技術解説:舞妓さんちのまかないさん
Sony VENICE + Genesis G35 Vintage '66 で描く上質な空気感。やわらかく美しい色あいが目をひく Netflix ドラマ『舞妓さんちのまかないさん』の撮影技術を Behind the Scenes 映像をもとに分析していきます。
1. 是枝監督初となるドラマ作品
日本を代表する映画監督である 是枝裕和 監督が総合演出を務める、自身初となる Netflix 連続ドラマ『舞妓さんちのまかないさん』は、京都の花街を舞台に舞妓さんとまかないさんの日常を描いた、全 9 話の物語です。
そのスタッフリストを見ると、美術監督の種田陽平氏、撮影監督の近藤龍人氏など、2018 年にパルムドールを受賞した映画『万引き家族』をはじめ、これまで是枝監督作品を手がけてきた日本映画界の最高峰のスタッフたちが、その名前を連ねていることがわかります。
また映像表現としては、舞妓さんの美しさも去ることながら、本作では “まかない料理” として登場するシズル感溢れる料理カットが、その大きな魅力となっています。
この記事では、X-OCN、Dual Base ISO、Cine EI、s709 など VENICE に採用されるデジタルシネマ向けのカメラ設定、Genesis G35 Vintage '66 をはじめ、Gecko-Cam 社が開発するクラシックスタイルのレンズの技術解説を通して、その “自然” で美しい映像のメカニズムを分析していきたいと思います。
2. Sony VENICE
まずは、カメラまわりの機材構成に関して、Behind the Scenes 映像を見るかぎり、本作ではカメラは Sony Cinema Line の最上位モデル VENICE で撮影されているようです。
VENICE は、CMOS イメージセンサー部分を切り離して、カメラを小型化できる “Rialto” モードが好評で、2022 年にはトム・クルーズ主演の映画『Top Gun: Marverick』で使用されたことでも話題となっています。ハリウッドでは、いまだに ARRI の人気が群を抜いて高い状態ですが、VENICE も年々その評価が高まっているようです。以下の表にある Sony のカメラは、すべて VENICE となります。
その最新モデルとしては、2022 年発売の 8.6K イメージセンサーを搭載した VENICE 2 もありますが、本作は撮影時期が 2021 年だったということで、初代 VENICE が使われているようです。Behind the Scenes を見ると、カメラ後部に RAW レコーダー AXS-R7 が取り付けられてますが、VENICE 2 では この RAW レコーダーなしで、本体内で RAW 収録ができるよう改良されています。
記録フォーマットに関しては、Sony 独自の圧縮 RAW である X-OCN で収録されているようです。Behind the Scenes で紹介されている夜の廊下のシーンを見てみると、カメラ設定は以下の通りになっています。24fps のシャッター開角度 144° は、シャッタースピードに換算すると 1/60 になりますが、このあたりは関西の AC 電源の周波数 60 Hz に合わせたものといえます。
Sony の RAW 形式に関しては、これまでは RAW レコーダー AXS-R5 を利用して収録する F55 RAW など、BT.2020 を超える広色域で、16-bit シーンリニアの階調を記録する RAW 形式がありましたが、そのデータ容量を効率よく圧縮するために開発されたのが、X-OCN という Sony 独自の圧縮 RAW の記録フォーマットです。
X-OCN には XT、ST、LT の 3 段階の圧縮がありますが、X-OCN LT では、これまでの F55 RAW よりもデータ容量を最大 60% 削減でき、さらに ProRes 422 10-bit よりもデータ容量を減らすことが可能となっています。本作では、その標準品質となる X-OCN ST が使用されているようです。
また Sony の RAW は、これまで PXW-FS7 などミドルクラスの機種でも収録ができましたが、X-OCN に関しては PWX-FX9 など最新のミドルクラス機では収録ができず、Cinema Line の中では VENICE、VENICE 2 のみが対応しています。デジタルシネマ作品で VENICE を使用するメリットは、こうした点にあるとも言えます。
また ISO 感度に関しては、上記の参考画像では ISO 2500、1000 EI の設定となっています。こうした設定は、Cinema Line に搭載されるデジタルシネマ向けの機能を利用したもので、❶ 2 種類の標準 ISO 感度を選べる Dual Base ISO、❷ Exposure Index により粒状性を調整する Cine EI モードを活用して、映像の品質を管理するメソッドとなります。
❶ Dual Base ISO は、CMOS イメージセンサーが最も多くの階調を記録できる 標準感度(Base ISO)を切り替えることで、撮影現場の照明環境に応じて、最適な ISO 感度を選ぶことができるシステムです。この Base ISO の数値はカメラにより異なりますが、VENICE の場合は ISO 500、ISO 2500 となります。
❷ Cine EI は、カメラの ISO 感度を Base ISO に固定した状態で、Monitor LUT によりモニター表示される映像の明るさを調整するシステムです。Base ISO に対して、どれだけオーバーで露出を切るか?どれだけアンダーで露出を切るか? EI(Exposure Index)という指標を利用して、Base ISO 感度の上下 2 STOP の範囲で調整します。この設定により、粒状性など映像の質感が変化することになります。
上記の参考画像では、Base ISO を 2500 に固定した上で、フィルム撮影でいう “減感現象” の状態となる 1000 EI で露出を切っています。これは Base ISO に対して、+1.3 STOP 明るく撮影していることを意味します。一般的に Sony のカメラは、シャドウ部にノイズが出やすい特性がありますが、Base ISO よりも低い感度(EI)で露出を切ることでノイズ性能が向上し、映像がよりクリアな質感となります。
また MON OUT の設定を見ると、本作では映像出力に s709 のガンマが利用されていることがわかります。Log、RAW 撮影の環境で、標準的な映像のルックを確認する際には、映像業界の標準ガンマである Rec.709 を使用するのが一般的ですが、Sony は VENICE の開発とあわせて、Rec.709 の代替となる s709 というデジタルシネマ向けの標準ガンマを開発しています。
この s709 は、Rec.709 よりもコントラストの低いトーンカーブが適応されており、全体的に彩度が抑えられた設計となっています。また Cinema Line、a7SⅢ など最近の Sony のカメラには、Rec.709 と s709 の中間となる S-Cinetone というガンマもあり、Rec.709 以外にも作品ごとに最適な標準ガンマを選ぶことができるようになっています。
Cine EI は以前からあるメソッドですが、Dual Base ISO、X-OCN、s709 など、Cinema Line で採用される新技術をフル活用することで、暗部ノイズの影響を回避して、本作のようなクリアで上質な空気感を演出しやすくなると考えられます。
Sony は報道、イベント撮影、映画などさまざまな映像ジャンルに向けた製品を開発していますが、上質なルックを目指す場合は、こうしたデジタルシネマ向けの設定を活用するのがその重要なポイントと言えそうです。
3. Genesis G35 Vintage '66
Behind the Scenes 映像を見るかぎり、本作のメインレンズには、三和映材社が提供する Gecko-Cam Genesis G35 Vintage ’66 が使用されているようです。
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