施す
人間は施すという気持ちを手放したとき
自然と繋がれる
大きなエネルギーを動かすことができるのは
エゴの無い 無心の気持ちだけだと思う
母親が、無心でこどもの健やかさを
願う気持ちに似ている
自然の意とは誰かが作った偶像の神様
ではなく、自然そのもの
宇宙のエネルギーや私たちの生命を
創造する大きな流れのようなものと言う感覚
農に置いて何かを施す
それは、堆肥だったり
農薬だったり 科学肥料だったり
微生物だったり…
おそらく
畑に無いものを持ち込むという行為は
収穫の変化をよきようにと願う
純粋な行為
そこに、何をいれるか?が
重要なのではなく
どうして、施す心が沸き上がるのか?
に目を向けてみる
今目の前にあらわれる全ての現象は
すでに完璧な循環から生まれでたもの
人が手を加えても
どこかで帳尻が合わさるようにできている
しかしながら
この世の全て目の前に広がる世界は
自分を映しだす鏡のようなもの
目の前に起きる現象の
ありのままを受け入れるのは
なかなか容易いことではない。
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