覚えてもらうこと、忘れること、それ以外の謎
こないだ知り合った舟本さんという人と自分の名前の話になったとき
「ボク、舟本っていうんですけど、学生時代は舟木一夫と苗字が似ているのでよく先生や友達にいじられまして・・・」
と言っていて、ボクはたいして気にもしないで
「あ、そうなんですね」
と返事をしたのですが、よく考えたらボクと同世代の舟本さんの苗字で舟木一夫の話題になるというのは、まして同級生にいじられるというのは若干無理のある、あまりありえない話なわけで、それはおそらく、舟本さんなりにボク(や自己紹介をする相手に)名前を覚えてもらうための方法だったんじゃないかなと思ったときに
『あー、この人は名前を覚えてもらうためにこういう方法を思いついたんだね、きっと優れた営業マン(多分)なんだな』と思ったのです。
普段から猫背になりがちで、なるべく背中が曲がらないように気をつけているのです。
背中をまっすぐにする方法は決して胸を張った姿勢をするわけではなく、耳を肩の真ん中に垂直に揃えると(言っている意味、わかるかしら?)勝手に背筋が伸びるんだそうです。
実際にやってみると、なるほどその通りでそれ以来、気をつけています。
日に日に悪化する四十肩の治療に行って、高い金を払った割にはなんにも効果が無かったのですが、その教えを頂けただけで少しだけラッキーでした(かといって治療の金額に見合っていないが)。
前回に書いたコラムが、前々回と内容がほぼ一緒だったと気がついたのは公開する直前で、やっちまったなぁと思ったものの、仕事でもない謎のコラムなので、まぁいいかと公開しました。
歳を取るといろんなことを忘れるし、こだわりがどんどんなくなってきます。
聴いたことがあるような音楽だったら、
『それって〇〇と同じような感じだよね』
とか
黄色くてスパイシーな食べ物だったら
『それって、まぁいわゆるひとつのカレーだよね』
とか、、歳を取ると些細なことに拘らず、大枠で感じとってしまいます。
でも、
『こういうリズムでこういうコード感は〇〇とは違うのです』
とか
『同じようなカレーかもに見えるしれないけど、実はクローブの効きが半端なくってニンニクの代わりにニラを使っているみたい』
とか、
些細なことにこだわっていかないと急激に年老いていくようなきがするのですが、どうなんでしょう・・・?
というわけで、前回の話と前々回の話は些細な点では全然別の話なんです!!
という言い訳が通じるのかもしれませんが
それよりも何よりも
『些細なことにこだわるべき』
みたいな内容のコラムを以前書いたんじゃないという気がしてなりません。
怖いので調べる気もおきないのですが、だとしたら、まぁなんというか終わってますなぁ。
10個くらい歳上の今井さんという人がいて、近所の飲み屋(立ち飲み屋)で知り合ったのですが、今井さんはボクが店に入るなり
「寿司食べる?」
と聞いてきました。
突然だし、お腹いっぱいだったけど、お土産とかで買ってきていたのなら無下に断るのもなんなので、
「あるんなら食べますけど・・・」
みたいなぼんやりした回答をしたら
「よっしゃ!」
といって
「なにがええ??」
と聞いてきたので
なんかおかしな空気だなと思いつつも
「コハダかなぁ」
とひとまず言ってみたら、エアで寿司を握る仕草をして
「へい、コハダ一丁!!」
とエア寿司を出してきました。
は????なんじゃそれ!!!
マジで、なんじゃそれ!!
エア寿司!?
いまだかつてこんな不思議の言葉があったでしょうか?
まだ夕方19時前の酒も回っていない時間帯の出来事。
酒が回っていてもどうかと思うが。
ただただ今井さんが滑っているだけならいいんだけど、これが老化の一種であるのなら、ボクも身を正して色々考えないといけないなぁと思いましたね。
今井さんも冒頭の舟本さんのように自分のことを覚えてもらいたかったのだろうか?だとしたら、やり方は少し間違っているような気がしますな。
写真:どっかのホテルの入り口