもらえたことが自信になって、自ら勉強もするようになりました。この頃身についた勉強をする習慣が中学~高校へとつながっていくのです。
認めてもらうことが、いかに自己肯定と自信につながるか。身をもって経験するのでした。
【後編】にするつもりが、小学校高学年のボリュームが多くなって、【中編】になってしまいました。それだけ小学6年の転校が人生の転機となったということです。
中学校以降は【後編】に続きます。